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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
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62 狙われるもの②


パンッという大きな音が、競技場に鳴り響く。


馬は着地したもののその音に驚いたようにいななき、走りながら興奮したように体を揺する。

前脚を高く上げると、体勢を崩した純は鞍から振り落とされ、地面に叩きつけられた。


会場に、悲鳴がいくつも上がる。


馬のスピードがかなり速かったせいもあって、勢いよく地面に打ち付けられていた。


審判たちが慌てて駆け付けるも、地面に倒れた純はぴくりとも動かなかった。

観客や生徒たちは騒然とし、審判が医者を呼ぶようにと声を上げている。

それまで穏やかだった競技場が、一瞬にして緊迫した空気に変わった。


「そんな…」


純の走行を見ていた美波は、純が落馬したという事実に思考が追い付いていなかった。


「そんな、まさか…」


落馬して地面に倒れた純は、動かない。

審判たちの声から、意識がないという言葉も聞こえる。


「櫻純が、落馬するなんて…」


美波は、キッと競技場にいる人々を睨みつける。


「今の音は、何です!」


馬が驚いたのは、大きな音がしたせいだ。

馬は臆病な性格なので、少しの音でも驚いてしまう。

こういった乗馬の競技では、大きな音や光を出すのはもちろんのこと、馬を驚かせるような行為はしてはいけない。


それなのに、先ほどは競技場に響き渡るほどの音が鳴った。

明らかに、人為的なものだった。


「許しませんわ…」


勝負に水を差され、美波は怒りで震えた。


落馬は、失格だ。

落馬さえなければ、純は間違いなく1位だっただろう。

しかし落馬したことで、純は順位すらつかない。


「こんな…こんなことで、私が勝つなんて…許せませんわ」


美波にとって、純はライバルである。

たとえ本人が認めていなくても、美波が勝手にそう決めている。

競技を妨害されたことも、純が落馬したことも、美波からしたら信じられなかった。

落馬して意識がないなんて、自分のライバルらしくない。



審判たちに囲まれて、いまだに地面に倒れている純をキッと睨みつける。


「早く起きなさい!櫻純!」


「うるさい」


「「!」」


むくりと起き上がった純は、不機嫌そうにそう言い放った。

何事もなかったかのように立ち上がると、服についた土を払っている。


しかし、そんな純の様子に大人たちは動揺した。


「君、大丈夫か?」

「体を強く打っている。今は動かない方がいい」


頭でも打っていたら大変だ、と心配する大人に、純は面倒くさそうな目を向ける。


「わざと落ちたので、怪我はないです」

「…わざと?」

「あのまま乗っていたら、馬が危なかったので」

「いや、しかし…気を失っていたのでは?」

「それも、わざとです」


「「?」」


純が何を言っているのかついていける者はここにおらず、審判含め、会場中にクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。

ここに翔平でもいれば純の意図を説明してくれるのだが、あいにく今はいない。



「…何故、気を失っているふりをしたのです?」


そう問うたのは、美波だった。

この場で唯一、純の理解しがたい行動を受け入れられる側の人間だった。

純は美波の問いに答えることなく、1人の審判に近付く。


「審判が競技妨害とは、いい度胸ですね」

「…どういうことだ」


審判の男は、ただ静かに純を見下ろす。


「さっきの音は、あなたが鳴らしたんでしょう」

「何を根拠に言っているんだ」


疑いをかけられたことが不満なのか、審判の男は嫌悪感をあらわにする。


「さっきの音の出どころは、きちんと調査する。根拠のない言いがかりはやめてくれ」


純は、面倒くさくてため息をついた。

全部説明しないといけないのが、本当に面倒くさい。



「あなたがその方を疑う根拠は、何なのですか?」


純の視線が、美波へ向く。


「この競技場に入る際に、審判も観客も持ち物検査をされているはずです。音や光を出すものを持っていないかどうか、きちんと確かめられているはずですわ」


静華学園の体育祭では、競技妨害は珍しいことではない。

1位を取りたいがために、ライバルを蹴落とそうとする生徒は多い。

しかし競技妨害をすれば他の競技への出場資格を無くすので、本人ではなく別の生徒にやらせるのだ。

そうすればその生徒は罰せられるが、本人は素知らぬ顔で競技に出場し続けることができる。


そして競技妨害というのは大体が、やったもん勝ちである。


今回の障害馬術競技で言えば、ただ馬を驚かせればいい。

落馬や競技の続行不能は失格となり、その競技者は順位にすらのらない。

ルールはルールなので、競技妨害をされたからといって例外はない。

そのため、体育祭の実行委員であるつぼみは毎年、競技妨害をされないための対策に手間をとられる。


美波が言った通り、競技場に入る者に持ち物検査を実施するのも、競技妨害をされないための対策である。

カメラやスマートフォンなどはもちろん、乗馬場に持ち込み禁止のものはかなり厳しく制限している。


しかしそのうえで、純の競技は妨害された。



「大きい音なんて、紙が1枚あれば鳴る」

「…どうやって、鳴らすのです?」


どうやら、美波はその方法を知らないらしい。

会場にいる観客もぴんときていないのを見て、純は呆れた。


「折り紙やったことないの」

「鶴や薔薇なら折れますけど…」


純は、はぁとため息をついた。

本当に、面倒くさくてしょうがない。


「紙を1枚ください」


別の審判に頼むと、その審判はどうやら純の言いたいことが分かっているらしく、少し緊張した面持ちで紙を1枚純に手渡す。


純はそれを折り紙を折るように折っていき、長方形だった紙は、最終的に小さな三角形になる。


純は音が聞こえる範囲に馬がいないことを確認すると、その三角形の紙の端を持ち、上から下に振り下ろした。

すると、パンッという大きい音が鳴る。


それが先程鳴った音と同じ音だったので、美波は驚いた。


「本当に、紙1枚で音が鳴るんですのね」

「折り紙で作る紙鉄砲。知らないの」

「…初めて見ました」


どうやら、富裕層の子供はこういった遊びをしないらしい。

純はよく子供の頃に翔平と一緒にこれで大人を驚かせて遊んでいたのだが、富裕層的には一般的な遊びではなかったらしい。



「それを、この方がやったというのですか?」


再び純に視線を向けられた審判の男は、顔が少し青ざめている。


「審判にも、持ち物は厳しく制限されてる。紙が1枚無くなっていたら、すぐに分かる」

「それでも、この方がやったという証拠には乏しいのではないですの?」


この審判を擁護するわけではないが、紙が1枚無くなっただけで犯人にするのは無理がある。


「紙鉄砲、捨てる暇なかったでしょ」


純は、審判の男に向けて人の悪い笑みを浮かべた。


「競技者が落馬すれば、審判は駆け付けないといけないから」


それに、暴れている馬を落ち着かせなければならない。

適当にその辺りに捨てて誰かに見つけられるよりは、自分で持っていて後で捨てた方が確実だ。


審判の男の表情は青ざめていたが、肯定も否定もしなかった。



純は面倒くさそうな表情を浮かべると、一瞬で審判の男の背後に周り、腕を背中で固めた。


「動くと骨折れますよ」


一応警告をしておくと、痛みに顔を歪めている。

その男のポケットから、三角形に折りたたまれた紙を取り出す。


それは、先ほど純が作ったものと同じ形をしたものだった。



ざわりと、観客にも動揺が走る。


審判が競技妨害をしたのだ。

生徒が競技妨害をするのとでは、話が違う。



「…あなたが落馬をしたのは、証拠を捨てさせないためですか?」


ざわつく競技場の中で緊張をはらんだ声を出したのは、美波だった。

その声に、観客たちの注目が集まる。

純に向ける視線は、どこか固かった。


純は、美波の問いに頷く。


「そうだけど」


「そのために、わざと落馬をしたのですか?」

「そう」


「落馬すれば、怪我をしていたかもしれませんのよ?」

「しないように落ちてるんだから、するわけないでしょ」


「意識がないふりをしていたのは…?」

「その方が、審判を焦らせることができるでしょ」


競技妨害をされた瞬間から、全てが純の手のひらの上だったらしい。

そのことを知った競技場の空気が、少し張りつめたものになる。



「…何故、馬に乗っていたのに誰に妨害されたのか分かるのですか?」


純は、少し眉を寄せた。

何故そんなことを聞かれているのか分からなかった。


「音がしたら分かるでしょ」

「…音だけで、分かったのですか?」


純は、さらに眉を寄せる。

何を聞かれているのか、よく分からない。


「あなたは、あの音を聞いただけでその方法と、音を鳴らした人物も分かったというのですか?」

「そうだけど」


ざわりと、観客の空気が動く。



「…信じられない」


「普通、分かるか?」

「分かるわけないだろ。こんなに広い場所で」


「馬が暴れてるのに、あの一瞬でそんなことまで頭が回るかよ」


「それに、犯人を捕まえるためとはいえわざと落馬するなんて…」

「怪我だけでは済まないかもしれないのに…」



ざわざわと、観客たちが囁き合っているのが聞こえる。

純はその音を耳にしながら、目の前の人物を見た。


「何で分かんないの」

「何でと言われましても…」


美波は、少し口ごもった。


「それが、普通ですわ」


純は、ふぅんと適当に相槌を打つ。

ふと視線を動かすと、観客の大体が同じような顔をしていた。


『また、この目か』


それは、今までにもよく見てきた目だ。

理解できない、化け物を見たような目。


人は理解できないものに遭遇すると、こういう顔をするらしい。

自分と常識が違うもの、自分の考えが及ばないもの、想像では補えないものに出会うと、人はそれから離れようとする。

何が起きるか分からないから、恐ろしいらしい。


純は、自分が普通ではないことを分かっている。


「普通ではない」

「理解できない」

「化け物」


それらは、純が幼い頃から人に言われてきた言葉だ。

純の言動を目の当りにした人間は、大体がそんなようなことを言って離れていく。

家族以外で昔から側にいるのは、翔平と雫石くらいだ。



『まぁ、どうでもいい』


面倒くさくなってきたので、特に興味もない思考を頭から追い出した。

捕まえている審判の男を立ち上がらせると、他の審判に引き渡す。


「この人を理事長付きの職員に引き渡してください」


それは、つぼみの百合としての指示だった。

理事長付きの職員は、他の職員と違って理事長が自ら選んでいる。

そのため、静華学園の中では教師や他の職員より信用ができる。


呆然としている審判や観客に興味を見出すことなく、純は自分の仕事が終わったので競技場を後にした。




厩に行くと、黒毛の馬が落ち着いた様子で鼻をフスフスさせていた。

純を見つけると、その真っ黒な瞳に純を映して鼻を寄せてくる。


「いい子」


純は、その黒毛の馬の首を撫でた。

競技妨害をされることは事前に分かっていたので、この馬が驚いて怪我をしないかが心配だった。

しかし純が落馬した時も踏むようなことをしなかったし、見たところ怪我もないようだ。


黒くて丸い瞳をぱちぱちとさせると、もっと撫でてというように頭をすり寄せてくる。

その頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細める。


動物は、嫌いではない。

人間のように、面倒くさい感情がない。


だから、嫌いではなかった。




「ちょっとお待ちなさい!」


馬に干し草を十分に与えてから厩を出たところで、後ろから声をかけられた。

来るだろうと思っていたので、今回は逃げなかった。


「何」


美波は周囲に人がいないことを確認すると、ひとつ息を整えた。


「あなたなら、競技妨害をされること自体を防ぐこともできたのではないですの?」


それは、純をライバル視する美波だから気付いたことだった。

競技妨害の内容にこれだけ気付けるのなら、未然に防ぐことだって可能なはずだ。

しかし純は、それに感情のない声で返した。


「それに、何の意味があるの」


純からすれば、未然に防いだところで何のメリットもない。


「実際に行動を起こさせないと、罰することもできない。未然に防いだところで、何のメリットもない」


それが、純にとっての普通である。


美波は納得したようなしていないような複雑な顔をしていたが、少ししてから頷いた。


「あとは…お節介かもしれませんが、一応医務室へ行くことをお勧めしますわ」


わざと落ちたので怪我はないと言っていたが、万が一ということもある。


「そうかもね」


行くのか行かないのかよく分からない返答だが、美波は言いたいことは言えたので満足した。


「今回の勝負はなしです。競技妨害を受けたあなたに勝っても、フェアではありませんから」


美波の言葉を聞いて、純は面倒くさそうに振り返る。


「何言ってんの。わたし負けてないけど」


「………え?」


美波の気の抜けた声が、2人の間に落ちる。


「でも、落馬して…」

「落馬したのはゴールした後」

「え……?」

「得点確認したら」


純がそう言うと、美波は爆走して得点を確認しに行った。



今のうちにさっさと逃げようとしていると、遠くから力強い声が聞えてきた。


「次こそ負けませんわ!見てなさい!櫻純ー!!」


その声にため息をつくと、また絡まれないうちに足早に乗馬場を後にした。


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