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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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91 名前⑤


見合いから会社に戻って仕事を片付け、家に帰ってきた頃には、深夜になっていた。


明かりも点いていない暗い部屋で、窓から見える月を眺める。



翔平に行った言葉に、嘘はない。

グループの将来を考え、責任を果たさなくてはならない。

それが、逃れられない事実だ。


『だが…』


「!」


人の気配を感じて振り返ると、暗闇の中から人影が現れた。


「…いい加減、人の家に忍び込むのはやめてもらおうか」

「この前よりは、グレードアップしてましたよ」

「そういうことではない」


月明かりに照らされて現れたのは、今日の見合いをぶち壊した野良猫だった。


「何をしに来た」

「一応、確認しておこうかと」


月明かりを映している瞳は、ガラス玉のように光っている。

本当に、猫のような娘だ。


「何だ」

「今日のお見合い、成立させる気はなかったんでしょう」

「何故そう思う」

「九条家は確かに歴史ある名家ですけど、家計は火の車。社会的価値も落ち始めている。そんな家と縁を結んでも、利益はない」


月を映した瞳は、惣一を見て少し面白そうに微笑む。


「龍谷グループは、古臭い名家と縁を結ぶ必要があるほど、困ってはいない」

「………」



全て調べて分かっているのだろう。

九条家の内情も、龍谷グループの内情も。


「そこまで分かっていて、何故わざわざ見合いを壊しに来た」

「友人に頼まれまして」


他人に興味がないこの娘が頼みを聞く友人というのは、1人しか思いつかない。

どうやら、野良猫を見合いに送り込んだのは優希の娘だったらしい。


少し首を傾げているのを見るに、何故頼まれたのかはよく分かっていないのだろう。


「私の意図が分かっていたのなら、その友人に教えてやればよかっただろう」

「何のために?」

「見合いが成立しないと分かれば、その友人は安心したのではないのか」


純は少し考えを巡らせると、首を傾げた。


「それ、わたしに何のメリットがあります?」



惣一は、深くため息をついた。


優希の娘は、人の心を考えないこの野良猫とよく友人をやっていると思う。

自分の息子もそうだが、この娘のこういう気性を分かっていて友人として付き合っているのだから、よく分からない。


『…人のことは、言えないが』



「どうせ、友人に頼まれたという理由だけではないのだろう」


この娘が、1つの理由で動くことはない。


「龍谷グループ社長に恩を売るのも悪くないかと思いまして」


どうやらわざわざ見合いを壊しに来たのは、龍谷グループ社長である惣一に恩を押し付けるためでもあったらしい。


「向こうから断らせた方が、あの父親がうるさくないでしょう」


今回の見合いは、本当は惣一から断るつもりだった。


しかしこの娘の言う通り、向こうから断らせた方があと腐れがない。

それも、娘の方から断らせればあの父親は文句を言えない。

それらを全て分かったうえでの、あの悪口オンパレードだったらしい。



「あれで断らなかったら、どうするつもりだった」

「九条家の財産報告書を見せて、誓約書と判子を置けば断るんじゃないですか」


どうやら、あれが一番優しい方法だったらしい。


あそこで九条の娘が断ったのは、最善だったようだ。

翔平の悪口を並べたのは、そうした方が面白そうだったからだろう。



昔から、悪だくみが好きな娘だった。


龍谷家のセキュリティを突破してきた時も、キッチンから勝手にパンを盗み出した時も、龍谷グループのライバル企業の脱税報告書を持ってきた時も、楽しそうにしていた。

面倒くさがりのくせに、そういった悪だくみは楽しそうにする。



見合いの席で、自分の息子がショックを受けていた姿を思い出す。


想い人がいることをばらされるとは思っていなかったのだろう。

しかも、その想い人によって。



「確認したいのはそれだけか」

「いいえ」


いたずらっぽく微笑んでいた笑みが消え、瞳に影が差す。

月が雲に隠れ、部屋が闇に包まれた。


「頼み事を、聞いてもらおうと思いまして」

「…またか」


惣一は、眉間にシワを寄せる。


「今回の恩一つ分です」


聞かないという選択肢を選ぶことができないように、すでに売った恩で借りを返せということらしい。



「断ったら、どうする」


先ほどまでいたずらっぽく笑っていた瞳から、すうっと感情が消える。

薄茶色のはずのそれは、暗闇と同化していく。


「翔平と瑠璃(るり)、どっちが先がいいですか」


それは、まるで脅しである。


実際、これは脅しだ。

惣一が断れば、この少女は迷うことなく惣一の家族に手をかけるだろう。


友人である翔平にも、妹のように優しくしている瑠璃にも、目的のためならそこに感情はない。

それが、このいろいろと欠けてしまった少女のやり方なのだ。


惣一は一度目を瞑り、深く息を吐いた。



「頼み事とは、何だ」


「近々、会社が1つ潰れます。いつも通りにやってください」

「分かった」


惣一が了承すると、純は惣一に背を向ける。


その背中に、答えが分かっている問いを問いかけてしまう。


「…いつまで、続けるつもりだ」


純は惣一に背中を向けたまま、答える。



「終わるまで」


その一言を残し、暗闇にふっと姿を消した。




純が部屋から去った後、再び現れた月を仰いだ。



1人の男を思い出していた。


その男は全てが完璧で、できないことは何もなかった。

天才という名を冠するのに申し分ない能力の持ち主だった。

そして誰にでも優しく、誰からも好かれる存在だった。

隣で見ていて、尊敬した。

友人として誇らしかった。


しかし、惣一は本当の意味であの男を理解することはできなかった。


本当の天才は、人から理解されにくい。

隣にいることですら、難しい。


『ましてや、心を手に入れたいなど…』



それに、あの少女は一筋縄ではいかないものを他にも持っている。


人からの感情を拒絶し、理解しようとはしない。

目的のためなら、手段を選ばない。

そんな人間の隣にいたいという願いは、険しく、難しい道のりだ。



その道を歩もうとしている、自分の息子を思う。

一度は揺れたようだが、結局は覚悟を決めて諦めなかった。


「難儀なことだ」


あの娘の側にいれば、これから先、間違いなく大きな決断を求められる時が来るだろう。


その時、翔平は惣一と同じ道を選ぶのか。

それとも、違う道を歩むのか。



「楽しみだな」


惣一は、珍しく笑みを浮かべた。



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