67 狙うもの②
『けっこう、人が増えてきたな…』
雫石が純に伝言を頼んでいた頃、晴は次に出場する競技に向かっていた。
今日は外部からの客も多いので、昨日よりも人口密度が高い。
女子生徒や生徒の保護者らしき女性たちから声をかけられつつ、それに笑顔で応えながら目的地に向かっていく。
足を止めたら囲まれてしまいそうだったので、どれだけ声をかけられても足を止めないように会話を切り上げていく。
「こんにちは。少しいいかな」
珍しく男性に声をかけられて少し驚いて振り向くと、30代くらいの若い男性が立っていた。
その見覚えのある顔に、晴は足を止めた。
「こんにちは。歌代さん」
穏やかそうな男は、以前にショッピングモールで出会った音々という少女の父親である、歌代弦二だった。
「歌代さんも来ていたんですね」
「実は、甥が高等部にいてね。招待してもらったんだ」
歌代弦二は、少し周りに目を向けてから、鞄から小さな封筒を取り出す。
「娘が、つぼみのファンでね。ファンレターというものを書いたから、絶対に渡してくれと聞かないんだ」
歌代弦二の娘は、ショッピングモールで迷子になっていたところを、偶然つぼみが見つけて保護したことがある。
当主争いをしている兄から狙われたのではないかと翔平が言っていたのを、思い出す。
あそこで会ったことは表に出さない方がいいだろうと、晴は穏やかに微笑みを返す。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「申し訳ないんだが、ここで開けてもらってもいいだろうか。娘に、つぼみが読んだところまで見てきてと言われていてね」
歌代弦二は、困ったように微笑む。
あの少女なら、言いそうである。
歌代弦二の少し困った様子を見る限り、かなり強めにお願いされたのだろう。
周りにいる人には見えないように気遣いながら、晴は手紙を開いた。
中には、少女らしい手つきでつぼみへのメッセージが書かれていた。
一緒に描かれている絵が子供のものとは思えない出来なところが、芸術一家と言われる家の少女らしい。
最後の一文を目にした時、晴は自分の表情が崩れないように気を付けた。
手紙は、すぐに封筒にしまった。
「ありがとうございます。他のメンバーにも見せますね」
「ありがとう。娘も喜ぶよ」
歌城弦二は、どこかほっとしたように微笑む。
「体育祭での活躍を応援しているよ」
「ありがとうございます」
晴が軽く頭を下げると、歌代弦二は去っていった。
女性たちに囲まれそうになった輪を何とか抜け出しながら、晴は競技場へ向かう。
しかし、頭の中では手紙の内容が頭の中を駆け回っていた。
表情に出ないように気を付けながら、先ほどの手紙の内容を思い出す。
手紙には、少女らしい文字でつぼみのメンバーへのメッセージが書かれていた。
周りには花や動物の絵が描かれており、可愛らしい手紙だった。
しかし最後の一文だけは、大人の文字だった。
『卯月の日に 蕾摘むものあり ん』
卯月とは、4月の異名である。
晴たちがショッピングモールであの少女と出会ったのは、4月だった。
少女を狙った者たちは、確か全て歌代弦二に引き渡したはずだ。
『蕾摘むものあり』というのは、そのままの意味だろう。
少女を狙っていた者の中に、少女ではなくつぼみを狙った者がいたのだ。
『でも、どうして今…』
何故この体育祭の期間中にそれをつぼみである晴に知らせたのか、分からなかった。
『今、だから…?』
晴は思わず止めそうになった足を、もう一度進める。
歩みを止めて考え込みたいところだが、そんなことをすればすぐに女の子たちに囲まれてしまう。
今はそれは避けたかった。
この体育祭という時に、この情報をつぼみに伝えることに意味があるとしたら。
『でも、あの時につぼみを狙う者がいたって言われても…』
それが誰かとは、手紙には書いていなかった。
『誰か、他のメンバーに…』
いや、と晴は自分の考えを否定する。
他のメンバーに意見を求めることは間違っていない。
しかし、最初から他のメンバー頼りになるのは間違っている。
まずは自分で考えることも大事なのだ。
晴は手紙の内容を一字一句思い出し、何か自分が気付いていないことがあるのではないかと考える。
まず違和感を覚えたのは、歌代弦二が書いたであろう一文の最後である。
『あり ん。最後の「ん」は、何だろう…』
書き損じには見えなかった。
何か、意味があるのかもしれない。
『あとは…』
文章の他には、絵が描かれていた。
『向日葵と、いちごと、ライオン』
つぼみの花を描いてくれたのかと思いきや、そうでもないらしい。
統一感のないチョイスである。
『好きなものを描いたのかな…』
それにしては、何か引っかかる。
『確か、一番上にライオンがあって、次がいちご…』
晴はそこで、またもや足を止めそうになった。
『ちょっと待って…』
自分の考えに、思わず待ったをかける。
『そんなことが…?』
自分の考えすぎなのではないかと思ってしまう。
晴が深読みしているだけで、実は意味がないものなのではないか。
しかし、もしかしたらという可能性を否定できない。
『可能性が多いに越したことはない』
昨日、翔平が言っていた言葉だ。
晴の考えが突拍子もないものだとしても、きっと翔平たちならそれを一つの可能性として考えてくれるだろう。
しかし、どちらにしろこのことを他のメンバーに伝えなくてはいけない。
『どうしたら…』
焦りながらも足を止められないでいると、周りの女子たちの声とは別に、晴の耳に届いたものがあった。
晴は、それに反応してそちらを見る。
木々が並んでおり、小さな林になっている。
目では見えない。
しかし、晴の耳には確実に音が聞こえる。
晴は競技場に真っ直ぐ向かっていた足の方向を変え、林の方へ近付いた。
音が、近付いてくる。
周りには、女子生徒たちがいる。
大声を出すわけにはいかない。
それでも、気付いてくれると信じていた。
「………純?」
それはほとんど、晴の口の中に音となって消えた。
木々に伝っていた音が、晴の近くで止まる。
ガサリという音と共に降ってきたのは、晴が呼んだその人物だった。
「何?」
やはり、晴の耳が拾った音は純のものだった。
学園内で木々を伝って移動する人物など、晴には純しか考えられなかった。
「これを…翔平に渡してくれないかな。上から順番に見ると、絵が綺麗だったよ」
晴は一瞬考えたすえ、一番決断を任せられる人物の名前を出した。
周りに女子生徒がいるので迂闊なことは言えず、当たり障りのないことしか伝えられない。
純は手紙を見ると何かを察したのか、ただ頷いて手紙を受け取る。
ふっと風が動いたと思えば、その背中は林の中に消えていく。
晴の周りにいる女子生徒の目に見えない距離まで行くと、また木の上に登ったようだった。
晴の耳でも少ししか捉えられない音が、すごい速さで遠のいていく。
晴は、少し息を吐いた。
今の自分にできることは、取りあえずはできた。
『おれも、おれにできることをしないと』
翔平の判断を待っているだけでは、だめだろう。
再び競技場に向かいながら、晴は相変わらず周りにいる女子たちに微笑みかけた。
理想の王子様のような笑みを向けられ、みんな頬を赤く染めている。
「せっかくだから、少しお喋りをしながら歩きましょうか」
晴の提案に、キャー!という絶叫に近い悲鳴が飛んでいく。
今の晴に、できることは少ない。
だが、幸いなことに周りには女子生徒がたくさんいる。
情報収集くらいなら、できるだろう。
晴は当たり障りのない会話から始めながら、先ほどの手紙を思い出した。
『ライオン、向日葵、いちご…』
「これは、久しぶりだね。翔平くん」
老人の声に振り返ると、昔馴染みの社長がいた。
「お久しぶりです」
「元気そうで、何よりだ」
「ありがとうございます」
「相変わらず、体育祭では活躍のようだね」
老人は、ほっほっと機嫌良さそうに微笑む。
翔平は、この時間帯は出場する競技がないので少し学園内を見て回っていた。
しかし知り合いの社長や生徒の保護者に声をかけられるので、見回りになっていなかった。
『姿を隠して見て回った方が良さそうだな…』
つぼみが歩いていると注目を集めるので、隠れて様子を見た方が効率が良さそうではある。
老人との会話を切り上げようとしている時だった。
ピリッという殺気を首の後ろに感じ、思わず後ろを振り向きそうになった。
しかしすぐに、その殺気の元が馴染みの気配であることに気付く。
「すみません。少し用事を思い出しましたので、ここで失礼します」
老人や周りの大人にそう断りを入れると、翔平は人気のないところまで足早に去った。
誰もいないところまで来ると、殺気の主が木から降りてくる。
「どうした?」
純が翔平を呼び出すとは、珍しかった。
しかも殺気だったので、どうやら緊急性が高いらしい。
「雫石から伝言」
「何だ?」
「体育祭でつぼみが狙われることを理事長が事前に分かっていたのなら、この機会を逃すはずはない。体育祭という公の場で、その人を排除するつもり。理事長が招いた来客の中に、つぼみを狙っている人間がいるはず」
純が淡々と口にする伝言に、翔平はすぐには頭の理解が追いつかなかった。
「…ちょっと待て…客人の中に、つぼみを狙っている人間がいるのか?」
今すぐにでも雫石に直接確認したいところだが、それができないのが今の状況である。
「…優希が、俺にこのことを伝えるようにお前に頼んだんだな?」
「そう」
翔平は、雫石の頭の良さをよく知っている。
ただ勉強ができるというだけではなく、翔平が気付かないようなところまで気付く視野の広さと深い思考力を持っている。
雫石がわざわざ純に頼むということは、それだけ重要だということだ。
「分かった。優希を信じよう」
純は頷くと、翔平に手紙を渡す。
「晴から。上から順番に見ると絵が綺麗だって」
「手紙か?」
翔平はその手紙を読み、最後の一文に思わず舌打ちをしそうになった。
「あの時、つぼみを狙った人間がいたのか…」
翔平は、あの時の自分の短慮さを呪った。
襲って来た者たちは全員少女を狙っていると思い込み、特に調べることもせずに歌代家に引き渡してしまった。
あの時は他人の家の中の騒動に首を突っ込むのも悪いと思ったのだが、自分でもちゃんと調べておくべきだった。
こうやって歌代弦二が知らせてくればければ、このまま気付かない可能性もあった。
「上から順番に見る…」
手紙には、幼い子供が描いたとは思えないほど上手い絵が3つ描かれている。
ライオンにいちご、そして向日葵である。
晴は、それを上から順番に見ろと言っている。
『ら、い…ひ…』
翔平の視線は、手紙の最後の文字で止まる。
「まさか……いや、だが…」
雫石の推測を元にすると、それはあり得る話だった。
「理事長が招いた体育祭の客人…それも、この手紙を信じれば…来賓の中にいるのか」
歌代弦二は、それをこの手紙で伝えている。
体育祭に招かれている客人は多いが、今日の閉会式に来賓として招いているのは、数人だけである。
その中に、つぼみを狙ったものがいると言っているのだ。
『どうする…』
翔平は、時計を確認する。
午後からも、翔平は出場しなければいけない競技がある。
それは、他のつぼみのメンバーも同じである。
翔平はこれから行われる競技の内容とつぼみが出場する時間帯を頭の中で思い浮かべ、小さく舌打ちをしそうになった。
競技に出場しているのはもちろんのこと、それぞれの競技が行われる場所がかなり離れているので、空き時間に集合するのは難しそうである。
『それに、午後からは来客も増える』
体育祭に協賛してくれた企業や、技術の提供をしてくれた会社の社長などを来客として招いている。
来賓の誰かがつぼみを狙っている可能性が高いのに、それについて調べている時間がない。
つぼみが狙われているのが確実だとしても、体育祭の実行委員としての仕事を放りだすわけにはいかないのだ。
『…これが、つぼみか』
翔平たちの肩にかかっている責任や重圧は、ただの高校生が背負うものではない。
失敗すれば、失望される。
その程度かと見限られて、自分の将来の道にまで影響する。
信用を落とせば、信頼はされない。
一度下がった評価は、なかなか上がらない。
自分の評価だけではなく、家や親の評価まで下げてしまう。
それらの重圧に耐えながら学園を守り、生徒を守り、自分たちの身も守らなければならない。
「少しは、人を使ったら」
翔平が視線を上げると、純が少し呆れた表情をしていた。
「自分でできないなら、人を使えばいい」
「そうは言っても、信用できる人間じゃないと無理だろ」
「使えるようにしたらいい」
相変わらずの言葉数の少なさに何を言っているのかよく分からなくなりそうだが、付き合いの長い翔平には純が何を言いたいのか理解できた。
どうやら、自分を使えと言っているらしい。
純にしては珍しい提案ではあるが、翔平はそれが優しさからの提案ではないと分かっていた。
「…何が対価だ?」
「客人の対応」
翔平は、ため息と共に体の力が抜けそうだった。
「…お前、そんなに客人の対応が嫌なのか」
「やだ」
午後から来客として来る客人の対応をするのはつぼみの仕事なのだが、純は体育祭の準備期間からずっと嫌だと言っていた。
それを却下して翔平が人員を振ったのだが、どうやらいまだに諦めていなかったらしい。
「だが、競技の方はどうする」
純はこれから、アーチェリーの競技に出場するはずなのだ。
恐らく、動かなくて楽だという理由で選んだやつである。
「さっさと負けてくる」
「…それは、つぼみとしてどうなんだ」
「わたしの勝ちと、つぼみとしての勝ち。どっちが大切なの」
「それは…確かに、そうだが…」
翔平は一瞬だけ逡巡して、すぐに覚悟を決めた。
純にわざと負けさせるのはスポーツマンシップに反するが、ここでそんな甘いことは言っていられない。
「分かった。お前に頼む。客人の対応もやらなくていい。そっちに集中してくれ」
「分かった」
「それと、他のメンバーに伝言を頼めるか」
「対価は?」
「…お前な、つぼみなんだから対価なしでも働け」
面倒くさがりで、利益がないと動かないのは昔からである。
翔平が呆れていると、純はふっと小さく笑った。
どうやら、今のは冗談だったらしい。
少し肩の力が抜けた翔平は、改めて他のメンバーに伝えなくてはいけないことを言葉にして並べる。
それなりに長くなってしまったのだが、純は一度だけ聞いて小さく頷いた。
完璧に覚えたらしい。
「何かあれば、すぐに連絡してくれ」
純は一度すでに狙われているとはいえ、もう一度狙われないとも限らない。
純は翔平に頷くと、風の音ともに姿を消した。
『少しは、人を使ったら』
確かに、その通りだと思った。
自分たちだけで無理があるのなら、人に手を借りれば良いのだ。
信頼できない相手の手を借りるのはリスクを伴うが、信頼できない相手に裏切られないようにする方法はいくらかある。
「さっそく、恩を使う時が来たな」
翔平は、ある人物に連絡をとるために走り出した。




