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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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90 名前④


翔平はひとまず見合い相手を部屋に返し、適当な理由をつけて席を外した。



『疲れる…』


見合い自体も疲れるが、見合い相手と一緒にいるのが一番疲れる。


世間一般的には、ああいう女子が理想の妻と言われるのかもしれない。

控えめで、従順で、夫をたてるような淑女。

しかし、翔平にはそんな気持ちは分からなかった。


喋るのにも気を遣って会話も続かず、相手の言葉が心に響かない。

草履を履きやすいように手を貸し、転ばないように支える。


もしこれから何度か会うことがあったとしても、翔平はあの女子に興味を向けることができない気がした。



『純とだったら…』


いつも好きに話をして、互いに無言でも苦にならない。

純の言葉と行動で、翔平の心は動かされる。

翔平が手を貸さなくても、純は隣を歩く。


『…何を考えてるんだ』


考えないようにしているのに、余計に考えてしまっている。



少し頭を冷やそうと周りを見ると、離れに続くような小さな橋があった。

歩いて行ってみると、下には小川が流れている。


さらさらと風が緑を鳴らす音は、翔平の心を静かに落ち着かせていった。



その風に紛れて、いつの間にか後ろに人の気配を感じる。


『…何でいるんだよ…』


心を決めてここに来たはずなのに、さらに心が揺らぐ。



「…何しに来た」

「聞いてみようと思って」

「…何を」

「見合い、嫌なの?」

「…別に、そんなことはない」


翔平は、欄干をぐっと掴んだ。


「嘘だね」


風が、後ろから流れてくる。

いつも隣にあった気配が、風に乗って背にあたる。


「わたしは人の心はよく分かんないけど、翔平のことは他の人より分かる。昔から、見てきたから」


思わず、後ろを振り返ってしまった。


純は、こちらに背を向けて欄干に座っていた。

足をぶらぶらさせて、小川の流れを眺めている。



その後ろ姿に、聞いてみたいことがあった。

顔が見えないから、聞くことができた。


「…俺が、本当は見合いをしたくないって言ったら…お前は、どうする?」

「見合いを壊してあげる」


頼もしい言葉に、口から笑みがこぼれる。

少し、欲が湧いた。


「俺に、想う相手がいるって言ったら…どうする?」


少しの間、沈黙が流れる。


水が流れる音と、風が葉を揺らす音が、2人の間を通り抜けていく。



「いいんじゃない?」


違う答えを期待していた自分に、苦笑いしてしまう。

今までに何度も分かってきたことなのに、性懲りもなくまた何度も期待してしまう。


「だって」


純はそう言って、くるりと向きを変えて翔平と向き合う。

いつもの、薄茶色の瞳がそこにあった。


「翔平が決めた相手なら、いいんじゃない?」


純らしい、言葉だった。

人に関心のない、純らしい答えだった。



「…どんな、相手だと思う?」


翔平に尋ねられた純は、首を傾げる。


「翔平と似てるんじゃない?」

「俺と…似てる?」


答えが返ってくるとは思わなかったので、翔平は驚いた。


純は、こくりと頷く。


「強くて、頑固で、優しいところもあって、家族が大切」


そう言って柔らかく微笑む瞳には、いつもと違った光が見えた気がした。


翔平がそう思いたかっただけかもしれない。

それでも、よかった。


新しく、風が吹いたようだった。



力なく欄干に寄りかかり、笑ってしまう。

強くて、頑固で、優しいところもあって、家族が大切。


「そうだな…」


そんな人間は、自分の目の前にいる。


『翔平が決めた相手だったら、いいんじゃない?』


「そうだよな…」


この想いを、諦めたくない。

後悔は、したくない。



ずっと隣にいたいと思っていた。

一番理解したいと思っていた。

大切にしたいと思っていた。

大切な人になれたらと思っていた。


『この、想いは…』



「…なぁ」

「何?」

「聞きたいことがあるんだが」


純は、首を傾げている。


「その人の…ずっと隣にいたい、一番理解したい、大切にしたい、大切になりたいっていう気持ちは…何だと思う?」


翔平はその疑問と答えに、ずっと気付かないようにしていた。


「お前なら、その気持ちに、なんて名前をつける?」


純は、首を傾げたまま足をぶらぶらさせている。


少し考え込んだ後、口を開いた。



「わたしにはよく分かんないけど。一般的には、「愛」じゃないの?」


『…やっぱり、そうだよな……』


力ない笑みが、自然と口からこぼれる。

ここまで、自分の気持ちに気付かないと思わなかった。



出会った頃から大切だった。


隣にいたくて、理解したかった。

いつか自分を大切に想ってくれたらと、願っていた。


そう思うことが当たり前すぎて、気付かなかった。

純が異性からの好意を拒絶する姿を見て、気付かないようにしていた。



目の前にいる女の子は、自分が愛している人だった。


『もう、迷わない』


自分の想いに、名前がついた瞬間だった。




「翔平くんは、どちらに行ったのでしょうかな」

「すみませんな。愚息で」

「いえいえ…」


冷たい鉄仮面の惣一に、見合い相手の父親は恐縮している。


翔平が席を外して、けっこう時間が経っていた。

見合い相手は帰ってきてから元気がないし、父親は見合いの行方を心配している。


『逃げたか…?』


それなら、自分がここで結論を出すまでだった。

無駄な時間を過ごすほど、暇ではない。



口を開こうとした時、廊下から足音が聞こえてきた。


「おや。翔平くんが戻ってきたようです…な?」


廊下から聞える足音はよく聞くと2人分で、それもドタバタと走っているような音に近い。

足音に加えて、何やら話し声も聞こえてくる。


「――いいって」

「―――んりょしない」

「いやそうじゃ――」


足音が止まったと思ったら、勢いよく障子が開いた。


そこにいたのは、肩につかないくらいの髪をなびかせ、その瞳に面白そうな光を宿している少女だった。



「おい、純!」


やっと追いついたのか、後ろから慌てて翔平が顔を出す。


純は振袖を着ている少女に視点を定めると、そのまま部屋に入って少女と真正面で向き合う。


「親の言いなりになって結婚なんて、馬鹿なんですか」

「え……?」

「な…何を。急に現れたと思えば、何を言い出すんだ。人の娘に」


見合い相手の父親に非難されても、純はそれをいないものとして扱った。


「それを言えば、翔平も馬鹿か」

「………」


否定したいものの、一度親の言いなりになった身としては何も言えない。



「一体何なんだ、君は!」


見合い相手の父親が純を部屋から出させようとすると、純は簡単にその手からすり抜ける。

掴もうとしていた姿が一瞬で消え、父親は尻餅をついた。


「こんな人と結婚するのはやめた方がいいですよ。死ぬほど朝に弱くて般若みたくなるし、顔は鉄仮面で怖いし、いつも眉間にシワを寄せてて辛気臭いし、心配性過ぎだし、ため息ばっかりつくし、舌壊れてるんじゃないかってくらい辛いものばっかり食べるし…」


その調子で、純は滔々と翔平の悪口を並べていった。

翔平としては、さっき褒められたと思ったばっかりに、崖から突き落とされた感が半端ない。


「それに、想う相手がいるらしいし」


『なっ!』


その衝撃発言で、翔平は顎が落ちるかと思った。


純が落とした爆弾の被害は、全て翔平に向けられている。

見合い相手の父親からの視線は冷たいし、自分の父親からの視線は逆に生暖かい。



「…最後に」


やっと終わるのかと思ってほっとしていると、純は翔平の隣を指差す。


「父親がこれ以上ないくらい冷徹ロボット」


「「………」」


その一言で、部屋の中の温度が初夏から真冬にまで吹っ飛ぶ。



翔平は恐る恐る父親を見てみるものの、怒っているのか怒っていないのかすら分からなかった。

父親は、翔平以上の鉄仮面なのだ。



そんな冷え固まった空気の中で、一番最初に喋ったのは、か細い声だった。


「お父様…どうやら、私には過ぎたご縁だったようです」

「いや、しかしな…」


手鞠は、純を見つめる。


『…この方、なのかもしれない』


庭で、翔平に聞いたことを思い出す。


幼馴染だという女子のことを話していた翔平は、初対面の時の冷たいイメージとは違って人間味があって、小さな笑みすらあった。


手鞠は、つい、尋ねてしまった。


『大切な方なのですか』

『えぇ』


確固たる事実を告げるような、その答えしかないような返事だった。

そこに、手鞠が入るような隙はなかった。



「私では、翔平さんにつりあわないでしょう」


そう言って、惣一に向かって頭を下げる。


「今回のお見合いは、お断りさせていただきます」


手鞠がこの場で自分の意志をはっきりさせたのは、これが初めてだった。


しかし手鞠の父親は、娘の決断に唖然としている。

惣一は翔平に野良猫のように掴まれている純をちらりと見てから、手鞠に視線を戻す。


「そうですか。残念ですが、ご縁がなかったようです」


放心している見合い相手の父親と頭を下げる少女を残し、惣一は息子と野良猫を連れて料亭を出た。




「結局見合いを壊してしまって、すみません」


翔平は、父親に頭を下げた。

あんな形で破断にしたのだ。龍谷グループに影響が出てもおかしくない。


惣一はそれについては何も言うことなく、翔平に目を向ける。


「決めたのか」

「はい」


もう、迷うのはやめた。

諦めるのはやめた。

自分の想いを、見ないふりをするのはやめた。


惣一を見つめ返す翔平の目は、見合いを決めた数日前とは違い、迷うことなく真っ直ぐ前を見ている。

覚悟を決めたらしい息子に、惣一は短く息を吐く。


「20歳まで猶予をやる。それを過ぎたら、何を言おうがグループのために選んだ相手と結婚させる。いいな」

「はい」


さっきからずっと、翔平に首根っこ掴まれている少女を見る。


「自分の言葉に責任を持て。2度目はない」


そう言うと、惣一は迎えの車に乗り込んだ。



最後に、ちらりと翔平たちを横目で見る。


「その野良猫はどこかに捨ててこい」


その言葉を残して、車は去っていった。



『20歳まで』


『2度目はない』


父親の言葉を思い出して、翔平は深くため息をつく。


猶予は延びた。

しかし、このままでは何も変わらない。

何かを変えたいのなら、それ相応の覚悟を持って行動を起こさなければならない。



隣を見ると、野良猫がこちらを睨み返している。


「いい加減離して」


手を離してやると、野良猫扱いが気に障ったのか不機嫌そうにしている。

そんな姿でさえ、微笑んでしまう。


「今日は助かった。ありがとう」

「どういたしまして」

「諦めないからな」


純は、翔平を見て首を傾げる。


「何が?」

「別に」


いつも純が言っているように誤魔化すと、また少し機嫌を損ねたのかぷいっと前を向いてしまう。



この灰茶の髪と、薄茶の瞳を愛おしく思う。

自分に向ける笑顔を、愛おしく思う。


全てを、愛おしく思う。



いまだに不機嫌そうにしている純を宥めながら、翔平はその想いを心に刻んだ。



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