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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
59/181

59 友達④


『あなたたち!寄ってたかった1人をいじめるなんて、恥ずかしいと思わないの?』


『この子が何をしたっていうの?』


『あなた、大丈夫?』


『まったく、ひどいことをするわね』


『頬が腫れているわ。大丈夫?』


『私の名前?私は橘菜久流よ。また何かあったら私に言ってね。きっと助けるから』


『お礼なんていいのよ。私は、正しいことをしただけなのだから』


『どうして正しいことをするのかって?それは――』




『…そうよ。私は正しいことをしただけ』


梨緒が他の生徒にいじめられていたところを助けた時も。

根拠のない噂話をしている生徒たちを注意した時も。

他人の悪口を言っている生徒を注意した時も。

クラスメイトを仲間外れにしている生徒を注意した時も。


つぼみに言ったことだって、間違ったことは言っていない。

菜久流は、正しいと思ったことをしているだけだ。


『それなのに…』


それなのに、最近は菜久流が注意をしても、反論される。

菜久流は正しいことを言っているだけなのに、その菜久流のことを間違っていると言う人ばかりなのだ。


『それに…』


一番変わったのは、いつも側にいる姿がいないことだった。


『梨緒は、どこに行ったのかしら…』


いつも一緒にいたのに、最近は授業が終わるとどこかへ行ってしまう。

今までは、菜久流が一緒にいないと教室の外に出るのも怖がっていたのに。

いつも、菜久流の後ろにいたのに。

この前も、少し離れていたら男子に絡まれて、怖がって泣いていた。

だから、菜久流が側にいてあげなければだめなのだ。

菜久流が守ってあげないと、だめなのに。


『それなのに、どうして…』



梨緒を探して歩いていると、廊下の先に男子生徒の姿が見えた。

それは、東海林という生徒だった。

後ろ姿だったが、最近はよく顔を合わせていたので、すぐに分かった。


『何をしているのかしら』


少し気になって見ていると、東海林という生徒の影に女子生徒が立っているのが見えた。

小柄な身長で、顔を手で覆っているせいで表情は見えなかったが、見慣れたボブヘアですぐにそれが梨緒だと分かった。

その状況を見ただけでも、菜久流の頭には怒りの感情が流れ込んできた。


「何をしているの!?」


すぐに2人のもとへ向かうと、東海林という男子生徒が菜久流の大声に少し驚いたように振り向く。

その声の元が菜久流だと分かると、あからさまに顔を歪めた。


「何だ。橘」

「何だじゃないわ。あなた、何をしているの?」

「別に、何もしていない」

「そんなわけないじゃない!だったら、どうして梨緒が泣いているのよ!」


菜久流は、梨緒を背中に庇うように東海林の前に立った。


「俺は知らない。話していたら、急にそうなった」

「あなたが、きっと何かしたんでしょう!」


当たり前のように東海林が悪いと決めつけている菜久流に、東海林の表情にイラつきが浮かぶ。


「何も見ていないのに、決めつけるな」

「梨緒は泣いているのよ。あなたが何かしたに決まっているじゃない」


東海林は、呆れたようにため息をつく。


「どうせ、今までもそうやってろくに事情も知らないのに決めつけてきたんだろ。俺の時みたいに」

「あれは、あなたが女の子を泣かせていたから注意しただけよ」


菜久流がその場を見たのは、たまたまだった。



人気のない廊下の隅で、この東海林という生徒が女子生徒を泣かせていたのだ。

だから、菜久流は注意した。


「女の子を泣かせるべきではない」と。


酷いことを言ったのなら謝るべきだし、傷付けたのならそれを認めるべきだと。

しかし、この東海林という男子は菜久流の言葉に怒りだした。


「何も知らないのに、首を突っ込むな」と。


しかし、菜久流は引かなかった。

女の子が泣いているのに見ないふりはできなかったし、泣かせているのはその男子生徒なのは明らかだったからだ。

しかし菜久流が何を言っても東海林という男子は怒るばかりで、自分の非を認めようとはしなかった。

だから、つい菜久流も熱くなってしまった。


結局、泣いていた女子生徒がその場から逃げ出してしまったので、2人の言い合いはそこで終わった。



「私はただ、正しいことをしただけよ」

「それは、本当に正しいことだったのか?」


東海林以外の男子の声がして驚くと、3人がいる場所の近くにいつの間にか生徒が現れていた。

深紅の制服に深緑のネクタイをしており、すらりと身長が高く、彫刻のように整った顔をしている。

つぼみの菊の、龍谷翔平だった。


「…つぼみが、何の用だ」


東海林もつぼみが急に現れたことに驚いたらしく、少し警戒を持った声を翔平に向ける。


「最近、少し迷惑を被っていてな」


そう言って翔平は、菜久流に視線を向ける。


「この頃、生徒から苦情が相次いでいる。自分が正しいと疑わず、誰彼構わず自分の意見を押し付ける生徒がいるそうだ」

「…それが、私だと言うの?」

「別に、誰とは言っていない」


明言は避けつつも、翔平は目の前の光景に納得したように頷く。


「2人の言い合いは聞こえていたが、苦情の内容は正しかったようだな」

「私が間違っているというの?だって、梨緒が泣いて――」

「本当に泣いているのか、確かめたのか?」

「何を言っているの?そんなの、見たら分か――」


そう言って振り返った菜久流が見たのは、涙の一つも流していない梨緒だった。


「……え?」

「…菜久流ちゃん。私、泣いてないよ」

「…でも、顔を覆って…」

「目にごみが入って、下を向いていたの」


いつも泣き虫だった友人は、悲しそうな顔をしながらも、泣いてはいなかった。


「俺が言った通りだろ」


東海林は、少し怒っているような声色だ。


菜久流は、今回のことは自分の早とちりだったと気付いた。


「…ごめんなさい。梨緒が泣いているように見えたから…」

「だからと言って、何の事情も分かっていないのに俺が泣かせたと決めつけるな。泣いていれば、絶対に傷付いているのか?泣かせた方が、決まって悪なのか?そんなの、その時の事情によるだろ」

「それは…」


菜久流は、東海林の言葉に何も言い返せなかった。



「間違っていると思うことを、言葉にするのは別に悪いことじゃない」


2人の間に入るように、翔平が会話に入る。


「だが、自分が正しいと疑わない言動は、周りに迷惑をかけるだけだ」


翔平の少し冷たい視線を受け、菜久流はぐっと口をつぐむ。


「静華学園の校則に、染髪を禁じる決まりはない。1人の男子に女子が群がっているからといって、誑かしているとは限らない。図書室の本を借りる数を、何故教師でもない人間に注意されなければならない。人の見た目や言動を注意する前に、その事情を考えはしないのか?人に注意できるほど、自分は正しいと言えるのか?」

「それは…」


淡々と告げられるその事実に、菜久流は何も言うことができなかった。


「女子が泣いているのを見ただけで、何故男子の方が泣かせたと決めつけるんだ。何か事情があるかもしれないだろう。それに、女子が勝手に泣き出したという可能性もある」


翔平が東海林に視線を向けると、東海林は気まずそうにその視線を外す。


「手あたり次第に人に注意するというのは、通り魔と変わらないだろう」

「そんなことっ…」

「手あたり次第に人を傷付けているだろう。そこまで変わらない」


翔平の冷たい瞳に、ぐっと何も言えなくなる。


『そんな、はずは…』


自分が通り魔と同じわけがない。

そんなはずはない。そう言いたいのに、言葉が出てこなかった。



「菜久流ちゃん…」


後ろから聞えたか細い声に振り返ると、梨緒が涙目になっていた。


「…ごめんね。私、ずっと菜久流ちゃんが間違ってると思ってたの」


「……え?」


友人からの衝撃の発言に、一瞬で頭が真っ白になった。


「でも、言えなかった。私は、菜久流ちゃんのその正義感に助けられたから。菜久流ちゃんは、ずっと私を守ってくれてたから…」


同級生にいじめられていた時、みんなが見て見ぬふりをしていたのに、菜久流だけが助けてくれた。

その時から、2人は友人になった。


「でもね、菜久流ちゃん」


梨緒は、流れる涙を拭うことなく菜久流を見上げる。


「私、菜久流ちゃんに守ってって言ったこと、なかったよ」


「え……」


菜久流の開いた口から、声にならない音が漏れる。


「私は弱いし、泣き虫だし、男の人は苦手だけど…菜久流ちゃんに守ってほしいって思ったことは、なかった」


梨緒の瞳からは、ぼろぼろと涙がこぼれては落ちていく。


「私は、菜久流ちゃんの後ろで守ってもらうんじゃなくて、友達として隣に並びたかったの」



『梨緒が、泣いてる…』


梨緒は、よく泣く。

だから、泣かないように、傷付かないように、自分が守らなくてはと思っていたのに。

その思いさえ、独りよがりの自己満足だった。


『梨緒を泣かせているのは、私…』



梨緒は、固まって動かない菜久流の手をとる。


「ずっと言えなくて、ごめんね。でも私、菜久流ちゃんの、正しくあろうとするところは好きだよ」

「梨緒…」


正しくあろうとした。

間違っていることを見過ごすのは、心が許せなかった。

弱いものをいじめる人間も、人の悪口を言う人間も、人に迷惑をかける人間も、人を傷付ける人間も。


『通り魔と変わらない』


先ほどの平坦な声が、頭にこだまする。

正しいことをしていると思っていた。

しかし、自分は手あたり次第に人を傷付けていたというのだろうか。


『間違っていたのは、私…?』


今まで信じて疑わなかった自分の信念が、ぐらぐらと揺れていく。

何が正しいのか分からない中で、友人の涙だけが心に響いた。


「…私、梨緒を守りたかっただけだったの」

「うん」

「友達としても、大切に思ってるわ」

「うん。分かってる」

「正しいことをして…人に感謝されることが、嬉しかったの」

「うん。分かってるよ」


「ありがとう」「あなたのおかげだ」と言わるのが、嬉しかった。

自分の行動で、誰かが救われるのが嬉しかった。

自分が正しくあれば、いつか誰かに感謝されると思った。


『馬鹿だわ、私…』


誰かを助けたい、誰かのためになりたいという思いがいつの間にか抜けていて、ただ正しくあらねばと思っていた。

自分は間違っていないと、信じきっていた。


ようやく、「通り魔」と言われた意味が理解できた。

自分だけの正義を振りかざしているのは、確かに人を傷付けて歩いているのと変わらない。


少し震える手で、梨緒の手を握り返した。

そして、顔を上げて、頭を下げた。


「…ごめんなさい。私が、間違っていました。迷惑をかけて…ごめんなさい」


菜久流が謝るとは思っていなのか、東海林は驚いたようだった。


「…謝罪は受け入れる。俺も意固地になっていた部分はある。そこは、謝る。悪かった」


東海林からも謝られるとは思っていなかったようで、顔を上げた菜久流は少し驚いた顔をしている。

東海林は、気まずそうにその視線を流す。


「あの場を見れば、俺が女子を傷付けたと誤解するのも無理はない。ただ、俺としてはその詳細を第三者に知られたくなかった。感情的になった俺にも、非はある」

「…ごめんなさい」


今までの強気な姿勢はどこにいったのか、菜久流はしおれて弱気になっている。


「つぼみにも、迷惑をかけてしまったわ。ごめんなさい」

「俺たちも、謝罪を受け入れる」


翔平は、淡々と続ける。


「今回は、特に罰則はない。ただ、反省を行動で表すのであれば、迷惑をかけた相手に謝罪をすることを勧める。つぼみとして望むことは、それだけだ」

「分かりました」

「私も、一緒に行くからね」

「梨緒…」


涙目ながらも頼もしい友人に、今まで本当に自分は間違ってばかりだったのだと改めて気付いた。


「…ありがとう。梨緒」


菜久流の頬に、一筋の涙が流れた。




「というわけで、本人は反省したみたいだから」

「東海林くんとの関係も、改善したってことで」


菜久流たちのやり取りを少し遠くから見ていた皐月と凪月は、隣にいる生徒にそう告げる。


つぼみの双子に無理やりここに連れられて来た男子生徒は最初は何事かと目を白黒させていたが、一通りのやり取りを見て了承したように頷く。


「分かりました。父には、僕から言っておきます」


男子生徒は、落ち着いた目で遠くを見る。


「橘先輩が自分の非を認めれば、警視総監も強くは出られないでしょう。東海林先輩も謝罪を受け入れましたし、親が喧嘩をしている理由はなくなりました。そうすれば、事件の捜査は順調に進みます。そうなれば、僕の父に不満はありません」


男子生徒は、少し苦笑いを浮かべる。


「事件の被害者が、母の実家の親戚なんですよ。それで、何とかしろって言われたらしくて。父としても、首を突っ込むのは本意じゃなかったそうです」


スポーツ用品会社の社長の息子である波多野という男子生徒は、皐月と凪月に頭を下げる。


「警視総監と、大手の弁護士を敵に回さずに済みそうです。ありがとうございました」


皐月と凪月は、少し笑みを浮かべる。


「僕らは、何もしてないよ」

「橘さんは、友達のおかげで反省した。東海林くんとも仲直りした。ただ、それだけだよ」

「分かりました。そういうことにしておきます」


波多野という生徒は高等部2年生だが、どうやら物分かりが良いようだ。


「僕が今見た場面も、たまたま見ただけということですね」

「そうそう。たまたま見たことを、お父さんに言うのも君の自由」

「たまたま見たことに、自分の考えをちょっとつけるのも君の自由」

「なるほど…」


皐月と凪月の言いたいことが分かったのか、波多野は少し思慮深く考え込む。


「橘さんと東海林くんの親はこのことはまだ知らないから、早く知らせるといいことがあるかもね」

「体育祭、楽しみにしてるよ」


そう言うと、皐月と凪月はじゃあね、と手を振って去っていった。


「…あれが、つぼみか」


波多野は羨望を含んだ眼差しで2人を見送ると、父親に連絡をとるためにすぐに動くことにした。


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