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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
78/181

77 1位と2位①


『いつも、私は1位だった』

『家族は、私を褒めてくれた』


『いつも、私は1位だった』

『勉強することが、好きだった』


『いつも、私は1位だった』


『でも…』



『どうして、あの人はいつも2位なの?』




「あれ、今日は純休み?」


しとしとと雨が降る梅雨のある日、昼休みのつぼみの部屋には、1人足りない。


「春から思ってたけど、純ってちょくちょく休むよね」


皐月が自分の昼食を食べながら、今日も辛いものを食べている翔平に聞く。


「昔からだ。別に体調が悪いとかじゃなく、気分で休むことも多い。朝はいたのに昼にはいないっていうこともよくあるしな」

「自由だねー」

「明日から試験があるけど、大丈夫かな」


明日から、高等部では中間試験があるのだ。

晴の心配に、翔平は苦笑いで返した。


「あいつが順位を落とすことはないから、大丈夫だ」

「入学以来ずっと2位だもんね。すごいよ」

「それを言ったら雫石の方がすごいよね。ずっと1位なんだもん」


凪月の賛辞に、雫石は微笑みながら首を横に振る。


「私はずっと、純には敵わないの」

「え?でも、雫石がずっと1位でしょ?」

「成績では勝ってるんじゃない?」


皐月と凪月の疑問に、雫石は少し微笑む。


箸を置くと、一度静かに目を瞑る。



「実はね――」


それは、5年前のことだった。




『1位…』


雫石は、成績が発表された掲示板を眺めていた。

そこには、静華学園に入学した初等部1年からずっと変わらない場所に自分の名前がある。


中等部になってからの初めての試験。

すでに桜は散ってしまっている。


「すごいわ。優希さん」

「ありがとう」


一緒に成績表を見ているクラスメイトからの称賛に、雫石は笑顔で応える。

その隣にいる女子生徒も、雫石へ尊敬の目を向ける。


「さすがね。初等部に入学してからずっと1位だものね」

「ありがとう。これからもがんばるわ」


「私、今回の試験で分からないところがあって。今度、勉強を教えていただきたいわ」

「えぇ。今度、皆さんで一緒にお勉強会をしましょう」


それはいい、と賛同の声がいくつも上がる。

日程はいつにしようか、場所はどこでしようかと尋ねられるたび、雫石はそれに応えていく。



勉強会の話がひと段落してから、雫石はもう一度順位表を見る。


『また、あの人が2位』


自分の名前の隣にある名前は、自分と同じく、入学以来変わらない場所にある。

それは何度も見てきた光景なのに、いつも心に引っかかっていた。



「あら、理事長の孫だわ」

「2位のね」


周りにいる女子たちが、少し離れたところを見て口角をつり上げている。

その視線の先を見ると、いつも自分の隣にある名前の人が廊下をこちらに向かって歩いてきている。


そして順位表を一瞥することもなく、周囲の声などお構いなしに自分たちの前を通り過ぎていった。



「何なのかしら。あの態度は」


後ろ姿が見えなくなってから、1人がそう口にする。


「挨拶くらい、するべきではないかしら」


便乗するように、他の生徒もその流れに乗っていく。


「きっと、優希さんに敵わないからだわ。だから、挨拶もできないのよ」

「ずっと優希さんに勝てずに、2位だものね」


クスクスと、笑い声が伝染していく。

人を馬鹿にしたような、見下した笑みが広がっている。


こういう時は、下手に口を出さない方がいい。


この人たちは、あの人を悪者にしてただ悪口を言いたいだけなのだから。

雫石の名前を出して、自分も優位な場所にいるのだとアピールしているだけなのだから。



「そういえばこの前、龍谷くんと一緒にいるところを見たわ」


1人の生徒の言葉で、また流れが少し変わる。


「理事長の孫だから、龍谷くんが気を遣っているのよ」

「きっと、それを勘違いしているんだわ」


ふふっと、鼻で笑ったような息がいくつももれる。


「龍谷くんが声をかけるほどの人ではないわよね」

「それに、親もいないのでしょう?」

「そうなの?」


知らなかったらしい生徒が1人、その話に食いつく。


「ご両親がいないのは本当よ。お母様が理事長の一人娘で、亡くなったから一緒に住んでいるんですって」

「お父様は?」

「それが、誰なのか分からないらしいわ」


少女たちの顔に、嫌悪感が浮かぶ。


「理事長の娘さんを騙して連れ去ったとか、詐欺師だったとか、そういう噂を聞いたわ」

「そんな人がお父様なの?いやだわ」

「家柄が確かな人ではないのでしょう」

「そうよね。あの名字も聞いたことがないし」

「きっと、馬の骨というやつだわ」


あぁ、嫌ね。と一通り共感し合ってから、思い出したように雫石を見る。


「優希さんも、そう思いません?」



その言葉に、その目に、どれだけの悪意を秘めているのだろう。

今まで一言も会話にまざらなかった雫石にここでわざわざ話を振るなんて、悪意があるとしか言えない。


ここでどんな返事をしても、角が立ってしまう。


「そう思う」と言えば、雫石が人を悪く言っていたと噂を拡散する気だろう。

「そうは思わない」と言えば、いい子ぶっていると敵と見なされるだろう。



雫石は、哀しげに眉を寄せた。


「ご両親を亡くされているというお話は、本当だったのね。ご両親がどんな方だったのかは分からないけれど…もし、私もお父様とお母様がいなくなったらと考えると…」


そこで言葉を詰まらせ、視線を落とす。

すぐに顔を上げ、少しだけ微笑む。


「ごめんなさい。想像しただけで、悲しくなってしまって」


肯定も否定もしない。

嘘もつかない。

相手の意見を否定し過ぎず、情で話を流すしかない。


「私は、1位だったと言える相手がいるだけで、幸せなのね」


最後に、本音を付け加えておく。

そうして笑顔で締めれば、それ以上は突っ込むことはできないだろう。



「…えぇ、そうね。私もそう思うわ」


ここで肯定しておかなければ、親不孝者の烙印を押される。

自分たち以外の誰かを貶すことはできるのに、グループの中からはじき出されることは嫌らしい。


女は共感する生き物とは、よく言ったと思う。

共感して、仲間をつくって、その輪が乱れないようにまた共感する。


それでもたまにこうやって、誰かをはじき出そうとする。

自分がはじき出されるのは、嫌なのに。



中等部に入ってからは、こういった女子のグループができるようになった。

そのグループのうちいくつが、本当に仲が良くて集まったのかは分からない。

家同士の関係で集まったり、親に仲良くするように言われて集まったり、成績の良い人間を取り入ろうと集まったり。


雫石がこのグループにいるのは、成り行きである。

雫石の周りに集まってくる女子を特に拒絶せずにいたら、メンバーが固定化してしまったのだ。


雫石と友人になって利益を得たい者。

雫石を蹴落とそうとする者。

雫石の親の情報を手に入れようとしている者。


雫石に近付いてくる人は、こんな人しかいない。

だから雫石は弱みを見せないように、心をさらけ出さないように、微笑みで全てを隠した。



『あの人は、そんなことはないのかしら』


思い出されるのは、いつも1人でいる姿。

どこかのグループにいるわけでもなく、誰かといる時は決まって1人の男子と一緒。

女子の友人と仲良くしているところは見たことがない。


あの薄茶色の瞳は、雫石を見ることもない。


『あの人には、どんな世界が見えているのかしら』


それが少しだけ、気になった。




「ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ。お嬢様」


家に帰ると、ばあやが迎えに出てきてくれた。

雫石が小さい頃からずっと世話をしてくれている、老婆である。


しわくちゃの顔に雫石よりも小柄な体でありながら、一度も背中が丸まっているところを見たことがない。

ぴんと伸びた背筋に、足運びから指先まで乱れることを知らない。


厳しいところも多いのだが、雫石を思ってのことだと分かっているから、雫石はばあやが好きだった。


「お母様は?」

「お稽古場におられます」

「分かりました」


自分の部屋で制服から着物に着替え、稽古場に向かう。


稽古場に入る前に一度座り、姿勢を正す。

襖を開け、一礼する。


「ただいま帰りました」


「お帰りなさい。雫石」

「お帰りなさい」


少し厳格そうな声と、明るく楽しそうな声が雫石を迎える。

雫石が顔を上げると、母親の隣には2歳年上の姉の姿があった。


「お姉様もいらっしゃっていたのね」


優しい姉の姿を見て、顔がほころぶ。


「雫石の試験の結果がどうだったのか、聞きにきたのよ」

「お姉様も、同じ中等部でしょう」

「3年生が1年生の校舎に行くと、騒ぎになってしまうのよ」


それもそうか、と雫石は納得する。

姉は学園のマドンナ的な存在で、生徒からの人気が高いのだ。


「それで、どうだったの?」

「急かすのは、はしたないわよ」


ワクワクしている姉を母親はたしなめているものの、試験の結果が気になるのか厳しく怒ることはなかった。

雫石はそんな2人の気持ちに応えるように、笑顔で返した。


「1位だったわ」

「そう。頑張ったわね」


稽古では厳しい母だが、雫石の成績をいつも褒めてくれる。

その時の優しい目が、雫石は好きだった。


「さすが、雫石だわ」


姉も嬉しそうにしているのを見て、雫石も嬉しくなってくる。



「中等部はどう?何かあったら、私に言うのよ」

「大丈夫よ。お姉様」


姉は、いつも雫石のことを心配してくれる。

姉が何を心配しているのかも分かっていたが、雫石は姉を安心させるように微笑んだ。


「中等部の図書室は初等部よりもとても大きいから、本をたくさん読めることが嬉しいの」


姉は、少し困ったように微笑む。

しかし、深く聞いてくることはなかった。


「中等部は初等部よりも広いから、迷子にならないように気を付けてね」

「はい」


「そろそろ、稽古を再開しますよ」


お喋りの時間はもう終わりである。



雫石は、日本舞踊優希流の家元の娘だ。

その名に恥じないように、母の顔に泥を塗らないように、稽古をしなければいけない。

手を抜くことも、さぼることも、許されない。

それが、家元の娘に生まれた者として当然のことなのだ。



いつも使っている扇子を握ると、手に馴染んだ感触が伝わってくる。


いつもと変わらないはずのそれは、今日は少しだけ、重く感じた。



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