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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
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71 狙うもの⑥


コツ、コツ、という音が廊下に響く。


学園内の人間はほとんど閉会式に出ているのか、歩いていてもすれ違う相手はいない。

しんと静まった空間に、靴の音だけが反響して消える。



「さっさと帰ってください」


感情の見えない声が、少し離れたところから聞える。


誰もいなかったはずの廊下に、1つの影が現れる。

そちらに目を向けても、姿はない。

どうやら、自分の前に現れる気はないらしい。


「競技妨害をした審判も、医務室の医者も、医者が持っていた怪しい薬品も、全てこちらで押さえています。今さら行ったところで何もない」


黒い影は、風と共にゆらりと揺れる。


「何故、分かった」


久遠清仁は、短く尋ねる。


「体育祭は、つぼみが確実に公の場に出てくる機会。タイミングよく、祖母もいない。狙うには絶好の機会。隠れ蓑にできる馬鹿もいた」


その馬鹿とは、林原のことである。


「林原がつぼみを狙う計画を知って、それに乗じた」


つぼみを狙ったのは、林原である。

しかし、純を狙ったのは林原ではない。


「林原は、祖母の怒りを知っている。つぼみを狙っても、その孫を狙うことはしなかった」


弥生は身内の中でも、特に家族を狙ったものには過激とも言えるほどの報復を受けさせる。


「乗馬で落馬させて、医務室に運ばせる。落馬さえさせれば、怪我の有無は関係ない。無理やりにでも一度医者に診せる口実になる。医者を自分の手先にしておいて、運ばれてきたら眠らせればいい」



純は、今までの体育祭をほとんどサボっていた。

4月に剣道部員を打ちのめしただけでは、純の体育祭での価値は上がらない。


落馬というのは、最悪の場合は馬に踏まれて死に至る。

林原はつぼみを狙ったが、そのどれも軽傷で済ませられるようにしていた。

万が一大怪我でもしたら、つぼみの親が出てくるからだ。

あくまでも、言い逃れできる範囲でつぼみを狙っていた。

そんな小さい人間が、落馬させるような競技妨害をするわけがない。


落馬を狙った人物は、純の運動神経が人並みを外れていることを知っているのだ。

純なら、落馬をしたとしても死なない自信があったのだろう。

全く持って、いらない自信である。



「父は、君を諦めない」


それは、ただの事実を告げるような声だった。


清仁の父、栄太朗には、この少女しか見えていない。

どんな手段を使っても、手に入れようとしている。

まるで1つの獲物しか見えていない捕食者のように、狙い続けるだろう。


さぁーっと風が流れ、黒い影が揺れる。



「久遠様。どうなさいましたか?」


男の声に視線だけやると、細目の男が顔に笑みを浮かべて立っている。

視線を戻すと、影はいつの間にか消えていた。


「出口まで、ご案内いたしましょう」


『…ここまでか』


これ以上ここにいても、何も収穫はないだろう。


清仁は特に何も言うことなく、歩みを進めた。

その後ろには、細目の男がぴったりとついてくる。

どうやら、学園を出るまで目を離すつもりはないらしい。


「理事長から、伝言でございます」


視線だけを後ろに向けると、細目の男がうっすらと目を開けている。


「首を洗え」


ぞくりとするような声が耳に届いた時には、細目の男はさっきまでの表情に戻っていた。

細い目はどこを見ているのかはよく分からず、笑っているようにも笑っていないようにも見える。


「さぁ、ご案内いたします」


そうして、出口までの道を先導する。



「首を洗って待っていろ」ではなく、「首を洗え」。

孫を狙われた翠弥生の怒りが、その言葉から突き抜けてくるようである。


『だからと言って、表立っては動けない』


久遠は翠弥生の怒りを受けても、その地位は盤石に保ち続けている。

久遠財閥は、それほどに揺らがない。

そして事が事だけに、両者とも表立っては動かない。


翠弥生と、久遠栄太朗は犬猿の仲である。

その理由は、誰も知らない。


たった1人の少女が理由であることなど、誰も知らないのだ。




「やっと、終わったな」


夜の帳が落ちた学園には、星が煌めいている。


閉会式には林原以外の来賓は予定通り出席し、つぼみも全員揃って閉会式を終えることができた。

生徒や来客もすでに帰り、学園の中はしんと静まり返っている。

今日中に行わなければいけない片付けは済ませ、つぼみはやっと息をつくことができていた。


そのまま家に帰る気分でもなく、なんとなくつぼみの部屋に集まっている。

雫石がコーヒーを淹れ、甘いクッキーを出す。


「激動の2日間だったね…」

「疲れたよ…」


体育祭の運営と競技に出場するだけでもかなりハードなのに、それに加えてつぼみを狙った犯人を探さなければならなかった。


皐月と凪月は隙間時間に爆発物と水風船を調べ、手がかりを探していた。


「みんな、お疲れさま」

「雫石もお疲れさま」

「無事で、本当に良かったよ」

「皐月くんと、凪月くんのおかげよ」


雫石は、2人にふわりと笑う。


「ありがとう。皐月くん、凪月くん」


皐月と凪月は思わずその笑みに一瞬時が止まったが、2人ともへにゃりと笑い返した。


「僕らの方こそ、ありがとう」

「ありがとう。僕らを、信じてくれて」


雫石が信じてくれたから、皐月と凪月はまた一歩前に進めた。

みんなが信じてくれたから、自分たちも自分たちを信じることができた。



コーヒーに口をつけた翔平は、ふぅと息を吐く。


「優希が気付かなければ、ここまで先手をとれなかったな」


来客の中につぼみを狙う人物がいるのではないかと気付いたのは、雫石である。


「晴が歌代家の人間からのメッセージにすぐに気付いたのも、助かった」

「自信はなかったけど…その情報から、すぐに決断した翔平もすごかったよ」


雫石と晴からの情報を元に来賓を罠にはめることを決めたのは、翔平である。


閉会式という全生徒が集まる場所は、つぼみを狙っている人物からしたら絶好のチャンスだと思ったのだ。

生徒の安全を第一に考え、来賓の中から尻尾を出してもらうためにも、一手を講じたのだ。



「あの林原さんっていう人がつぼみを狙ったのは、単純におれたちが気に入らなかったみたいだね」


皐月と凪月が感じた「舐められている」という感覚は、合っていたのだ。


4月にショッピングモールでつぼみを狙ったのも、林原だった。

あのショッピングモールは林原の会社が建設に携わっており、偶然つぼみの姿を見つけ、騒ぎに乗じて襲ったらしい。


そのことに気付いた歌代弦二は、体育祭の来賓の中に林原の名があることを知った。

そしてつぼみに警鐘を鳴らすために、情報を伝えてくれたのだ。


個人名を出さずに分かりづらいヒントで教えたのは、万が一誰かに中身を見られても言い逃れできるようにするためだろう。

体育祭という場所でつぼみが1人になることはほとんどない。

常に誰かの目が近くにあるため、警戒したのだろう。



林原は、つぼみが高校生でありながら強い権限を持っていることに不満を感じていたらしい。

晴が女子生徒から情報収集をした時にも、そういった噂を聞いた。


「つぼみのことをただの高校生だと思えば、そう感じるだろうな。俺たちは、権限を持ち過ぎている面もある」


体育祭に協力してもらう企業でどの会社に声をかけるかなど、全てつぼみの判断で選んでいる。

大人からすれば、年齢も立場も下の高校生に、上に立つようにして使われていると感じる部分もあるのだろう。


「僕らの連絡体制とか警備の見直しとか反省も多かったけど、何とかなって良かったよ」

「純が伝令役をやってくれなかったら、こうはいかなかったね」


純は、自分が出場する競技を捨ててでもつぼみのために動いてくれたのだ。


「「ありがとう。純」」


皐月と凪月から感謝の言葉を向けられ、純は何故か少し眉をしかめる。


「おれからも、ありがとう。急いでたのに、おれの呼びかけに応えてくれて」


純は、さらに眉をしかめる。

それを見て、ふふっと、雫石が柔らかく微笑む。


「みんな、純に感謝しているのよ。もちろん、私も」


しかめる眉がなくなったのか、そのまま首を傾げる。


「感謝くらい、素直に受け取れ」


翔平は純の反応に、呆れつつも笑う。


「お前の力もあったから、ここまでうまくいったんだ」

「別に…」


純は首を傾げたまま、口を開く。


「わたしは、感謝されるようなことはしてない」

「お前がそう思ってなくても、周りは感謝してるんだ。そういうものだと受け取れ」


何故か納得していなさそうだったが、純は首を戻した。

そうして立ち上がると、つぼみの部屋を出ていった。



「…あれ、怒っちゃった?」

「僕ら、なんかまずいこと言ったかな」


純が怒ったのかと心配する皐月と凪月に、翔平は小さく笑う。


「あいつは、誰かに感謝されることに慣れてないんだ。純の言動を見た人間は、大体が気味悪がって離れていくからな」


純は、自分が他人からどう思われていても興味がない。

だから、自分の思うままに行動する。

昔は今よりもそういった行動が多かったので、純の言動を理解できない人間も多く、気味悪がって離れていく人間もいた。


木の上に登ること。

屋根の上で昼寝をすること。

授業をさぼること。

行事やパーティーに出ないこと。


人形のような無表情。

他人に無関心な瞳。

意志の読めない言葉。


そういった純の姿を見て、理解できないと拒絶するのだ。



「3人が純のことを気味悪がらずに感謝したことが、よく分からなかったんだろうな」


純の言動を理解できないと拒絶していたら、感謝の言葉は出ない。


「おれたち、純にすごく助けられてるよ。気味悪がることなんてないよ」

「そうだよ。確かに不思議なところはあるけど、人ってそういうもんじゃん」

「僕らみたいに双子じゃないんだから、人のことを全部理解するのって無理だしね」


うんうんと頷く晴。

ねー、と互いの顔を見合う皐月と凪月。



『…本当に、メンバーに恵まれた』


純の友人として、つぼみの1人として、そう思った。


「…本当に、みんなが無事で終えられて良かった」


翔平の零れ落ちたような言葉に、晴も頷く。


「大きな怪我もなくて、本当に良かったよ」


つぼみが狙われているというのは、本音を言えば恐ろしかった。

自分が狙われているという以上に、仲間が狙われているという事実が恐怖だった。

仲間の身に何かあったらと考えるたび、背筋が冷える思いだった。


「誰か1人欠けていては、なしえなかったわ」


この6人だったからこそ、ここまで信頼し合って進めることができた。


「ほんと、みんなお疲れさま」

「これからも、よろしくね」


今回は改めて、仲間という存在の大切さを知った。

仲間からの信頼は、自分が一歩を踏み出す勇気になった。


どこかふにゃふにゃと体が揺れている皐月と凪月に、雫石が優しく微笑む。


「そろそろ、帰りましょうか」

「そうだね」


もう、夜も遅い。

眠気のせいでふわふわとしている2人を支えながら、雫石と晴が席を立つ。

翔平も椅子を引き、机の上を見た。


5つの花は、変わらずにそこに咲いていた。




「無事に終わったようね」

「うん」


真っ暗な理事長室で、純は電話を片手に窓の外を眺める。

空には月がかかり、星が遠くで輝いている。


電話の向こうから聞える声は、ほっと安心したような音だった。


「純が京極家から情報を盗んできてくれたおかげで、助かったわ」


純が京極家に翔平と侵入した時、純は書斎にあったパソコンからUSBに情報を移していた。

それを、弥生に渡したのだ。


それらは、反学園派とも呼ばれる人物たちの名前だった。

弥生はその情報を元に、体育祭に招待する相手を決めたのだ。


体育祭には林原以外にも、つぼみや学園に敵対する側の人間が何人か来ていた。

実際に体育祭でつぼみを狙った林原が閉会式に参加する来賓という立場だったのは、幸か不幸か偶然だった。

そのおかげで捕まえやすかったとも言えるし、生徒の安全が脅かされたとも言える。



「あの男の息子が来たのは、少し意外だったけれど」

「河合って人が連れて来てたけど」

「河合くんのスポンサーが久遠財閥だから、断れなかったのでしょうね」


アスリートにとってスポンサーを失うことは、かなりの痛手である。

久遠は、そこを突いたのだろう。


「閉会式で生徒を人質にとるような作戦を林原に吹き込んだのも、あの男でしょう。学園の生徒と親を全て敵に回せるほどの度胸は、林原にはないわ」


弥生の怒りを恐れて、純を狙わなかったくらいなのだ。

失敗を重ねて焦っていたところに、余計な知識を吹き込まれたのだろう。


「息子の方は、後始末をしに来たのでしょう。あわよくば、という考えはあったでしょうけれど」

「体育祭では、わたしはつぼみとして前に出ないといけないから」


今までのように、サボりと称して姿を隠しているわけにはいかないのだ。



「………あのクソじじいが」


電話越しからぼそりと聞こえた声は、いつもの穏やかな弥生からは考えられないような低い声だった。


「弥生様。本音が漏れております」


弥生の後ろから、弥生の執事の落ち着いた声が聞える。


「あら、失礼」


こほんと一つ咳をすると、いつもの声に戻る。



「おばあちゃん。わたしは、大丈夫」


孫の頼もしすぎる言葉に、弥生は悲しみすら覚える。


純は、何でもできてしまう。

才能に溢れすぎて、狙われる身となってしまった。

その才能は、欲にまみれた人間からすれば、喉から手が出るほど欲しいものなのだ。


莫大な富を得ることも。

揺らぎようのない地位を得ることも。

誰にも逆らえない権力を持つことも。

歴史に名を残すことも。


純の才能があれば、できてしまう。

17歳の少女が持つ才能は、それほどの可能性を秘めている。

だから、何でもできる純は、何にもしない。

過ぎた能力を見せびらかすことは、身を滅ぼすだけだと分かっているのだ。



「…明日には、日本へ帰れるわ」

「うん」

「そうしたら、家のみんなとゆっくりご飯を食べましょう」

「うん」

「パンをたくさん作ってもらいましょう」

「シロが怒るよ」

「食べ過ぎなければ、大丈夫よ」


ふっと小さく笑う音に、弥生は少し安心する。


「きっと、みんな心配して純の帰りを待っているわ。今日は、帰ってあげて」

「うん。分かった」

「おやすみなさい。…良い夢を」

「うん。おやすみ」


カチリと、受話器を置く。


「…だめね。私の方が、動揺してしまっているわ」


純があの男に狙われたと聞いて、目の前がかっと熱くなるようだった。

煮えたぎる怒りを、弥生の全てをもってしてあの男にぶちまけてしまいたかった。



あの男は、純の才能に気付いてからずっと執拗に純を狙っている。

その才能を、手に入れるために。

その能力を使って、富も、地位も、権力も、名誉も、全てを手に入れようとしている。



純が落馬しても、怪我をしても、あの男にとってはどうでもいいのだろう。

純の命さえ、あればいいのだから。


腕の1本や2本無くなっても、あの男は気にしないだろう。

それどころか、その方が御しやすくて良いと思っている。


「……許さない」


大切な孫を、大切な家族を、傷付けても厭わないと思っているその存在を、許すことなどできない。




弥生が久遠栄太朗を嫌悪するのには、理由がある。


大切な孫を、自分の欲のために道具として欲しがっているからだ。




久遠栄太朗が弥生を嫌悪するのには、理由がある。


喉から手が出るほど欲しいものを、弥生に邪魔されているからだ。




互いに、一生許せるはずもなかった。



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