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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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75 名のない想い④


「では、見せてもらうことにしよう」


そう言って、サリファの顔が少しずつ純に近付く。



サリファの唇が純に触れそうになった時、講堂の扉が音を立てて乱暴に開いた。


サリファが驚いてそちらを見ると、いつの間にか漆黒の瞳がすぐ目の前にあった。

その漆黒の瞳に自分の顔が映っているのを見た瞬間、顔面に衝撃を受けて体が後ろに吹っ飛んだ。


「…なっ…」


一瞬のことで何が起きたのか分からなかったが、顔が熱くて触ってみると、ぼたぼたと血が流れていた。

そこでやっと、顔を殴られたと気付いた。



そんなサリファには目もくれることなく、翔平は純に駆け寄る。


「大丈夫か?」


純は突然現れた翔平に驚くこともなく、頷く。


「何もされてないか?」

「肩と髪を触られたくらい」


その一言で、翔平の目が据わる。


「…肩と髪だと」


まるで地の底から這いずって来たような低い声に、純は少し首を傾げる。


「別に触られただけ…」

「どこを触られた」

「…ここ」


翔平の勢いに押され、肩と髪をすかれたあたりを指差す。

それを見て翔平は不機嫌そうに顔を歪めると、その場所を少し乱暴に撫でる。


「…何?」

「あの男に触られたのは気持ち悪いだろ」

「洗えば…」

「気持ちの問題だ」


よく分からないが、怒っているようなのであまり触れずに放っておく。



少しすると気が済んだのか、手が離れる。


翔平は、やっと安心して純の瞳を見た。

薄茶色の瞳は不機嫌ではないし、動揺もしていない。

いつも通りの表情で自分を見つめ返している。

本当に何もなかったと分かり、強張っていた体の力が少し抜けた。



少しすると、他の4人も息を切らしながら講堂に入ってきた。


「翔平、走るの速すぎ…」

「見失うかと思った…」


皐月と凪月は、肩で荒く息をしながら膝に手をついて休んでいる。

雫石は特についてくるのは大変だったようで、胸を押さえながら晴に支えられている。


翔平が本気で走れば誰もついてくることはできないので、見失わなかっただけでも十分である。


「純、大丈夫だった?」


雫石が心配そうに純に駆け寄る。

純は安心させるように微笑んだ。


「大丈夫」

「そう…本当に、良かったわ…」


雫石は座り込みそうなほど安心している。

晴たちも純の無事を確認し、ほっと息をついた。



その中で、サリファだけが怒りを爆発させていた。


「くそっ!何でここが分かった!」


この辺りは人気がなかったし、建物は自分が指定した。

こんなに簡単に来られるはずがなかった。


それに答えたのは、純だった。


「ヘンゼルとグレーテルって知ってる?」

「は?」


純がポケットから出したのは、キャンディーの入った瓶だった。

紅茶を淹れていた時に拝借したものだ。


翔平たちに自分の居場所を教える必要があったので、サリファにはバレないように道しるべとして落としていたのだ。

学園内はかなり広いが、ある程度ヒントを残しておけばあとは翔平が純の気配を察知して見つけるだろうと思っていた。


サリファが人を想うことがどうのこうのと言っていた時には翔平の気配がかなりの速さで近付いてきていたので、純としては雫石が着いてくるのが大変だろうなと考えていた。



純はサリファの顔を見て、面白そうに微笑んだ。


「やっぱり、鼻を折ればユニークな顔になると思った」


その言葉で自分が殴られたことを思い出したのか、サリファは翔平を指差して睨みつける。


「お前、俺に手を出したな!分かっているのか。学園がどうなっても知らないぞ!」


翔平は、人を殺せそうな目でサリファを睨む。


「あんたに学園をどうにかさせるつもりはない」

「何だと?」

「どうやらあんたは自分の国の中での評判が最悪らしいな。女好きで手がはやいと」

「なっ…」

「それに、あんたが日本で手を出した女性の中に大企業の娘がいた」


翔平たちはサリファの国の情勢やサリファ自身の情報を集め、追い詰められるだけの弱点を探し出していた。

その中で、その女性のことが浮かび上がったのだ。


「その人の妹がこの学園にいてね。話を聞いたよ。なんでも、親がすごい怒ってるんだって。当たり前だよね、大事な娘がもてあそばれたんだもん」

「浅黒い肌に黄色がかった瞳をしたイケメンを血眼になって探してるんだって」


皐月と凪月は、人の悪い笑みを浮かべる。


「「あなたをその人に突き出したら、面白いと思わない?」」

「な……」


やっと現状での自分の不利を悟ったのか、サリファは顔を殴られたことも忘れて焦り始める。


「いや…いや、しかし俺の母親はここの理事長を知っている。母に頼めば大丈――」

「あら、知りませんでした?あなたのお母様と理事長は、旧知の友人だそうです。友人の大切な生徒の家族に手を出した息子を、許してくれるでしょうか」


雫石は、いつもの微笑みを浮かべたままだ。

その美少女の笑みに、サリファは恐怖を覚えた。


だんだん青くなっていくサリファの顔色は、晴の一言でさらに悪くなる。


「あなたが手を出した女性の家の取引先には、あなたの国の中でも一番大きな企業があるそうです。この事実が分かれば、その取引はやめるでしょうね。つまり、あなたの行動一つで自分の国に大きな損害を与えることになるんです」

「そんな…馬鹿な…」

「あんたは国に帰れるか分からなくなってきたな。自業自得だ」


「……何が、望みだ」

「望み?」

「それを見過ごす代わりに、お前たち望みを――」


「ふざけるな」


翔平の声は地を這うように低く闇色で、瞳には一切の光がなかった。

それは、晴たちが見たこともないほどの怒りだった。


「俺たちはあんたを許すつもりはない。あんたを突きだすのはすでに決まっていることだ」

「なっ……」

「俺たちは学園を守るために存在する。あんたが学園を脅した時点で、敵と見なした。容赦するつもりはない」


サリファは、翔平の力強い言葉にうなだれている。



「それに…」


翔平は純を見た。


「こいつに手を触れたんだ。許すわけないだろ」


「「…………」」


この緊迫した状況で、純以外の4人は呆気にとられた。


『いや、最後完全に私怨じゃん』

『つぼみとしての仕事関係なくなーい?』

『告白みたいに聞こえるんだけど…おれだけかな』

『本当に、当たり前すぎて気付いていないのよね…』


4人は、揃ってため息をついた。



翔平が今回平常心を保てず、あそこまでの怒りを持っていたのは学園を人質にとられたからではない。

純をとられたからだ。


いつも物事を客観的に見て冷静に判断を下す翔平だが、純のためとなるとそれが崩れるらしい。

感情的になり、見境がなくなる。



純はそんな状態の翔平にも特に驚くことなく、いつも通りの表情で翔平を見つめていた。




「今回の理事長の目的の1つは、あの人のお母様の願いを聞くことだったのね」


サリファを母親のもとに返し、波乱の1日を終えた雫石たちはやっとつぼみの部屋で一息つくことができていた。


すでに日は暮れ、あたりは薄暗くなってきている。


「母親は多少痛めつけてでも、あの女好きでいろんなところで遊びまくる息子をどうにかしたかったみたいだねー」

「もう1つは、娘さんに手を出された大企業の社長に感謝されるためかな」

「そうだね。自分の娘にひどいことをした男が見つかれば嬉しいだろうし」


皐月は、はぁとため息をつく。


「理事長が少し早めに指令を出してくれれば、客人のことを調べる時間もあったのにさー」

「僕らに調べさせるつもりはなかったんだろうね」


そこが、理事長の優しくないところである。



「もしかしたら、純のことを気に入ると分かっていらっしゃったのではないかしら」


雫石は、サリファが言っていた言葉を思い出す。


「私のことは好みではないと言っていたわ。もし純が気に入られることが分かっていたら、翔平くんが怒ることも想定内だと思うのよね」

「…つまり、翔平があの人のこと殴るのも想定内ってこと?」


王族を殴ってしまったのはさすがにまずいかと思ったのだが、母親の方は「よくやってくれた」という反応だった。

どうやら、息子の女遊びにかなり手を焼いていたらしい。


「痛い目に合わせることが目的であるのならば、翔平くんを怒らせるのが一番でしょうから」


晴を怒らせても、皐月と凪月を怒らせても拳は出ない。

普段の翔平なら簡単に暴力は振るわないが、純をとられた翔平の怒りはすさまじかった。



皐月は、空席になっている2つの席に目を向ける。


純と翔平は、先に帰ってしまった。

翔平はまだ怒りが冷めやらない様子だったが、純はいつも通りだった。


「翔平ってさ、純のこと特別に思ってるよね」

「そうそう。あそこまで怒ったのも、純に手を出されそうになったからだよね」


凪月の共感に、晴も頷く。


「最後に言ってた言葉、告白みたいに聞こえたね」


3人の指摘は、2人のことを見ていればもっともなものである。


「翔平くんにとって純は、大切な存在なの」


それは、2人に出会った頃から気付いていた。

翔平の純に対する想いは、ただの友人に対して向けるものとは違う。

何よりも大切に想い、側にいたいと願っている。


『でも…』


「でも、翔平くんにとってはそれが当たり前すぎて、その想いが世間一般ではどういうものなのか気付いていないの」


「それって…」

「やっぱり…」


「「恋?」」


「名前を付けるのなら、そうなのかもしれないわ」


しかし、翔平の想いはそれを超えるほどに大きい。


「私はずっと、翔平くんが自分の想いにちゃんと気付いてくれることを願っているの」


誰かが指摘するのでは、だめなのだ。

その想いがどういうものかを教えられても、きっと翔平はその想いを殺してしまう。

翔平が自らその想いに気付かなければ、その想いを育むことはできない。



『そして、他人からの愛情を拒絶する純を変えてほしい』


純がこのまま他人からの愛情を拒絶し続ければ、純は家族以外に大切な人をつくれない。

純は、必要としていないのかもしれない。

それでもこのままでは、純はいつか独りになってしまう。


雫石では、だめなのだ。

雫石の友人を思う気持ちでは、純の心は変わらない。


『だから…』


純のためにも、翔平のためにも。


その想いに名前が付く日を、雫石はずっと願っている。



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