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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
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閑話① 馬


「…お嬢様。これは一体どういうことでしょうか」


翠弥生の屋敷に仕える執事であるシロの目の前には、立派な黒毛の馬が一頭いる。


ここは、翠弥生の屋敷である。

犬や猫なら分かるが、何故馬がいるのか。


馬の手綱を握っているシロの主人は、何でもないように答えた。


「いい子だから連れてきた」

「…学園の馬ではないのですか?」

「連れていっていいって言質とったよ。軽く脅したけど」

「何をなさっているんですか…」

「対価はちゃんと払ったから大丈夫」


シロは頭を抱えたくなった。

何を対価にして払ったのかは分からないが、軽く脅したと言っているということは学園の職員は一度難色を示したのだろう。

その結果として馬がここにいるということは、一体何をしたのか。


弱みを握ったとか、詐欺まがいのことをして誓約書にサインをさせたとかではないことを祈りたい。


シロの困惑をどう捉えたのか、純は安心させるように頷く。


「大丈夫。(さかき)さんに(うまや)造ってもらったから。今度、乗馬場も造ってくれるって」

「榊さん…」


すでに外堀を埋めていたと知って、シロは額に手を当てる。


榊とは、この屋敷の庭師である。

どこからどこまでが庭なのか分からないほど広い翠弥生の屋敷の庭を任されており、庭師なのにものづくりが得意な人物である。

正直、得意という範疇を越えており、榊に作れないものはない。


そして頼まれたからといって厩を造ってしまうことからも分かる通り、ここの使用人は純に甘い。


「…だめ?」


純は、自分の執事の厳しさをよく知っている。

純に令嬢らしさを求めるシロは、純の自由な行動を諫めることのできる数少ない人物なのだ。


シロは、目の前の黒毛の馬を見る。

額に白毛の筋があり、しなやかな体躯に均等のとれた筋肉がついている。学園の馬ということもあり、かなりいい馬だ。


シロはもう一度純を見ると、ため息をついた。

自分も大概、純に甘い。


「いいですよ」

「やった。いいってさ」


純は黒毛の馬を撫でると、嬉しそうにしている。


「私もできるだけ世話をしますが、お嬢様自らお世話をしなければなりませんよ。馬は人を選びますから」

「分かってる。でも、きっとわたししか選ばないよ」


首を撫でると、黒毛の馬は頭を下げたように見えた。


「名前は、どうされますか?」


純が飼うのであれば、純が名前を付けるべきだろう。

純は黒毛の馬を見ると、少し首を傾げる。


「クロシロ?」

「…理由をお聞きしてもよろしいですか?」

「黒と白だから」


どうやら、全体の黒毛と額の白い筋を見て思いついたらしい。


シロのお嬢様は、どうやらネーミングセンスはあまりないらしい。

自分が「シロ」と呼ばれていることからもよく分かる。

もちろん、シロの名前は「シロ」ではない。


純に名前を提案された馬は、不満げにブルブルと頭を横に振っている。


「駄目か」


馬の意志が分かるらしい。

何故か、意思疎通ができている。


「黒いから…」


純は、馬を見てうーんと考え込んでいる。


「闇。夜。海苔。イカスミ。カラス」

「…お嬢様。食べ物はともかく、違う動物の名前をつけるのはいかがなものかと」


馬も、蹄で地面をかいて納得していないようだ。


「見た目に囚われずにつけるのも良いと思いますよ」

「そっか」


純は気付かなかったようで、シロの指摘に納得している。


「じゃあ…」


純は、真っ黒くて丸い瞳を見つめる。


「6月に会ったから水月…じゃ長いから、スイ」


水月とは、6月の異名だ。

黒毛の馬は、首を縦に振ったように見えた。


「じゃあ、スイね。これからよろしく」


スイは嬉しそうに純に頬ずりしている。


『そのまま6月と名付けられなかったあたり、成長されたようだ』


シロは、自分のお嬢様の成長に少し安心した。




「榊さん」


純が呼びかけると、薔薇の生垣の向こうから白髪の頭が現れる。


「おや、純様」


小柄な老人は剪定していた薔薇から顔を上げると、純に頭を下げた。

純は、馬の首を撫でながら嬉しそうにしている。


「シロが、いいって言ってくれた」

「それは、ようございましたね」


黒毛の馬は吸い込まれそうな丸い瞳に、額には一筋の白毛がある。

顔つきがよく、頭が良さそうだ。


「良い馬ですね。お名前は何というのですか?」

「水月からとって、スイにした」

「なるほど。水に映る月…闇の水面に明るい月の光が差す様子が、この黒毛と光を映す丸い瞳によくあっていますね。良いお名前です」


榊は目尻のシワを深くして納得しているが、シロは優秀な庭師の勘違いにきちんと訂正を入れた。


「…榊さん。お嬢様にそこまでの感性はありません。6月に会ったから、という簡単な理由です」


元々、クロシロやイカスミと名付けそうになっていたくらいネーミングセンスがないのだ。

純は普段から芸術関係に興味関心がないので、そこまでの豊かな感性はない。


「おや。それは余計な勘違いをいたしました」


榊は、申し訳なさそうに眉を寄せている。

純は隣にある黒くて丸い瞳を見つめた。

そこには、確かに光を映している。


「水に映る月か。それいいな。もらうね」

「?」

「6月に会ったからっていうのと、水に映る月みたいだから水月。どう?」


純は、馬に尋ねている。

榊には馬の表情は分からなかったが、純は満足そうに微笑んだ。


「スイも気に入ったって。ありがとう、榊さん」

「私がお役に立てたなら何よりでございます」


「お嬢様も、榊さんくらい感性を豊かにされた方がよろしいかと思いますよ。手習いで絵画を描かれても、手本と全く同じように描いてしまわれるのですから」

「本物と同じように描けるんだからいいじゃん」

「そういうことを言っているのではありません」


純は絵を描いても、本物と全く同じものを描けるのだ。

誰が見てもどちらが本物か分からないくらいで、優秀な贋作家になれることは間違いなしだった。

しかし高い技術を持ちながらも音楽や美術などの芸術系に全く興味がないので、感性は育たない。


『お嬢様ご自身が、そういったことを避けているせいもあるが…』


シロとしてはもっと感性を豊かにしてほしいと思っているのだが、純はそれを望んでいない。

シロはそっとため息をつくと、この思考から抜け出した。


「榊さん。厩はどちらに?」

「裏庭の一番奥に造りましたよ。乗馬場ももう少しで完成しますから、あと少々お待ちください」

「相変わらず仕事が速いですね」

「いえいえ」


榊は何事もないように言っているが、純が榊に馬を飼いたいと言ってから3日も経っていないはずだ。

この屋敷には庭師は榊だけなので、その短期間で1人で造ってしまったのだ。


榊は物作りが得意で、そのスピードは人並み外れている。

以前、純が学園で使ったよくできた張りぼての楽器を作ったのも、榊である。

翠弥生の屋敷の外に広がるどこかの牧場のようにだだっ広い庭を1人で管理できるのも、その能力ゆえだった。


「榊さんがいなかったら、スイはうちに来てなかったかも」


純はスイの首を撫でて微笑んだ。


「ありがとう。榊さん」

「勿体ないお言葉です」



純は早速スイを厩に連れて行こうと楽しそうにしている。

榊はそんな姿に笑みを浮かべながら、純のために造った厩へ案内した。



その日、翠弥生の屋敷にスイという名の一頭の馬が仲間入りしたのだった。


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