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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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88 名前②


「しょ、翔平くんが、お見合いをするんですって!」


ある日の昼休み、かなり興奮した様子でつぼみの部屋に入ってきたのは、雫石だった。


いつものお淑やかさの欠片もない雫石の姿に、部屋の中にいたメンバーは一体何事かと驚く。

つぼみの部屋には、翔平以外のメンバーが集まっていた。


「え!?」

「翔平が!?」


雫石の言葉を理解した途端に、皐月と凪月は椅子から立ち上がるほど驚いた。

晴は、驚き過ぎて固まってしまっている。


「い、いや…でもさ、家の付き合いとか、形だけのお見合いもあるよね?そんな、結婚前提じゃないだろうし…」


こういう世界に生きていると、お見合いというものは珍しくない。

会社の利益のために親が決めた相手と結婚することなど、よくあることだ。

結婚を前提としたものばかりではなく、家同士の付き合いのためや、「お見合いをした」という事実をつくるためにするものもある。


しかし、皐月の言葉に雫石は、青ざめそうになっている。


「結婚を前提としたお見合いらしいの…」


「「え!?」」


ということは、そのお見合いがうまくいけば、翔平は将来その相手と結婚することになる。


「あ、相手は?」

九条(くじょう)さんという方よ。ミシェーレ女学院の3年生らしいわ」

「九条って言ったら、歴史のある有名な名家だよね。龍谷グループはかなり手広く事業を展開してるけど、企業としての歴史は浅いからね」

「九条くらいの名家と縁を結べば、九条の持つ人脈を使えるっていうのを狙ってるのかも。逆に九条家は、龍谷グループの恩恵を受けられるし…わわっ、ごめん、雫石」


皐月と凪月からの客観的な情報を聞いて、雫石は泣きそうになっている。


「ご、ごめん。雫石」

「ほら、でも話がまとまるって決まったわけじゃないしさ」


晴も雫石を慰めるように、頷く。


「それに、翔平はまだ17歳だよ。結婚なんて早すぎるよ」

「でも…でもっ…」


晴たちは、何故雫石がここまで動揺しているのか分かっていた。



先ほどから、雫石たちの騒ぎに全く興味なさそうに本を読んでいる人物がいる。

いつもの長椅子に座り、本をめくる姿はいつもと変わらない。


翔平が、純に対して特別な想いを抱いているのは、誰の目から見ても明らかだ。

しかし、純がその想いに応えているように見えたことはない。

純が翔平に対してどんな想いを持っているのかは、誰にも分からなかった。


「純はやっぱり、翔平のお見合いに興味ないのかな?」


凪月は純に聞こえないように、小声で雫石に話しかける。


「そう、かもしれないけれど…」


雫石も凪月につられて、声が小さくなっていく。


「純は、翔平くんじゃないとだめなのよ…」


その声は小さすぎて、凪月が聞き取ることはできなかった。



「何をしてるんだ?」


「「うわっ!!」」


驚いて背後を振り返ると、噂の当人が立っていた。

話しかけただけなのに、過剰に反応されて驚いている。


「翔平くん、本当なの?お見合いをするって」


雫石は、今にも泣きそうな顔をしている。


「…あぁ。本当だ」

「でも…」

「もう、決めたことだ。俺はグループの後継者だからな。いつかくる話が、今来ただけだ」

「翔平くん…」


翔平はいつもと変わらない表情なのに、何故か雫石と同じように泣きそうに見えた。


純は、一言も喋らずにただ本を読んでいただけだった。




翔平のお見合いが分かってから数日後、純は話があるという雫石に呼び出されていた。


「ねぇ、純。翔平くんに、聞かなくていいの?」

「何を?」

「何って…本当に納得してお見合いを受けるのか、とか…」

「この前、もう決めたって言ってたよ」

「そうだけれど…!」


雫石は、さっきから泣きそうだった。

純は、何がそんなに雫石を悲しませているのか、分からなかった。


「どうしたの、雫石」


純には分からないことは何もないし、できないことはない。

しかし、人の心には疎かった。


嘘や策略は見抜くことができるのに、心の機微に気付けないのだ。

雫石がどうしてこんなに泣きそうなのか、純には分からない。


「私は、翔平くんにお見合いをしないでほしいと思っているわけではないの」


雫石は心を落ち着けるように、一つ一つ言葉を紡ぐ。


「でも、もし翔平くんが少しでもお見合いを望まない気持ちがあるのなら…」


雫石は、純の瞳を真っ直ぐ見る。


薄茶色の瞳は、どこか不思議そうにしている。

何故雫石がここまで必死になっているのか、分からないのだろう。

それでも、純にこの気持ちが伝わってほしかった。


「翔平くんが望まないのなら、翔平くんのために、お見合いを止めた方がいいと思っているの」

「どうして?」

「私は、翔平くんに幸せになってほしいの。だから、もし翔平くんが好きになれない人と結婚しないといけないのなら、私はそれを止めたいの」

「翔平はそれでもいいんじゃないの?見合いを受けたってことは、そういうことでしょ」

「いいえ。違うわ」


雫石は子供をあやすように、優しく首を横に振る。


「あの時の翔平くんは、本当にそう思っているように見えた?私には、見えなかったわ」


雫石は、純の手を優しく包み込む。


「いつも一緒にいた純なら、分かるはずよ。翔平くんの、本当の気持ちが…」


雫石がここまで必死に言っても、純の瞳はいつもと変わらない。

その瞳に、誰かの心を映すことがない。


純は、興味のないことには無関心だ。

理解しようとする気持ちがない。



「ねぇ、純…お願い…。翔平くんに、聞くだけでもいいの」

「何を?」

「翔平くんの、本当の気持ちを」

「何で、わたしが聞くの?」

「純は…純なら、翔平くんは話を聞いてくれるわ。純なら、翔平くんの本当の気持ちを気付かせてあげられると思うの。…私は、そう信じているわ」


雫石の瞳からは、大粒の涙が零れていた。

頬をつたって、地面を濡らしていく。


純は、濡れていく地面をただ見つめた。


昔から、純には興味がない。

人を好きになること。

誰かを愛すること。

愛を誓って生涯を共にすること。


そういったことで悩み、悲しむ人のことが理解できなかった。

だから、雫石がどうしてここまで悲しんでいるのか分からなかった。


翔平が決めたことなら見合いをすればいいし、将来をどうするかなんて翔平が決めることだ。

翔平の本当の気持ちが何なのかなんて、純には関係のないことだ。

翔平が誰を好きになろうが、誰と結婚しようが、純には関係ない。

何故、純が聞きに行かなければいけないのかも分からない。


それでも、雫石が泣いている姿を見ているのは嫌だった。



「翔平の…」


純の小さな声に、雫石は涙で潤んだ瞳を上げる。

純は、いまだに地面を見つめている。


「翔平の気持ちを確かめるくらいなら、やってもいい」


純は、雫石を真っ直ぐに見つめる。


「見合いを望んでないなら…雫石が、それを望むなら」


自分の手を包み込んでいる雫石の手を、握り返す。


「見合いを防いでもいいよ」


純の瞳は、いつもと変わらなかった。

何も映していないような、作り物のような、空虚さがある。


今の言葉に、純の感情は乗っていない。

ただ、雫石の望みを聞いてくれただけだ。



今は、それでも構わなかった。

いつかその心に誰かの心を映すことができるのなら、自分に向けられる好意を受け止められることができるのなら、今はそれでも構わない。


そして雫石は、それができるのは翔平だけだと思っている。

だから、純のためにも見合いを防いでほしかった。



「ありがとう、純…」


純は何も言わずに、雫石の頬をつたっている涙を拭った。



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