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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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76 名のない想い⑤


『あの男…もう少し強めに殴っておくべきだったな』


翔平は家に帰り、いまだに消えない怒りを抑えようとしていた。

純に何もなくて安心したはずなのに、あの男に対する怒りが消えない。

一発殴っただけでは足りないほどの怒りだった。


少し落ち着こうと、深く息を吐く。


とりあえず制服から着替えようと服を脱いでいると、扉を叩く音がした。


宇津巳(うつみ)か?』


自分専属の執事かと思い、上半身はまだ着ていなかったが、まぁいいかと思い扉を開けた。



後から思えば、気配で自分の執事ではないことくらい分かったはずなのだが、この時の自分は冷静ではなかったらしい。


「着替え中?」


扉の外にいたのは、執事ではなく純だった。

自分が半裸であることに気付き、慌てて扉を閉める。


『何でいるんだ…』


急いで適当に上を着て、もう一度扉を開ける。


「ごめんごめん」


一応人の着替えを見たことに対して謝る礼儀は持っているらしいが、全く心のこもっていない謝罪である。

ちゃんと服を着ずに出た翔平が悪かったのだが、男の半裸を見て少しも動揺していない純もどうかと思う。



「何しに来たんだ?」


執事に案内されて来ていないということは、どうやら玄関からは来ていないらしい。


純が翔平の家に来る時は、正面から案内されて来ることは少ない。

大体は、翔平の家にある厳重な警備システムを突破して来るのだ。


警備の人間がその度に青い顔をするのでやめてほしいのだが、何度言ってもやめようとしないので、もう言うのも諦めている。



純は慣れたようにいつも座っているソファーに座るが、そのまま黙り込んでしまう。


これは、何か言いたい時の純の癖である。


翔平や雫石に対して何か言いたいことがある時、純はたまに黙り込むことがある。

いつもの純なら自分の言いたいことをそのまま言うのだが、時々こうやって何か考えているような、言葉を選んでいるような沈黙がある。


こういう時はこちらから話しかけない方がいいと分かっているので、さっき着替えた服を片付けながら寝室に上っていく。


『本当に何しに来たんだ?』


今日はいろいろ嫌なことがあったので、その気晴らしに来たのかもしれないと思った。

純は、昔から用がなくても家に来ることは多い。



「シャツを下に置いてきたな…」


そういえば、ソファーに適当に掛けていた気がする。

面倒だと思いながらもう一度下に下りようと寝室の扉を開けて階下を見ると、純がソファーの背もたれに寄りかかって目を瞑っていた。


『珍しいな。寝てるのか?』


純が人前で寝ることはまずない。

人一倍気配に敏感で、一定の距離に人が近付いてくると目が覚めてしまうからだ。

それも、人の家で寝るのは珍しかった。


『今日は少し疲れていたのかもしれないな…』


その思考がきっかけで、また今日のことを思い出して怒りがわいてくる。

しかし、純がいることを思い出して怒りを収めて自分を落ち着かせる。


起こすのも悪いかと思って少しその珍しい光景を上から眺めていると、自分のシャツが純の寝ているソファーに掛かっているのに気付いた。


『あれは…取りに行けないな』


恐らく、今いる場所から少しでも近付けば起きてしまう。

せっかく寝ているのに、起こすのは気が引ける。


「ん……」


純の声がして起こしたかとびっくりして見ると、寝返りを打っただけらしい。


『起こすか…?』


珍しい光景だからと何となく眺めているが、異性が寝ている姿を見ているのはそもそもどうなのだろうかと悩み始める。



そう思いながらも目を離せないでいると、寝返りを打って姿勢が変わったせいで純の顔にちょうど翔平のシャツがあたってしまっていた。

あれは、さすがに純に悪い気がする。


起こしてでも取りに行こうと、階段を下りようとする。


純が少し動いたので起きたのかと思ったら、猫のようにシャツに顔を擦りつけると、居心地の良い場所を見つけたかのようにそのまま眠ってしまった。


「っ………!!」


『な、何だ、あれ…』


その光景に、さっきまで頭の中にあった怒りが全て吹っ飛んだ。

人よりも鼻が良くて匂いに敏感なはずなのに、翔平のシャツを枕のようにしてすやすや眠っている。


何だか見てはいけないものを見てしまったような、何故か見ていて恥ずかしいのに、目を逸らせない。

顔が火照って、赤くなっている気がする。


怒りとは違う何かが頭の中でグルグルと混乱し、動揺して階段を一段踏み外し、音をたててしまった。


「ん……?」


さすがに起こしてしまったらしい。

純は目を開けてぼーっとした後、キョロキョロと周りを見ている。


翔平は全身全霊をかけて赤くなった顔をいつもの顔に戻すと、何事もなかったかのように階段を下りた。



翔平の姿を確認すると、純はやっと自分がどこにいるのか分かったようだった。


「翔平の家に来てたんだっけ。ごめん。寝てた」

「い、いや…気にするな」


少し様子のおかしい翔平に首を傾げつつ、純は自分が寝ていた場所にシャツがあることに気付いた。

どうやら寝ている時に下敷きにしてしまったらしく、少しクシャクシャになっている。


「ごめん。クシャクシャにした」

「気にするな…」


純から返されたシャツは、確かにクシャクシャになっている。


「翔平が近くにいると気が抜ける。人がいるのに寝るなんてないのに…」


純は自分が寝てしまったことに納得がいっていないようだ。

自分に対して、少し腹をたてている。


純の言葉を聞いてまた顔が赤くなりそうなのを、翔平は必死に我慢する。



「…お前、何しに来たんだ」


平常心を保とうと、話題を切り替えることにした。


「特に用はないんだけど。翔平が怒ってたから」

「俺が…怒ってたから、来たのか?」


純はこくりと頷く。


「昔から、わたしのために怒ってくれるでしょ」


純は、本気で怒ることがあまりない。

他人のやることにそこまで興味関心がないからだ。

怒りを覚えるほど、心が揺さぶられることが少ないのだ。

そのせいか、昔から翔平が純の代わりに怒っていた。


クラスメイトが純の悪口を言っていた時。

髪と瞳の色が変わっていることをからかわれた時。

誰かが純のことを「化け物」と呼んだ時。


純は別に、何とも思わなかった。

でも、翔平はそれを聞いて怒っていた。


翔平が怒っている姿を見て、自分は怒ってもいいだけのことをされたということが分かって、興味深かった。

純には、そういう気持ちがあまり分からない。



「だから、一応お礼言っておこうと思って」


純は翔平の目を見て柔らかく微笑んだ。


「ありがとう」


翔平は、その一言で自分の中に燻っていた怒りが波が引くように無くなっていくのが分かった。

純のたった一言で、自分の心は浄化されていくようだった。


「いや、たいしたことじゃない。お前が無事で本当に良かった」


翔平も純の目を見て微笑む。



誰よりも側にいたいと思った。

笑顔にさせたいと思った。

一番理解したいと思った。

ずっと、大切に思っている。



『でも…』


翔平の心の中には、小さな疑問があった。

昔から、分からないことだった。


純は翔平の落ち着いた様子に安心したようで、帰ろうと立ち上がる。


「あ、待て…」

「なに?」


『しまった…無意識に呼び止めた』


何かを聞こうとしてつい呼び止めてしまったのだが、何を聞きたかったのかは分からない。



「…うちの警備システムは、そんなに破りやすいのか」


考えた結果、全く違う質問をした。


「外に対する警備はまぁまぁだけど、一旦中に入ってからの警備は甘いかな」


純はいたずらっぽく微笑む。


「じゃ、またね」

「…あぁ、またな」


純は軽く手を振って帰っていった。

あの様子だと、帰りも玄関からは帰らないだろう。


純の微笑みにつられて、自分も微笑んでいるのが分かった。



しかし純の姿が見えなくなると視線を落とし、手に握っているシャツを見る。


さっきから、動悸がおさまらない。


自分は何を聞こうとしたのか、それすらも自分では分からない。


何か聞けば、何か変わったのかもしれない。

それは、昔から思っていたことだった。


でも、聞いて何かが変わってしまうことが恐くて、いつもそれを見ないふりをしていた。


「はぁー…」


しゃがみこんで深いため息をつくと、クシャクシャになったシャツを見つめた。


「俺は……」


そのあとの言葉が出てくることはなかった。



この気持ちに、何という名前をつければいいのか、分からなかった。



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