74 名のない想い③
「みんな、友達思いのようだな」
「そうですかね」
「君も、友達思いのようだな」
「そうですかね」
純は愛想のない返事をしながら、紅茶を淹れていた。
香りの強いフレーバーティーの茶葉の缶を手に取り、ポットの中に茶葉を入れる。
それをお湯で蒸して数分待つと、カップに注ぐ。
お菓子はたいしたものはないが、クッキーやサンドイッチなどの簡単なものが揃っている。
『毒盛りたいな…』
ここでこの男が急病にでもなれば、この苦痛から解放される。
しかしさすがにそこまですると祖母に迷惑がかかりそうなので、毒を盛るのは諦めながら紅茶を淹れる。
その時ふとあるものに目を向けると、それを手に取った。
今は、人気のない庭でお茶が飲みたいという訳の分からない要望を出されたので、それを実行している最中だった。
純とサリファがいるのは、薔薇園の片隅にある東屋である。
今はちょうど薔薇の季節なので、東屋の周りには学園の庭師が手入れした薔薇が美しく咲いている。
すでに夕方に近い時間帯なので、薔薇園に人気はない。
薔薇のむせるような甘い香りと紅茶の香りが相まって、鼻が良い純は気持ち悪くなりそうだった。
ついでに、この男の香水もかなりキツイので臭い。
鼻が曲がりそうである。
サリファは純が淹れた紅茶を飲むと、満足そうに笑う。
「旨いな。お茶を入れるのが上手な女性というのはいい」
「そうですかね」
さすがに愛想のない返事にしびれを切らしたのか、サリファは余裕のある笑みを口に浮かべて自分が据わっているベンチの隣を指差す。
「こっちに来て座ってくれるか」
「遠慮します」
「そんなに反抗的でいいのか?」
純はそれを横目で見ると、面倒くさそうにため息をついた。
そして指し示されたところに座ると、肩に手を回される。
「俺の願いを聞いておけば、この学園には何もしない」
サリファは嬉しそうに笑った。
こうやって自分の名前と力を使えば、逆らう人間はいない。
自分の国でも、そうしていろんなところで遊んだ。
日本に来てからも、物珍しかったので遊んだ。
母親に言われてここに来たものの、日本の高校生なんてまだ子供だろうと思って期待していなかった。
しかし、思っていたより好みの子が見つかったので来た甲斐があった。
隣で特に表情を変えないまま座っている少女を見る。
太陽の光が当たって銀色にも見える髪は絹のように細く、指で梳いたら心地良さそうである。
肌は透けるように白く、陶器のようになめらかだ。
瞳も薄い色をしており、瞼を閉じると長い睫毛が目立つ。
一緒にいた黒髪の少女も綺麗な子だったが、こちらの少女の方が自分好みだった。
薔薇や牡丹のような華やな美しさではなく、匂い立つような美しさがある。
「君は、日本人か?」
ふと浮かんだ疑問を、そのまま尋ねる。
最初は一緒にいた双子のように髪を染めているのかとも思ったが、瞳の色を見ると地毛であることが分かる。
ただ日本人にしては珍しいほど、色素が薄いのだ。
「日本人です」
純は興味なさげに、事実を答える。
国籍も生まれも育ちも、純は日本である。
「ハーフかクォーターか?」
それでもまだ納得していない様子のサリファに、純は面倒くさくてため息が出そうだった。
「日本人でも色素が薄い人間はいます」
外国の血が入っているかは関係なく、日本人がみんな黒髪黒目なわけではない。
純の髪色は一般の学校であれば間違いなく頭髪検査に引っかかるレベルだが、静華学園はそのあたりはゆるいので教師に注意されたこともない。
皐月と凪月がオレンジ色の髪でもつぼみにいるのがその証拠である。
「そういうものか」
日本人はみんな同じような色合いだと思っていたが、どうやら違うらしいと納得する。
愛想もなく、サリファへの関心もなく、ただただ無表情のままの少女を見ながら、この後どうしようか考える。
そしていいことを思いつくと、隣にいる少女に微笑みかけた。
「お茶は飽きた。学園の中を案内してくれるか」
「分かりました」
「人気のないところがいい。人混みは苦手なんだ」
純はその言葉に、視線だけでサリファを見る。
しかし、否とは言わなかった。
純とサリファは、ある講堂に来ていた。
要望通り、人気はない。
高等部の敷地でも隅の方にあるため、何かあっても誰にも気付かれないような場所だ。
数十人ほどしか入らないような小さな講堂の中には机と椅子が並び、窓ガラスはステンドグラスになっている。
外から陽の光が差し込み、ステンドグラスを通して木地の壁に色とりどりの光を映している。
少しずつ陽が傾いてきたため、太陽の眩い光りが部屋を差す。
純はそれが眩しくて、少し目を細めた。
サリファは太陽に照らされたその姿を見て、興味がわいた。
「君は、好きな人がいるのか?」
「いません」
「今まで人を好きになったことは?」
「ありません」
「ほう」
その答えは少し意外だった。
これほどの容姿であれば、想いを寄せられることは多いだろう。
しかし、その答えは自分にとって好都合だった。
「人を想う気持ちを、俺が教えてあげようか」
「遠慮します」
「なぜ?」
「あなたはそれを教えられるほどの人間じゃないでしょう」
それには、少しムッとする。
人を想ったことのない少女に言われるのは腹が立つ。
「俺は経験豊富だぞ」
「女を引っかけて遊んでるだけでしょ」
「…なぜそう思う」
「さぁ」
純は適当に誤魔化し、サリファを一瞥することもなく講堂の中を見渡す。
男と2人きりでも余裕のある姿に、少し分からせてやろうと思い立つ。
サリファは、口元に甘い笑みを浮かべて純に近付く。
それに対して、純は下がった。
しかしそのまま後ろに下がっていると、純の体は机にあたった。
サリファはそれを満足そうに眺め、少しずつ純に歩み寄っていく。
「やはり美しいな」
「見た目が気に入ったのなら似た人形でも買ってください」
「君は分かっていないな」
サリファは純の目の前まで来ると、甘い笑みを浮かべる。
「人を想うということは、その相手の心を手に入れたいと思うことだ」
純はそれに、興味なさげな視線を返す。
「愛おしい。側にいたい。離れたくない。相手の心の全てに、自分がいてほしいと願う」
誰かを想う時、人は貪欲なまでに全てが欲しいと望む。
「まぁ、望むのは心だけではないがな」
サリファは、純の髪に手を伸ばす。
純はそれを、払いのけた。
「…いいのか?」
サリファはその言葉だけで、純を脅す。
自分を見て嬉しそうにしているのを見て、純はその顔を潰れた虫でも見るかのような視線を向けた。
『本当に好意だったのか』
純は、この男が言っていた自分に一目惚れしただの、美しいという言葉を特に信じていなかった。
純が皐月と凪月に言った言葉は嘘ではない。
純は自分に対する好意に興味がないため、好意を寄せられても気付きづらかった。
自分を好きになるという人間の思考が理解できないのだ。
だから今回も、好意とは言いつつ別の思惑があるのではないかと思っていた。
しかしどうやらこの状況を見るに、純に対して好意を持っているのは嘘ではないらしい。
『意味分かんない』
好意だけで人に近付くことに何のメリットがあるのか、純には分からない。
興味がない。
関心がない。
どうでもいいことだった。
サリファは純の髪をすき、手でもてあそんでいる。
純は面倒くさそうに目の前の顔を見た。
鼻を折ったらユニークな顔になりそうだと思った。
「もう少し可愛い顔をしてくれると嬉しいんだが」
「そんな顔はないので」
「俺は女の子の可愛い顔を見るのが好きなんだ。あとはそうだな…怯えた顔でもいい」
サリファは支配者のような顔で微笑む。
しかし、純の表情は変わらなかった。
「そんな顔もないので」
「では、見せてもらうことにしよう」
そう言って、サリファの顔が少しずつ純に近付く。
純は、それをただ無表情のまま見つめ返した。




