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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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87 名前①


初めて出会ったのは、桜並木の下だった。


1人でぽつんと立っている姿は、目を離すと消えてしまいそうな儚さがあった。

自分とは違う世界で生きているかのような、見たことのない瞳をしていた。

その瞳を見た時から、ずっと忘れられなかった。



同じクラスだと分かった時、嬉しかった。

好きなものを知りたくて、たくさん話しかけた。

人形のように無表情な少女は、無口だった。

話しかけても、その口を開いてくれることはなかった。

それでも声が聞きたくて、話しかけた。



初めて一緒に遊んだ時、好きなものを知った。

一緒に遊ぶのは楽しくて、もう一度遊ぶ約束をした。

無口な少女は、別れ際に初めて喋った。

初めて聞いた声は、「またね」だった。



無表情だった少女が初めて笑った顔を見た時、また笑顔を見たいと思った。

いつかその笑顔が自分に向けられることを、願った。



初めて喧嘩をした時、そのまま離れていってしまう気がして、怖かった。

どれだけ喧嘩をしても、隣にいたいという思いは変わらなかった。

ずっと、このまま隣にいられたらと思った。



他人に関心のない彼女は、自分の心にも関心がなかった。

他人に理解されず、自分でも理解しようとしない姿を見て、自分が一番に理解しようと思った。



大切なものが極端に少ない彼女は、家族以外を大切にしようとはしなかった。

それでも、自分は彼女を大切にしたいと思った。

いつか、彼女の大切な人になれたらと思った。



ずっと、想ってきた。

出会った時から、ずっと想ってきた。



でも、その想いにどんな名前を付ければいいのか、分からなかった。




「お仕事中、失礼いたします」


自室でパソコンに向かっていると、執事の宇津巳に声をかけられた。

その声でふと時計を見ると、集中していたのか仕事を始めてからかなり時間が経っていた。


凝り固まった肩をほぐすように、首を少し動かす。


「一度、休憩を挟んだ方が良いのではと助言致しましたが」

「その時、俺は何て言っていた?」

「そうする、と仰っていました」


今の自分が聞いても分かるほど、生返事である。


「あまり根を詰めるのは、お身体によくありません」

「気を付ける」


翔平の返事に、眼鏡の奥の目が少しだけ細められる。


「生返事ではないことを、祈っております」


几帳面で神経質なこの執事は、翔平が幼い頃から変わらずに厳しい。

しかしそのおかげでまともに育ったので、感謝している。


『あいつの執事は有能だが、何故あれだけ自由人になったんだ』


面倒くさそうにしている顔が思い浮かんで、ふっと笑う。



「旦那様が、お呼びです」

「父さんが?」


予想外の用件に、少し驚く。


翔平の父親は龍谷グループ社長で、グループ傘下の会社全てのトップである。

翔平にとっては、父親というよりは仕事の上司のようだった。


『何の話だ?』


会社内で呼び出されるのなら分かるが、家で呼び出されることはほとんどない。


少し不審に思いながらも、父親の私室へ向かうことにした。



父親の私室の扉をノックをすると返事があったので、中に入る。


父親の部屋は私室というよりは仕事部屋のようで、無機質で物が少ない。

どうやら翔平の部屋もそうらしいのだが、ここまで酷くはないと思う。


翔平の父親、龍谷惣一(そういち)は、常に厳しい表情を崩さない人である。

黒髪を撫で付け、眼鏡の奥は翔平と同じ漆黒の瞳をしている。

その目で見られると、何も悪いことをしていないのに責められていると感じる人間は多い。



「何か用ですか」


しかし翔平はそんな父親には慣れているし、これが地顔だと知っているのでそこまで恐怖を感じることはない。


「見合いだ」

「………はい?」


唐突過ぎて、何と言ったのか聞き取れなかった。

それを察したのか、父親はもう一度同じ言葉をくり返す。


「見合いだ」

「…それは、俺にですか」

「それ以外に誰がいる」


それはそうなのだが、何故急にこんな話を持ってきたのか分からなかった。


「俺はまだ17歳です」

「知っている」


息子の年齢を忘れたのかと思ったが、そうではないらしい。


「グループの将来を考えれば、早いに越したことはない」

「それは、結婚を見越した見合いということですか」

「そうだ」


どうやら、父親は本気らしい。

こんなことを冗談で言う人ではないのだが、あまりに唐突過ぎて父親の正気を疑ってしまった翔平だった。


しかし、父親が本気だったとしても、翔平にも譲れないものがある。


「見合いは、できません」

「何故だ」

「まだ、結婚について考えられません。相手と結婚をする気もないのに、見合いはできません」


その言葉に、父親の目がひときわ鋭くなる。


「櫻純なら、やめておけ」

「!」


反射的に父親の目を見ると、鋭い視線が翔平を刺していた。


「お前のことだからはっきりとは意識していないのもしれないが、ああいう人間の側にいることなどできはしない」


惣一は1人の男を思い出し、すぐに思考から追い出す。


「理解することなどできはしない。自分の人生を棒に振るだけだ」


『そんな、ことは…』


翔平の耳には父親の言葉が聞こえているはずなのに、心が聞きたくないと訴えていた。

そんなことはないと反論したいのに、声になって出てこない。



ずっと側にいたいと思い、理解したいと思っていた。

大切にしたいと思っていた。


しかし、父親の言葉に言いえ返すことができない自分がいる。


「分かっているだろうな。お前は、龍谷グループ次期社長。グループ傘下で働く全ての人間の人生を背負っている。その責任を果たさなければならない」

「…それは、分かっています」


父親の跡を継ぐと決めた時、それを覚悟した。


しかし、ずっと想ってきたのだ。

ずっと、大切に想ってきた。



「いつまでも、子供の感情で動くな。お前の人生は、お前だけのものではない。傘下で働く全ての人間のためのものだ」


父親の言葉は、翔平の心を見透かしたように的確だった。


「グループの将来を考えた相手と結婚するのが、次期社長としての責務だ」


『分かってる。…そんなことは、分かってる』


翔平の人生は、龍谷グループのためのもの。

いずれ父親の跡を継ぐ身として、そんなことは分かっている。


『だが…』


拳を握りしめ、何もない床を見つめる。


灰色がかった薄茶色の髪を揺らし、いたずらっぽく笑う顔が見えた。

自分に向けて、柔らかく微笑む薄茶色の瞳が見えた。


それを、目を瞑って見えないふりをした。



「…分かりました」


今の翔平には、その言葉しか言えなかった。


隣にいたいという想いと、隣にいられるということは違う。

理解したいという想いと、理解できるということは違う。

大切な人になれたらという想いと、大切な人になれるということは違う。

そんなことは、分かっていたはずだった。

ただ、見ないふりをしていただけだった。



翔平は、そのまま無言で部屋を出た。



惣一は、息子の出て行った扉を、厳しい表情で睨みつけていた。



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