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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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79 1位と2位③


「何で、本を返しに行かないんだ?」


翔平は、窓際で本を読んでいる純に話しかける。

その本は、先日の女子が落としていったものだ。


「返してやればいいだろ。それか、図書室に届けてやれよ」


それが優しさというものだと思うのだが、純は何故かその本を読んでいる。


「どうせその本、もう読み終わってるんだろ?」


純は、こくりと頷く。


純は、本を読むスピードが尋常じゃなく速い。

中等部に入学して1ヶ月も経っていないのに、図書室の蔵書を全て読み切ったらしい。


だからなおさら、何故その本を返さないのか不思議だった。



純がふっと本から顔を上げて外を見たので視線で追ってみると、女子が数人いた。


ふふふ、と上品な笑い声が聞こえてくる。


純の視線の先に髪の長い女子がいるのを見て、翔平は首を傾げた。


「誰だ?」

「学年1位」

「あぁ、この本の女子か」


昔から、翔平の人を覚えることに関しての記憶力はゼロである。

仕事の関係者だと家族関係や人間関係まで完璧に覚えられるのだが、それ以外だと何故か顔も名前も覚えられないのだ。


学年1位の女子は、友人らしき女子たちと楽しくおしゃべりをしている。

しかしそれが本当の姿ではないことくらい、翔平にも分かっている。


「よく、あんなに笑えるな。楽しくもないのに」


みんな、上っ面で笑っているだけである。

当たり障りのない会話をして、腹の探り合いをしている。

この学園では、珍しくない光景だ。


「人のこと言えないでしょ」

「純はもう少し、本音と建て前を分けた方がいいと思うぞ」


純は、建て前がなさすぎるのだ。


「面倒くさい」

「そうやって思ったことをすぐ言うから、周りから人がいなくなるんだろ」

「いらない」


純のすげない態度に、翔平は肩をすくめた。


「周りに人がいないのと、嘘つきばかりでもいるのと、どっちがいいんだろうな」


そう言って、もう一度女子グループに目を向ける。



この学園は、社会の縮図だ。

大人の世界での立ち位置が、子供にも影響する。


偉い家の子供は、偉い。

強い家の子供は、強い。

弱い家の子供は、弱くなる。


お互い、相手を蹴落とすことばかり考える。

親のために、子供同士での会話から情報を引き出して家に持って帰る子供もいる。


翔平は、うんざりしていた。

自分も、そのうちの1人だからだ。

だから、純以外に親しい友人はいない。

駆け引きなしで会話できるのは、純だけである。


純は、建て前を言わない。

嫌なことは嫌だと言う。

隠し事も嘘もつくが、理由もなしにそんなことはしない。

喧嘩もするが、それはお互い遠慮せずに言いたいことをぶつけられるからである。


純の側だけが、翔平は居心地が良かった。



「女子は、大変そうだな」


純を見ると、もう興味を失ったのかまた本を読んでいる。

読んでいるように見えるが、読んでいるふりをしているだけだと翔平は知っている。

こうしていると、周りからあまり話しかけられないことに最近気付いたらしい。


「純。そろそろ移動教室だぞ」


そう声をかけると、純はぱたりと本を閉じる。


窓の外の女子グループも、どこかへ行ってしまっていた。




本を返してもらいたいのに2人に近付くことができず悩んでいるうちに時は過ぎ、1週間経ってしまった。


中等部以降の進路を決めるための学力テストがまた近付いてきたことで、雫石はひとまず本のことは忘れ、勉強をするようにした。


しかし、中等部へ進学したことでの環境の変化からか、風邪を引いてしまった。

熱を出してしまったので数日は学校を休み、授業に出るようになってからも体調が優れず、いつもより試験前の勉強ができなかった。



何とか試験は受けたものの体力や集中力は戻っておらず、いつも解けるはずの問題さえ解くことができなかった。

大きく順位を落とすまではいかないものの、今回は確実に1位は無理だろうと思える結果だった。


いつも、1位と2位にそこまで大きな点差はない。

1位をずっととりたかったわけではないが、自分の力を発揮できずに順位が落ちるのは悲しかった。



「そこまで」


母の厳しい声にはっとすると、三味線の音がしんと鳴り止む。

稽古場の空気が、時が止まったように静まり返る。


「…申し訳ありません。集中できていませんでした」


せっかく母から直々に稽古を受けていたというのに、気を散らすなど論外だ。


「もう一度、お願いいたします」

「今日は、ここまでにしなさい」


母の厳しい声に、雫石はぐっと言葉に詰まる。

稽古に身が入っていないのは、自分がよく分かっている。

学校の試験がうまくいかなかったくらいで動揺している自分が、情けなかった。


「少し、こちらにいらっしゃい」


母が立ち上がったので、雫石は母について稽古場を出る。



「まだ本調子ではないのだから、無理をするものではないわ」


稽古場を出ると、母の顔は家元の顔から雫石の母親の顔になる。

稽古場には他にも弟子がたくさんいるから、雫石を娘扱いするわけにはいかないのだ。


「…申し訳ありません」


珍しく落ち込んだ様子を見せる娘に、少し眉を寄せる。


「そんなに、2位の子に負けるのが嫌なの?」

「…そういうわけではないのです」


雫石は、2位のあの人に負けるのが悔しいのではない。


「自分の力を出しきれなかったことが悔しいのです」

「今回は、風邪を引いてしまったのだから仕方のないことよ」


雫石が普段からどれだけ頑張っているかは、母親である自分がよく分かっている。

努力家で、家族にさえ弱音を吐かない娘は、強情でもある。


「勉強も稽古も、大切なことよ。でも、一番大切なのは雫石自身のことよ」


母の優しい声に、雫石は顔を上げる。


「雫石自身の心と体を大切にするのよ。雫石が熱を出したと知ったお父様が、お仕事を放って帰ってきたのを見たでしょう。雫石が寝ているというのに大声で騒いで、全く困った人だわ」


母は、眉を寄せてため息をついている。

雫石はその時の光景を思い出して、思わず笑みがもれた。



「雫石は大丈夫かー!」


と大声で帰ってきた父に、母と姉が


「雫石は寝ているんですから、静かにしてください!」


という叱り声が雫石の部屋にまで届いていた。


その後は母と姉にこってり絞られたのか、しょげた様子で見舞いに来た父を見た時には、思わず笑ってしまったほどだ。


「みんな、雫石のことを大切に思っているのよ。成績が落ちたくらいで、あなたに失望するような家族ではないわ。悔しいという感情は、前を向くために使いなさい」


厳しくも優しい母の言葉に、雫石は頷いた。


「はい」


少し声に元気が戻った娘に、母はひとつ頷く。


「私は稽古場に戻るけれど、今日は少し早めにお休みなさい。ばあやに、生姜湯を作ってもらうといいわ」


ばあやが作ってくれる生姜湯は、生姜がたくさん入っていてとても体が温まる。

寝る前に飲むと、体がポカポカしてすぐに眠れるのだ。


今日は無理をせずに母の言うことを聞こうと、雫石は素直に頷いた。




稽古場から台所へ行くと、ちょうどばあやが生姜湯を作っていた。

自分ではそんなつもりはなかったのだが、どうやら雫石の身体がまだ本調子ではないことに周りは気付いていたらしい。


「今日は特別ですよ」


と言って、ばあやははちみつを多めに入れてくれた。

甘くてほっと温かいそれを飲んでいると、少しずつ瞼が重くなってくる。



布団に横になると、体が重くなって沈んでいく。


『心と、体を大切に…』


母も、姉も、父も、婆やも。

みんな雫石のことを心配して、大切に思ってくれる。


『だから、私は……』


ゆっくりと深い眠りに沈みながら、雫石は泡沫の夢を見た。




「優希さん。成績表を見に行きましょう」


試験結果が発表された日、クラスメイトはいつものように雫石をそう誘った。

いつも一緒にいる女子たちも、「一緒に行くわ」と同調していく。


クラスメイトたちは、雫石がまた1位であることを疑っていない。

初等部から6年間ずっと成績を落としたことがないので、そう思うのも仕方ないだろう。


「えぇ。行きましょうか」


本当はあまり気が乗らないが、試験の結果はいずれは分かることなのでいつ見ても同じである。



「また、優希さんが1位でしょうね」

「優希さんだもの。1位以外はあり得ないわ」


試験前に雫石が休んだことは知っているはずなのに、クラスメイトたちは雫石が1位であることを疑わない。


雫石の体調を心配するでもなく、ただ他人事のように試験の結果を楽しみにしている。

それらに居心地の悪さを感じながら、雫石が1位以外だったら彼女たちはどんな反応をするのだろうかと思う。


慰めるのか、失望するのか。

雫石を見限って、離れていくのか。


そのどれなのかは、少し興味があった。




試験結果が張り出されている掲示板のある場所に着くと、雫石はいつも通りの表情を心がけて成績表に目を向けた。


見たくない気持ちを抑えながら、自分の名前を探す。


『……え?』


自分の名前を見つけた時、雫石はどうしてそこに自分の名前があるのか理解できなかった。


雫石の名前は、成績表の一番上にあった。

入学以来変わらない、その場所に。


「やっぱり、優希さんは1位でしたね」

「さすがだわ」


『どうして…?』


クラスメイトに応えることもできず、雫石は自分の隣にある名前を見る。

その名前も、入学以来変わらない場所にある。


『どうして、2位なの…?』


今回の試験の点数では、雫石は確実に2位だったのだ。

1位のはずがないのだ。

だって、雫石の点数はかなり下がったのだから。

1位であるはずがないのだ。


『どうして…』


「優希さん?」

「…ごめんなさい。急用を思い出したの」


クラスメイトにそう告げると、雫石はその場から離れた。


廊下を走らないように歩きながらも、怒られない程度に速足で足を進める。


人が誰もいなくなると、雫石の足は勝手に走り出した。




図書室へ向かう道から外れ、中庭の奥へ進む。

そこにいるとは限らないのに、何故か雫石の足はそこへ向かった。

根拠もなく、ただあの人はそこにいる気がした。



その場所に行くと、木の下にあの女の子が立っていた。

雫石が落としていった本を読んでいる。


少し離れたところに漆黒の髪の男子もいて、芝生に寝転がっている。

顔に本を乗せて、寝ているのかもしれない。



雫石は今度こそ、聞かなければならなかった。


「…どうして、あなたはいつも2位なんですか?」



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