70 狙うもの⑤
「第一講堂で閉会式を行うとお伝えしたのは、来賓の方々の中でも、お1人だけです」
雫石は、脂汗を浮かべているその男に微笑みかけた。
「林原社長。ここで閉会式を行うと知っていらっしゃるのは、あなただけのはずです」
建設会社の社長である林原は、額に浮かんだ汗をハンカチで拭った。
「それが、何だと言うのか…」
「今起きたことは、ご覧になりましたでしょうか」
雫石は、翔平が捕らえている不審者たちに視線を向ける。
「閉会式が行われるはずの場所に、不審者が襲ってきました。あなたしか知らない、この場所に」
「そ、それが何だというんだ!」
「林原さん。あなたは失敗に失敗を重ね、最後の手段に出たのではないですか?体育祭で全生徒が集まる閉会式という場所で、生徒を人質にとることにしたのではないでしょうか」
雫石は、ふふっと美しい顔で微笑む。
「狙いが全て失敗して、お焦りになられたのでしょうか。それほどに、私たちに失態を演じさせたかったのでしょうか」
「わ、私がつぼみを狙ったという証拠はないだろう!」
その言葉で、来賓たちの空気がひやりと冷たいものに変わった。
「な、何だ…?」
急に態度が変わった来賓たちに、林原だけがついていけない。
「…林原さん。残念ですよ。あなたのことは結構いい人だと思ってたのに」
さっきまで軽い雰囲気だった河合の目が、氷のように冷たいものになる。
「な、何だ。何を言って…」
「自分が何を言っているのかも分からんのか」
怒りを通り越して呆れているのは、山本である。
「確かに先ほど、龍谷くんたちから生徒が狙われたという話は聞きました」
波多野はその穏やかな瞳に、拒絶の色を見せる。
「しかしそのどの話でも、狙われたのがつぼみであるということは言っていないのですよ」
「な………」
林原は、開いた口が塞がらないようだった。
「お前は、自分からつぼみを狙った黒幕であると証言したのだ。馬鹿ものが」
雲井にも厳しい言葉を浴びせられ、林原はやっと自分が失言したことに気付いたようだった。
「いや、しかし、さっきのは…つい、勘違いを…」
「そうですね。誰しも、勘違いというものはあるものです」
そう言って、来賓たちの後ろから晴が現れる。
「生徒が狙われたという話を、つぼみが狙われたという話に勘違いされたのですね」
「そ、そうだ。そんなこと、誰にでもあるだろう」
「そういえば、僕を狙った爆発物を友人が調べてくれたのですが…」
晴は、前置きも何もなしに話の方向を変える。
「日本では扱われていない、海外産の部品が使われていたようです」
「…それが、どうしたというのだ」
「その部品を輸入しているところは、日本でも多くありません。例えば、スポーツの競技場の設営で海外からの輸入品に伝手のある会社であれば、可能です」
「そ、それがうちであるという証拠には――」
「「それだけじゃないんですよー」」
同じ声が、同じ言葉を紡ぎながら現れる。
「射撃の競技妨害に使った酸性の液体は、どこにでもあるような洗剤でした」
「でも、その液体を入れた風船に使われていたゴムは、市販のものじゃなかったんですよ」
「かなり薄いけど、強度はあるものでした」
「子会社に、ゴム製品を扱っている会社がありますよね」
「成分表、提出しましょうか?」
皐月と凪月は、ずるずると網を引きずりながら現れる。
漁でもしてきたかのような網の中を見ると、さっき翔平が捕らえたのと同じような覆面姿の不審者が何人かいた。
「講堂の周りに不審者がいたので、捕まえておきました」
「合図があったら、出入り口をふさぐように指示されていたらしいです」
それらの不審者は、全員ぐっすりと眠っている。
「今回体育祭で私たちを狙った人たちは、お金で雇われたと証言しています」
全員が口を揃えたように、そう言っていた。
実行犯たちの素性や、その人間関係を調べるだけの時間はなかった。
それでも、何も情報を掴めなかったわけではない。
「自分たちをお金で雇ったのは、40代くらいの男性だったと証言しました」
雫石を襲った男2人と、皐月を閉じ込めようとした女がそう証言した。
「その男性の特徴として、黒髪の日本人で、中肉中背、鼻の下にほくろがあったそうです」
「ちょうど、この男みたいにか?」
翔平はそう言って、一番最初に倒した男の覆面を取る。
雫石が言った通りの特徴の顔が、そこにあった。
翔平は、他の男たちの覆面も次々に取っていく。
「全員、見覚えがありますね。競技場の設営を手伝ってくれた人たちです。林原建設会社から、派遣された人たちですね」
「ち、違う!私は何もやっていない!」
林原は、唾を飛ばしながら翔平たちを指差す。
「そもそも、つぼみが競技妨害されたということが事実だという証拠はどこにある!つぼみが勝手に言っているだけかもしれないだろう!」
「証拠でしたら、こちらにまとめてあります」
雫石はそう言って、手に持っていたタブレットの映像を再生させる。
審判が紙鉄砲を鳴らす姿、翔平に向けて水風船投げつける警備員、雫石に近付く不審な男、皐月を部屋に閉じ込める女性、それらの映像が次々と流れる。
「…じ、自作自演の可能性も……」
「つぼみが自作自演をして、何のメリットがあるというのだ」
山本は、林原のみっともない姿にため息をつく。
「そもそも、この場所にお前と関係のある不審者がいる時点で、お前が指示したのは明らかだ」
「つぼみが懇切丁寧に証拠を説明してるのは、あなたの逃げ道を無くすためですよ」
自分は知らない、誰かが勝手にやっただけ。
そう言って言い逃れできないように、いくつもの証拠を集めて逃げ道を全て塞いでいるのだ。
額に汗をびっしょりとかきながらも、林原はぐぐぐっと奥歯を噛みしめる。
「…も、もし私がつぼみを狙ったからと言って、それが何だと言うのだ!たかが高校生が少し襲われただけで、私が罰せられるようなことは何もない!」
「それは、興味深い意見だな」
その場に新たに聞こえた声に来賓たちが視線を向けると、講堂の中に壮年の男性が立っていた。
その男性の姿を見て、林原はひゅっと息をのんだ。
「……た、橘、警視総監…」
橘菜久流の父である警視総監は、コツコツと靴の音を鳴らしながら林原に近付く。
「傷害罪に、爆発物使用罪、脅迫罪、逮捕・監禁罪。それらの指示をしたとなれば、教唆犯になるな」
警視総監は、厳格そうな目を細める。
「教唆犯は、実行犯と同じ罪だ。随分、罪を重ねたものだ」
「…な…な、私は……」
まさか警察の人間が現れるとは思っていなかったらしく、林原はさらに動揺を見せる。
「相手が高校生だから、罪にはならないと?」
馬鹿馬鹿しい、と警視総監は先ほどの林原の言葉を切って捨てる。
「罪は罪だ。それが、誰が行っても。誰に対して、行われても」
ぶるぶると震える林原に、警視総監は厳しい目を向ける。
「先程の言葉も、ついでに訂正しておこう。つぼみがただの高校生というのは、あまりにも物事を知らなさすぎる」
「…ど、どういうことだ……?」
「そんなことも知らんでここに来たのか!」
山本の大声に、隣にいた河合までがびくりと跳ねあがる。
「お前の会社の業績が春頃から安定しているのは、静華学園の体育祭への協賛を決めたからだ。静華学園の体育祭は、ただの高校生のお遊びではない。いくつもの大企業が動き、大金も動く。1つの事業のようなものなのだ。それに参加するということは、会社の業績はしばらく心配しなくても良いほどだ。静華学園の事業に加われば、それだけでネームバリューがあるからな。つぼみは、それを全て仕切っているのだ。ただの高校生なわけがなかろう」
「体育祭では、うちの商品を多く扱ってもらっています」
波多野は、穏やかな声で山本に続く。
「体育祭には、生徒の保護者が来ますからね。普段はスポーツと縁遠い方も、この機会にうちの名前を目にしていただいていて、おかげさまでかなりの宣伝になっています。それだけではなく、つぼみとうちの会社が新デザインのウェアやシューズを作ったことで生徒からの人気も高い。顧客が増えて、嬉しいばかりですよ」
波多野は、翔平ににこりと微笑む。
「…うちは、市場にまだ出ていない技術を先に学生に提供することで、試験的な運用を行っている。静華の子供は既に大学レベルの専門的な知識を持っている。専門家も唸るような改良点を出してくる。ただの子供と侮っていては、こちらの足をすくわれる」
雲井はそう言うと、むすっとした視線を皐月と凪月に送る。
「一応卒業生から言わせてもらいますと、つぼみは学園内外問わずめちゃくちゃ人気が高いんですよ。家柄、容姿、才能。静華に通ってる生徒たちを越えるものを持ち合わせてますからね。アンチも多いけど、ファンも多い。つぼみを害すれば、静華学園の生徒の過半数は敵に回るんじゃないんですかね。つまり、その親も敵に回りますよ」
河合は、雫石と晴に目を向ける。
「今年は特に、容姿のレベルがやばいんですよ。うちの親もファンなので、ほんと刺激しないでほしいですね」
河合の家は、代々アスリートを輩出してきたエリート一家である。
面倒なことはご免だと顔に書いてある。
「よくこの程度の認識で、客として呼ばれたものだ」
いや、と山本は自分の言葉を否定する。
「翠のことだ。わざと呼んだな」
どうやら、山本は理事長の性格をよく知っているらしい。
「あれは、自分の身内に手を出す者に容赦はしない。つぼみを狙った時点で、逃がすつもりはなかったな」
おお怖いと、河合は他人事のように呟く。
「特に家族を狙った者には、手加減という言葉を忘れた獣になる。それを知らなかったわけでもなかろう。つぼみはともかく、よく孫まで狙ったものだ」
「い、いや…私は――」
「失礼いたします」
落ち着いた声が、その場に響く。
その場にいる者たちに声をかけたのは、スーツを着た男だった。
若いとも老いているとも言えない年齢で、目が細く、そのせいか常に笑顔を浮かべているように見える。
翔平たちは、その男性の正体にすぐに気付いた。
理事長付きの職員をまとめている人間である。
つまりは、理事長の懐刀だ。
「理事長から、林原様に伝言を預かっております」
「ひぇっ!」
林原は、まるで首を絞められた狸のような声を出している。
「私に喧嘩を売られたこと、お忘れなきように」
細目の職員は、最後ににこりと微笑む。
「とのことです。間違いなく、お伝えいたしました」
仕事を終えると一礼し、そのまま去っていった。
翠弥生は、怒ると恐ろしい。
それは、今までに翠弥生に喧嘩を売った人間の末路からもよく分かっていることだ。
ある者は社会的地位をなくし、ある者は財産を失い、ある者は自らの悪事を全てばらまかれた。
全ては、翠弥生の怒りに触れたために。
「あー…これは、隠居ですかね」
しんと静まり返った空間で、河合は呑気に喋り出す。
「それで済めばいいがな」
山本は、もはや林原を視界にすら入れていない。
「さすがに会社を潰すことはしないだろう。1つの会社を潰せば、他の会社にも影響が出る。どれだけ怒りを覚えようとも、あれは常に冷静だ。その辺りは考えているだろう」
「確か、息子さんがいらっしゃいましたね」
波多野までもが、当たり前のように今後の話を進める。
「息子が間違いを犯さなければ、会社は大丈夫だろう。この男がどうなるかは、知らんが」
雲井は、まるでゴミを見るかのような目で林原を睨む。
林原はそれらの声が聞えていないのか、魂が抜けたように呆然としている。
どうやら、脳が理解することを拒否したらしい。
こほんという咳に視線を向ければ、警視総監が厳しい目で来賓たちを見る。
「私がいることをお忘れなく。言葉には気を付けていただきたい」
ここには、警察のトップに立っている人間がいるのだ。
あまり迂闊な発言はするなということらしい。
「それでは皆さま、閉会式にご案内いたします」
「……え、これから閉会式行くの?」
何事もなかったかのように再び案内をしようとし始める雫石に、河合が思わず突っ込む。
「皆さまは、今回の体育祭にご尽力いただいた方々です。予定外の出来事は起きましたが、是非閉会式にはご参加いただきたいと思います」
次いで晴も、にっこりと微笑む。
「これから向かう場所は、本当に閉会式が行われる場所です。どうぞご安心ください」
一度は騙してここに来させたのはつぼみなのに、そう言ってのけるのはかなり図太い。
しかし、それが面白くもあった。
「いいだろう。行こうではないか。そのために来たのだからな」
山本がそう言って講堂を出ると、河合も同意する。
「活躍した生徒の名前は控えておきたいですからね」
「私も、是非」
波多野も着いて行くと、雲井は呆れたようにため息をつきつつ、3人に着いていく。
雫石と晴が先導し、来賓4人は閉会式の会場へと向かった。
残されたのは、呆然として動かない林原に、警視総監、不審者たちと、翔平と皐月と凪月である。
「私は、これで失礼しよう」
「今日は突然来ていただいて、すみませんでした」
頭を下げる翔平に、警視総監は一つ息を吐く。
「先日は、娘が迷惑をかけたようだからな。菜久流も、あれから反省している」
先日の三つ巴合戦を未然に防いだ時、つぼみは三者にそれぞれ恩を売った。
弁護士には、婚約話がうまくいくように理事長に取り付けた。
波多野には、三つ巴合戦に参加しなくても良いように先んじて情報を伝えた。
警視総監にはどうやって恩を売ったかというと、簡単なことだった。
菜久流が今まで迷惑をかけた相手に謝罪して回ったことで、菜久流が変わったと話題になった。
その際に、それは警視総監のおかげらしいという噂をつぼみが流したのだ。
先日の出来事で警視総監は一度評判を落としたが、菜久流とつぼみのおかげで評判は元に戻ったのだ。
翔平は今回、その恩を使わせてもらった。
警視総監に連絡をとり、閉会式に招待したい旨を伝えた。
突然の誘いにもちろん最初は断られたが、いろいろと話しているうちに首を縦に振ってくれた。
つまり、
「この前の恩を覚えているか」
と遠回しに言ったのだ。
『正直、いてくれるだけで良かったんだが…』
その場に警視総監がいたという事実が大切だったので別に姿を現さなくても良かったのだが、話を聞いていて我慢ならなくなったらしい。
警視総監はコツコツと歩いてくると、翔平の隣で一度足を止める。
「その辺の中途半端な役職ではなく、ここに私を呼んだことは評価しよう」
翔平が視線を向けると、警視総監は前を向いたまま再び口を開く。
「予定外の来賓には、気を付けるといい」
それだけ残すと、そこら辺に転がっている不審者たちに目をくれることもなくその場を去っていった。
不審者たちの後始末をするのは、つぼみの仕事である。
今回のつぼみが狙われた件でも、つぼみが被害届を出さなければ警察は動かない。
静華学園は、理事長とつぼみによって治安が保たれている。
外部の人間があまり出しゃばりすぎても状況が好転しないことは、知っているらしい。
『予定外の来賓…』
その姿は、少し前から消えていた。
久遠の人間を学園内で自由に行動させるのは気が引けたが、つぼみがすぐに動けるような状況ではなかった。
ただ、近くにいた気配が同時に消えたのにも気付いていた。
『何も、なければいいが…』
「翔平、僕らも閉会式に行かないと」
「もう始まるよ」
皐月と凪月に声をかけられ、翔平は思考を戻す。
閉会式は、時間を変更して行われる。
これ以上、生徒を待たせておくわけにはいかない。
「純はいないけど…どうする?」
「あいつは…」
翔平はそこまで言って、自分の不安を振り払うように首を振る。
「大丈夫だ。先に行こう。あいつも、自分がつぼみであることはよく分かってる。ちゃんと時間には来る」
閉会式をつぼみが欠席すれば、いらない噂を立てかねない。
純は、つぼみの1人だ。
そのことを、分かっていないはずがない。
翔平は、純を信じていた。




