61 狙われるもの①
更新を再開します。
1月中に再開できず、すみません。
6月の空に、花火が打ち上がる。
晴れた空には白い雲が浮かび、時折陽射しを和らげる。
からりと乾いた風は時々吹く程度で、気温も高くない。
これ以上ない、体育祭日和である。
今日は、静華学園の体育祭である。
体育祭は、静華学園の二大行事の1つである。
高等部では、体育祭は2日に渡って行われる。
1~3学年の600人を5つのチームに分け、様々な種目の総合得点で勝敗を決めるのだ。
種目は陸上競技や球技、古典武道に乗馬など、様々である。
陸上競技を行うグラウンドや体育館、乗馬場やプールなどの競技を行う場所は全て静華学園内にあるため、学園のあちこちで競技が行われる。
チーム内での競技数は決められているが、一人一人の生徒が出場しなければいけない競技数は決められていない。
そのため運動が得意な生徒が多く競技に出て、運動が苦手な生徒はわざと競技に出ないということも許される。
チームの勝利のために、一人一人がどう動くかは自分たちで考えろというスタイルなのである。
「…前から思ってたけどさ、この学園ってお金持ち学校のわりに、体育祭ガチすぎるよね」
いたるところから闘争心に燃えた生徒たちの気迫が伝わり、皐月はどことなくげんなりしている。
「実力主義だからな」
体育祭は、スポーツというくくりで生徒たちが実力を発揮できる場所である。
学業より運動が得意な生徒にとって、この2日間は自分の実力をアピールできるチャンスなのである。
将来アスリートを目指しているような生徒は多くはないが、特技を披露することで注目を集めることは悪いことではない。
体育祭で活躍して有名アスリートに気に入られ、その後ろ盾を利用して学園卒業後に新たな事業を起こした生徒もいた。
自ら考案したスポーツ用品を体育祭に協賛する企業に提案し、商談を成立させた生徒もいた。
体育祭というチャンスで大成できるかは、その生徒次第なのだ。
「さぼりたかった」
やる気に満ち溢れた生徒たちがたくさんいる中でそんなことを言っているのは、もちろん純である。
「つぼみなんだから、出ないわけにはいかないだろ」
つぼみは、それぞれのチームの大将を務めることになっている。
大将と言っても名ばかりのもので、旗頭のようなものである。
例年はつぼみ5人に対して5つのチームがあるので、それぞれがチームの大将を務めていた。
しかし今年は異例の6人なので、1つのチームだけつぼみが2人いることになるのだ。
純の「サボりたい」という意見を却下してつぼみで考えた結果、6人の中では運動神経の劣る雫石と、運動神経が良い翔平が1つのチームに入ることになった。
「1人多いなら、翔平と同じチームがよかった」
翔平と同じチームになれば、サボりやすいという話である。
体育祭当日になってもサボりたがっている純に、翔平は呆れてため息をつく。
「お前、4月に剣道部員を全員打ちのめしたことを忘れたのか。お前が俺と同じチームになったら、不公平だろ」
チーム分けは、できるだけ実力が拮抗するように分ける。
大将であるつぼみが、その均衡を崩すわけにはいかないのだ。
「今までみたいにどっかに行ってサボるなよ。そこそこの順位でいいから、真面目にやれ」
「授業だけじゃなくて、体育祭もサボってたんだね…」
つぼみになるまで純の姿をあまり見たことがなかった晴は、少し呆れつつも納得している。
「静華の体育祭なら、競技に出なくても文句は言われないからな」
他の学校の体育祭ならそうはいかないだろうが、実力主義である静華学園では、やる気のないものにチャンスを与えるほど優しくはない。
純はその体制に甘えて、今までの体育祭はほとんどサボっていたのだ。
しかし今年はつぼみとなった以上は、そうはいかない。
大将がさぼっていてはチームの士気が下がるし、公の場で自分の役目を果たさないというのは、つぼみとして相応しい行動とは言えない。
純もそれを分かっているからこそ、散々文句を言いつつも、ちゃんとこの場にいるのだろう。
今は、体育祭の開会式の真っ最中である。
開会の挨拶を聞きながら、つぼみは檀上で大将らしく座っている。
今日は制服ではなく、それぞれチームカラーが入ったスポーツウェアを着ており、一目でどのチームの大将か分かるようになっている。
翔平と雫石のAチームは赤、晴のBチームは青、皐月のCチームはオレンジ、凪月のDチームは黄色、純のEチームは白である。
先日三つ巴合戦に巻き込まれそうになった波多野スポーツが体育祭用にデザインした、特注のウェアである。
開会式の最中ではあるが生徒からはかなり離れたところにいるので、こうやって小声で会話している6人だった。
ちゃんと正面を向きつつ口をあまり開かないようにして喋っているので、生徒たちから見たらつぼみは真面目に開会の言葉を聞いているように見えるだろう。
「警備は今のところ問題ないが、外からの客が増えるのはこれからだ。何かあれば、すぐに連絡してくれ」
「今のところ、予定外の来客の知らせはないよ。今日は生徒の保護者とかが多いし」
「協賛企業の社長とかが来るのは明日だから、今日はまだ楽しめそうかなー」
楽しめそうと言っているわりには、皐月と凪月の目は死んでいる。
つぼみは体育祭の実行委員なので、競技に出場する以外にもやることがたくさんあって多忙なのだ。
さっきは少し話が脱線していたが、開会式の間でもこうやって細かい打ち合わせをしないといけないほど、忙しいのである。
競技場所の設営や審判の手配、警備の配置や客人への対応など、体育祭でのつぼみの仕事は多岐に渡る。
今日は早朝から会場準備や最終確認などを行っていたので、競技が始まる前に6人で集まれるのはここしかないのだ。
「今朝連絡があった通り、理事長はお仕事でフランスにいらっしゃるそうよ。帰国は間に合わないと仰っていたから、お客様への対応も私たちにかかっているわね」
理事長が静華学園の行事に不在なのは、珍しいことではない。
VERTの社長でもあるので、多忙なのだ。
「会場の設置は、特に問題はなかったよ。先生方も、それぞれ配置についてくれてるみたい」
警備や審判を外部に委託している静華学園の体育祭でも、学園の教師たちに休みはない。
使えるものは使う精神で、体育が専門の教師以外でも競技の手伝いをしてもらっている。
それは毎年のことなので、大人たちも諦めているらしい。
「そろそろ、開会の挨拶が終わるな」
先ほどから長々と挨拶をしているのは、高等部の校長である。
静華学園の理事長がいろんな意味でインパクトが強いせいか、校長たちはどこか影が薄い。
こういった行事では基本的に校長が挨拶するのだが、たまに現れる理事長に美味しいところを全てかっさらわれているような気がする。
少し後頭部が薄い校長の挨拶がやっと終わり、校長が檀上から下りた時だった。
檀上に上がり、マイクを手に取った人物がいた。
「櫻純!最後の体育祭、勝負を挑みますわ!」
マイクを片手にカールがかった髪を肩から払いのけ、檀上で座っている純を指差す。
「絶対に、本気でかかってきなさい!今年こそ、私が勝ちます!負け犬という言葉を、あなたに教えてさし上げますわ!」
名前を出された人物の様子を恐る恐る窺ってみると、眉間にシワが寄っていて顔が歪んでいる。
普段の無表情からしたら珍しく表情豊かではあるが、かなりの不機嫌であることがありありと分かる。
「…負けっぱなしなのに、折れないねぇ」
「ねぇー…」
何度負けても挑み続けるその根性には、感心すら覚える。
純に声高々と宣戦布告をした愛園美波は、教師によって無理やり押さえられてマイクを取り上げられていた。
「ここの学園、平和って言葉とほど遠いよね」
皐月の言葉には、みんな頷くしかなかった。
いつも通り、波乱の1日が始まった。
開会式が終わり、つぼみはそれぞれのチームに分かれた。
これから競技が始まるので、つぼみもチームの大将として競技に出場しなければならない。
『最初は、乗馬か』
純は自分に近寄ってくるチームメイトを適当にあしらいつつ、最初に出場する競技が行われる乗馬場へと向かった。
別れ際に翔平に、
「最低限の外面は保て」
「絶対に暴れるな」
と言われたので、面倒に思いながらもつぼみとして最低限の仮面は被っている。
しかし周囲からの視線が集まっているのを感じるし、チームメイトからはよく話しかけられるので機嫌はななめだった。
『何でこんなに見られるんだろう』
今まで表舞台にほとんど出なかった人間がこうやって現れれば注目を集めるのは当たり前のことなのだが、その辺りは純はよく分かっていなかった。
というより、興味がないので考えようとしていないのだ。
自分に対する評価や、誰かに嫌われていようが妬まれていようが純にとってはどうでもいいことだった。
人からどう思われていようがどうでもいいので、今までは自分のやりたいように行動していた。
だから体育祭はサボっていたし、人前に出る行事も大体サボっていた。
人前で目立つのは嫌いだし、面倒くさいし、興味がない。
しかし今年はつぼみになってしまったので、今までのようにサボるわけにはいかない。
『面倒くさい…』
これから馬に乗らないといけないのだが、気は全く乗らなかった。
「来ましたわね!櫻純!」
乗馬場に着くと見たくなかったものが視界に入って、純の機嫌は急降下した。
乗馬服に身を包み、カールがかった髪をぶんっと勢いよく背中に流し、純を見つけると高らかに声を上げる。
愛園美波である。
「今日は、乗馬で勝負です!本気でかかってきなさい!」
どうやら、純が出場する競技にわざと被せてきたらしい。
青色の差し色が入った乗馬服を着ているので、晴と同じチームだろう。
純は面倒なことに関わる気はないので、その目立つ存在をいないものとし、隣を素通りしようとした。
「こら!無視しない!」
しかし、美波はわざわざ純の目の前にもう一度立ちはだかる。
「………何」
あまりにも面倒くさくて、顔が歪んで別人になりそうである。
ここが公の場でなければ、軽くはったおして逃げるところだ。
しかし一応つぼみとして、そんなことをするわけにはいかない。
「今日こそ、私が勝ちます!」
「そう」
言いたいことはそれだけかと、純は次こそ身軽に逃げた。
足止めをしようとしたのに風のようにするりと抜けられ、純の背後ではキーッと甲高い声が聞える。
『面倒くさい…』
今のやり取りで周りの生徒の目を集めているので、なおさら面倒くさい。
今日自分が乗る馬のところへ行くと、黒毛の馬が純を迎えた。
静華学園の体育祭で行われる乗馬競技では、馬をどれだけ正確かつ美しく運動させることができるかを競う馬場馬術と、障害物のあるコースを走る障害馬術競技がある。
純が出場するのは、障害馬術競技の方である。
黒毛の馬は額に白い筋が入っており、しなやかな体躯をしている。
頭を撫でて首を触ると、気持ち良さそうに目を細める。
動物は嫌いではない。
喋らないからうるさくないし、人間のような醜い心もない。
「今日は、よろしく」
その真っ黒な瞳に微笑みかけると、黒毛の馬は少し頭を下げた。
障害馬術競技は、競技場に設置された様々な障害物を、決められた順番に飛び越えていく。
障害物の落下などは減点となるため、できるだけ減点を少なく、それでいてできるだけ早くゴールすることが求められる。
コースの下見とウォーミングアップを終えた純は、自分の順番が来るまで他の生徒の走行をぼんやりと眺めながら、会場の様子を窺っていた。
走行順はくじで決めたもので、今はちょうど愛園美波が走行している。
白毛の馬に跨り、自信に満ち溢れた表情で次々と障害物を飛び越えている。
今のところ大きな減点はないので、このままいけば暫定1位だろう。
乗馬部の部員も出場している中での結果なので、それなりの実力はあるらしい。
純としては、どうでもいいことである。
『それよりも…』
乗馬場の外側には、観客席がある。
観客のほとんどは生徒だが、ちらほらと大人もいる。
体育祭の1日目は生徒が招待した人物しか客として来れないので、観客のほとんどは生徒の保護者である。
自分に向けられているいくつもの視線を感じながら、これから起きるであろう出来事にため息をついた。
『面倒くさい…』
純の雰囲気が変わったことに気付いたのか、黒毛の馬が心配そうに頬を寄せてくる。
「ちょっと、付き合ってね」
その頬を撫でると、ぱちりと目を瞑る。
わぁっと歓声が上がったので視線を戻すと、愛園美波が競技を終えたようだった。
純の予想通り、暫定1位である。
その結果に嬉しそうに頬を染めると、美波は純に向かってビシッと指を差した。
「今のところ、私が1位です!今日こそ、あなたに勝ってみせます!」
何故か楽しそうに笑っているが、純はそれも無視した。
次は、純の番である。
純は黒毛の馬に跨ると、場内に入った。
「行こうか」
黒毛の首をポンポンと叩き、手綱を握る。
馬は軽やかに走り出しだんだんとスピードを上げると、1つ目の障害物を楽々と越えた。
そのまま、スピードを落とすことなく次の障害物へ向かう。
最短距離で次の障害物を飛び越え、そのまま勢いを殺すことなく次々と障害物を越えていった。
そのあまりのスピードの速さに、会場にいる観客は息を飲んだ。
障害物のバーを落としたりタイミングが合わずに障害物を飛べなかったりすると減点なので、多くの生徒は減点にならないように慎重に障害物へ向かっていた。
しかし純は、駆け足どころではないスピードで障害物に向かっていく。
馬もそれによく応え、息のあった動きで楽々と障害物を越えていく。
『優秀だな』
純は黒毛の馬に身を任せながら、馬と一緒に飛ぶのを楽しんだ。
ウォーミングアップの時も思ったが、この馬は純の望むスピードにちゃんと応えてくれている。
馬に無理をさせるつもりはないのでかなり手を抜いて走っている純だが、この馬でなければここまで呼吸は合わなかったかもしれない。
そのまま最後の障害物に差し掛かり、軽々と飛んだ時だった。
パンッという大きな音が、競技場に鳴り響いた。




