63 狙われるもの③
「次は射撃か」
乗馬の競技を終えた純は医務室に寄った後に、次の競技が行われる射撃場へ向かった。
動かないので楽そうという理由で選んだやつである。
翔平も出るらしいので、自分はあまり目立たずに楽ができると安心した。
しかし、そうはいかなかった。
つぼみの2人が対決するとあって、多くの観客が集まってきてしまったのだ。
射撃場の観客席には、埋めつくさんばかりの生徒で溢れていた。
そのあまりの集客度に、顔面が歪む。
「おい、仮面が剥がれてるぞ」
翔平が眉間にシワを寄せて近付いてきた。
その手には、競技用のライフルを持っている。
「帰りたい」
「帰るな」
「じゃあ、観客減らしたい」
「…やめてくれ」
一体どんな方法をとるのかは分からないが、それが平和的な方法ではないのは今の純の機嫌を見れば分かる。
適当な理由を作ってでも、強制的に会場から観客を放り出しそうである。
そこまで不機嫌な理由は、知っていた。
「乗馬で競技妨害があったみたいだな」
「うん」
「怪我はないのか?」
「ない」
「そうか」
純なら大丈夫だろうと思ってはいたが、実際に聞いて安心した。
審判から競技妨害を受けたという報告を受けた時は驚いたが、すぐに犯人を捕まえたうえ、順位は断トツ1位だったらしい。
「お前が1位をとるのは珍しいな」
「馬が優秀だったから」
どうやら、珍しく気に入った馬がいたらしい。
翔平は近くに人がいないことを確認してから、再び口を開く。
「カメラのことは?」
「言ってない」
「そうか。なら、もう少し隠しておくか」
実は、体育祭の競技が行われている場所には監視カメラをいくつか仕掛けてある。
競技妨害をされた場合の証拠のためと、警備のためである。
しかしその存在は生徒はもちろん、競技関係者には知らせていない。
純は今回カメラの存在を知らせることなく犯人を捕まえたので、もう少しカメラの存在は隠しておいて有利な手札として使えそうである。
カメラの存在が公になると、カメラに映らないようにして競技妨害をしてくるようになる。
そうなると面倒なので、できるだけ隠しておいているのだ。
ちらりと純の表情を窺うと、まだ観客を減らしたそうな目をしている。
どうやら、競技妨害をされたうえ今も人目を集めているのが嫌らしい。
「1位は俺がとるから、お前は飽きたら適当に負けていい。だから、何とか我慢しろ」
純はかなり不機嫌そうにしながらも一応頷いたので、少し安心する。
これで、観客の安全は守られただろう。
「決勝くらいには出てこい。お前と競う真似をするのは悪くない」
「本当に競ったら負けるもんね」
「それは否定しない」
翔平が肩をすくめると、純はいたずらっぽく笑っている。
少しは機嫌が直ったらしい。
翔平が、純に勝てたことはない。
しかし、互いに本気で勝負をしたこともない。
それは、翔平が純に負けると絶対に分かっているからだ。
『負けると分かっていて、勝負を挑むほどの度胸はない』
だから、純に勝負を挑み続けているあの女子のことはすごいと思っている。
敵わない相手に挑み続けるのには、かなり強い精神力が必要である。
折れない心を持って純に挑み続けるあの女子は、かなり稀有な存在だった。
「選手の皆さまは、会場にお集りください。これより――」
「始まったな」
会場に、アナウンスが流れ始める。
これから、予選を行うのだ。
「じゃあ、また後でな」
「うん」
翔平と純は一度別れ、それぞれ自分の予選グループに入った。
静華学園の体育祭では、射撃競技は固定された的を狙うライフル射撃が行われる。
使用するライフル銃は実弾ではなく、光線を発射することで的への当たりを判定するビームライフルと呼ばれるものである。
実弾ではないので安全性が高く、未成年でも射撃の競技ができるデジタルな銃である。
的は10メートル先にあり、中央に近いほど点数が高い。
中央の的は直径が1ミリしかないので、当てるのは容易ではない。
しかし翔平は予選でほとんど的の真ん中に当て、楽々と決勝に勝ち上がった。
他の競技者には悪いが、少し離れた的の真ん中に射撃で当てることなど、翔平にとっては簡単すぎる。
それでも、翔平の実力は努力で得たものだった。
幼い頃から人並み外れた運動神経を持っていた純についていけるように鍛えているうちに、自分も人並みを外れてしまったのだ。
『最初は、ただ一緒に遊びたいだけだったな』
木を登る純と一緒に遊びたくて木登りを覚え、鬼ごっこで純を捕まえたくて走る練習をした。
かくれんぼで隠れるのが上手い純を見つけられるように気配を読むことを覚え、純に簡単に見つからないように気配を消す術を学んだ。
そうして気付いたら、いつの間にか自分も人並み外れた運動神経を持っていたのである。
翔平の化け物のような運動神経は、純のおかげとも言えるし、純のせいとも言える。
一緒に庭を駆けて遊んでいた頃を思い出し、ふっと笑みがこぼれた。
「これから、決勝を行います」
決勝戦を始めるアナウンスが耳に聞こえ、翔平は懐かしい思い出から意識を浮上させた。
ライフルを持って競技が行われる場所に行こうとすると、何故か周りにいる生徒たちが顔を赤らめている気がした。
胸を押さえている者もいれば、目を見開いたまま固まっている者もいる。
『…どうしたんだ?』
体調不良でなければいいがと思いながら、翔平はとりあえず競技に向かった。
いつも鉄仮面で表情を崩さないイケメンが少し微笑めば、それを見た女子はそういう状況になるということに、全く気付いていない翔平だった。
決勝は、予選を勝ち上がった8人で行われる。
純も決勝に来たようで、つぼみの2人の直接対決が見られるということでさらに観客が増えていた。
純の隣にいると、周りには聞こえないように小さい声で話しかけてくる。
「何位がいいと思う」
「表彰台に上がりたくないなら、4位以下じゃないか?」
「じゃあ4位にする」
乗馬では1位をとってしまったので、射撃では目立ちたくないらしい。
純は適当に力を抜くだけではなく、周りの実力をはかって自分の望み通りの順位をとることができるのだ。
必死に勝とうとしている人間には悪いが、同じ物差しではかれるような人間ではないので諦めてもらうしかない。
予選を勝ち残った8人が横一列に並び、射撃を行っていく。
外した数が多い選手から抜けていき、一番最後に残った者が1位となる勝ち残り戦である。
翔平は左から3番目、純は5番目である。
翔平は銃を構え、精神を集中させた。
射撃では、体力よりは精神力を使う。
自身の動体視力と反射神経が試される中で的を当てるのには、かなりの集中力が必要なのだ。
翔平は順調に高得点を重ね、1位のまま競技が進んでいく。
1人、2人と下位の選手が抜けていき、5人まで人数が減る。
その時だった。
パンッという、その場に鳴るはずのない音が鳴り響いた。
翔平の耳にその音が聞こえたのと同時に、顔に液体がかかった感触を覚える。
『しまった…』
どうやら、後方から何か液体を投げつけられたらしい。
しかし前方に集中していたせいで回避するのが遅れ、少し被ってしまった。
頬にひりりとした痛みを感じた時、翔平の視界に隣で驚いている生徒越しに純の姿が映った。
『まずい』
純の目は、翔平の頬を凝視していた。
そしてその目を観客席の方に向けると、翔平が止める間もなく走り出した。
「純!やめろ!」
しかし翔平の制止を聞くこともなく、まだ何が起きているのか理解していない観客たちの中に入っていく。
翔平はまずいと思い、すぐに純を追った。
「純!止まれ!」
何が何だか分かっていない人間が大半の空間の中で、観客の中から1人の男が純から逃げるように飛び出す。
しかし純がそれを逃がすはずもなく、跳び蹴りをするとその勢いのまま男を地面に倒した。
「純!もういい!それ以上は何もするな!」
翔平が純に追いついてその右腕を掴むも、純の視線は下敷きにした男から離れなかった。
「誰の指示」
純に下敷きにされた男は、純の膝が背中に食い込むと、ぐぅっと苦しげな声が漏れている。
「純、それ以上はいい」
純の膝が食い込んでいるせいで肺が押しつぶされているのか、男は呼吸ができていない。
このままでは、背骨まで折ってしまいそうだった。
翔平は自分の顔を軽く拭うと、純と視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「俺は大丈夫だ。大したことはない。だから、大丈夫だ」
一言一言を純に届くようにゆっくりと言うと、純の視線がやっと翔平の目を見る。
薄茶色の瞳は虚ろで、光はない。
瞳の奥には、滅多にない感情が見えた。
「許さない」
「…あぁ、分かってる。だが、俺は大丈夫だ。それ以上はやらなくていい。捕まえただけで十分だ。話は後から聞ける」
翔平は、その薄茶色の瞳を真っ直ぐ見つめた。
純の視線が翔平の頬に移り、そのまま見つめる。
少しすると、薄茶色の瞳に光が戻った。
翔平はそれを確認して、ひとまず体の力を抜いた。
『…よかった』
掴んだままだった純の腕を離すと、純は下敷きにした男が逃げないように腕を拘束するだけに留めている。
どうやら、ひとまず落ち着いたらしい。
捕まった男も背中は痛むようだが、ちゃんと呼吸ができている。
『…また、傷付けさせるところだった…』
純が怒ったり、激しい感情をあらわにすることはほとんどない。
いつも感情が薄くて、面倒くさがっていることばかりだ。
しかしそんな純でも、感情をあらわにする時がある。
それは、目の前で自分の知っている人間が傷付けられた時だった。
純は昔から、自分の目の前で誰かが傷付くことを極端に嫌がる傾向があった。
それが何故なのかは、理由を翔平は知らない。
ただ、純の目の前で翔平や雫石が誰かに怪我をさせられると、純はその相手を許すことなく、いつもしている手加減もしないのだ。
その結果どうなるかと言えば、襲撃者は大体病院送りになる。
襲ってきた相手が悪いとはいえ、純は目の前で誰かが傷付けられると箍が外れたようになってしまうのだ。
その時の純は感情がどこかへいってしまったようで、暗い闇の中にいるような瞳をする。
どこか危ういそれは、一歩間違えば人を殺してしまいそうなほどだった。
翔平と雫石は純にそんな目をさせたくなくて、人を傷付けさせたくなくて、純の前では怪我をさせられないようにいつも細心の注意を払ってきた。
『くそ…俺の不注意だ』
翔平は、顔にかかった液体を乱暴に拭った。
競技妨害をされる可能性が高いと分かっていたのに、防げなかった。
射撃に集中するあまり、回避するのが遅れた。
翔平が完璧に避けていれば、純にこんな目をさせることもなかった。
『…まずは、落ち着け』
ひとまず、自分に対する怒りと憤りを何とか抑え込む。
今はそんなことをしている場合ではない。
会場の生徒や観客は動揺しているし、大人たちも何が起こったのか理解していない者たちが多い。
『まずは、会場を落ち着かせるところからだ』
今起こったことを説明し、競技を再開しなければならない。
それらの段取りをするのは、つぼみである翔平と純である。
自分に怒りを向けている場合ではないのだ。
観客たちの間には動揺と困惑が膨れ上がり、いつパニックになってもおかしくない様子だった。
「皆さん、落ち着いてください」
翔平は毅然とした声で、会場にいる人たちに呼びかけた。
ざわざわと動いていた空気が、翔平の声に注目が集まる。
翔平は、先にちらりと純を見た。
「その男は、任せてもいいか」
純はこくりと頷くと、男を立たせてから近くにいる職員に声をかけている。
「それと、もう1つ」
薄茶色の瞳が、翔平の声に応える。
「つぼみに招集をかける」
それだけで、純は翔平の意図が全て分かったようだった。
「分かった」
その声がいつも通りの声で、翔平はひとまず安心した。
まずはこの場を収めてから、つぼみのメンバーに事情を説明しなければならない。
『乗馬では、純が。射撃では、俺が』
静華学園の体育祭において、つぼみに対する競技妨害は珍しいものではない。
しかし、それはあくまで生徒同士の妨害の話である。
相手が大きな怪我をするような妨害はしないし、ここまであからさまなこともしない。
乗馬で純の妨害をしたのは、審判だった。
翔平の妨害をした男も、生徒ではない。
翔平は、自分の中に湧き上がる嫌な予感が気のせいであればいいと思う。
しかし、頬に走る痛みが現実から逃げることを許してはくれなかった。




