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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
50/181

50 心に響く音⑤


『何なんだ…?』


日本に来てからもう招待生の滞在期間は終わろうとしており、今日が最終日である。


アレックスは始めに宣言した通り、晴の楽器を壊している。

1人でいる姿を見かけると大体何かしらの楽器を持っているので、人目につかないところで床に投げつけたりして壊してきた。

晴は楽器を奪われないように抵抗はするものの、壊してからの反応はそれほどなかった。

それがイラついて、さらに壊した。


どうせ金持ちの家なのだから、いくらでも買ってもらえるだろう。

楽器を壊せば、あいつの心が壊れるのが面白かった。

誰よりも音楽の才能があるのがムカついて、音楽ができなくなるくらい痛めつけてやろうと思った。

それなのに、日本に逃げた。

だから、せっかく日本にいるうちにもう一度壊しておこうと思った。


『なのに…』


壊しても壊しても、あの嫌味なくらい綺麗な顔は変わらない。

心は壊れない。


『ムカつく、ムカつく、ムカつく!』


「!」


イライラしながら歩いていると、前方に晴が歩いているのが見えた。

また楽器を持って歩いている。

今日は、ヴァイオリンを持っていた。

人気のない廊下で、周囲に人はいない。

せっかく心を壊してやろうと思ったのに、できないまま帰るなんて屈辱だ。


『あれも壊そう』


そう決めて晴のもとへ行く。

晴がこちらに気付くも、何もできないうちにその手からヴァイオリンを奪って床に叩きつけた。

ヴァイオリンは、思っていたよりも簡単に壊れた。


「性懲りもなくよく楽器なんて持てるな。今回だけで前に壊した楽器の数はいってるんじゃないか?」


しかしヴァイオリンを壊しても、晴の表情は変わらない。


「何とか言えよ!」


「そうだね。これが最後だ」

「は?」


そう言うと、晴は床に散らばるヴァイオリンを一瞥もせずにその場から立ち去って行った。


「何だよ!馬鹿にしやがって…」


しかし、もう明日にはイギリスに帰る。

十分に嫌がらせしたし、もうあいつに会うこともない。せいせいする。


「もういいや。この遊びも飽きた」


アレックスは壊れたおもちゃから興味を失った子供のように、ヴァイオリンに背を向けた。




「みなさん、短い間でしたが、滞在を楽しんでいただけましたでしょうか。今日が最終日ということで、ささやかながら私たちから贈り物があります。


最終日の最後、つぼみが送別の場として一席設けた。

そこでは花束や記念品などが、つぼみから招待生5人にそれぞれ贈られる。

ここでも、晴の表情は少しも変わらなかった。

しかしアレックスにとってはもうどうでもいいので、はやくイギリスに帰りたいと思った。


「最後に、ビデオレターがあります」


天井からスクリーンが出てくると、映像が映し出された。


ガシャンッ――100万円

ガシャンッ――120万円

ガシャンッ――300万円


「なっ…何だよ、これ…」


再生された映像は、この数日間でアレックスが晴の楽器を壊している瞬間の動画だった。

しかも、ご丁寧に楽器の値段まで詳しく説明されている。


「アレックス、これは何なの?」

「本当にこんなことをやっていたのか!」

「何をしていたんだ!」


他の招待生がアレックスへ疑惑と非難の目を向ける。


「い、いや…俺は――」


その間にも淡々と自分が楽器を壊し、その値段が表示される映像が映し出されている。

この数日間ずっと変わらなかった晴の表情に、微かに笑みが見えた気がした。


「嵌めたな!この野郎っ!」

「おれたちは君に酷いことはしてないよ。ちょっと動画を撮っていただけ。おれの大切な楽器を壊したのは、アレックス。君だよ?」


「この混血野郎が!」

「やっぱりそこも嫌ってたんだね。今時、混血なんて言葉は差別用語だよ。それに、おれはイギリスと日本の2つの血を持ってることが誇りなんだ」

「このっ――」

「あぁ、動画が終わったね」


スクリーンを見ると、さっきヴァイオリンを壊したところで動画が終わっている。


「イギリスにいた時も、最後に壊されたのはヴァイオリンだったね」

「!!」


全てが晴の思惑通りだったと知り、怒りで頭が真っ赤になる。


怒りに任せて晴に上げた手は、晴に届く前に今度は面倒くさそうな目をした女子に止められた。


「1千万は超えたね」


女子は、とても楽しそうに笑っている。



「アレックス。おれは、君に楽器を壊されてとても悲しかった」


アレックスの目が、晴へ向く。


「どの楽器も、とても大切なものだった。両親が、おれのために買ってくれた大切なものだったんだ。毎日その楽器たちを弾いて、手入れをして、大切にしてきた」


それを目の前で壊されるたび、怒りが湧かなかったわけがない。

ただ、それ以上に悲しかった。

大切な楽器を守ることもできない自分が、情けなかった。


「おれは、イギリスにいた時とは違うんだ」


そう言って晴は、映し出されている動画に目を向ける。


「この動画は、警察に届けようと思うよ」

「なっ!」


そんなことをされれば、自分の人生が終わったようなものだ。

親にも、ばれてしまう。

今まで嫌がらせをやめなかったのは、ばれない自信があったからだ。

証拠がなければ、子供の言い分など、どちらが本当なのかは分からない。


「おれたちは、もう子供じゃない。人のものを壊した責任は、とってもらうよ」


怒りで晴に向かっていこうとするアレックスだが、女子に掴まれている腕はびくともしない。

自分より細い腕なのに、何故か動けなかった。


「でも…」


晴は、そんなアレックスを見て少し哀しげに目を細める。


「君がおれに謝罪をして、壊した楽器の分を全額払うっていうなら、警察に届けるのはやめるよ」

「…脅すのか」

「そんなつもりはないよ。君に謝るつもりがないなら、それまでだから」


究極の選択を委ねられたかのように、アレックスは歯を食いしばる。


「今まで、何も言わなかったくせに…」

「さっきも言ったけど、今のおれはイギリスにいた時とは違うんだ。おれを信じてくれる友人もできたし、つぼみの称号ももらった。友人たちと、その称号に恥じる振る舞いはしたくないんだ」


もう、逃げるのはやめたのだ。


「どうする?アレックス」


ぐぐぐっと、歯が折れそうなほど食いしばる。


自分より弱いくせに。

ずっといじめられていたくせに。

今になって反発してくるのが、ムカついて仕方がない。

今にも暴れて、ボコボコに殴ってやりたい。

しかし、それを隣の女子が許さない。

日本人にしては薄い色の瞳は、感情のないまま自分を見ている。


「証人がいること、忘れてる?」


その言葉ではっと後ろを見ると、イギリスから一緒に来た招待生たちが、自分を怒りの目で睨んでいた。


「証拠、証人、証言。全部揃ってる」


それは、この状況からどうあがいても逃げられないことを意味している。


「………」



少しするとやっと諦めたのか、アレックスの腕から力が抜けた。

純は、掴んでいたその腕を離す。

その瞬間、アレックスは拳を振り上げて晴に襲いかかった。

怒りに任せた拳が晴に届く前に、ふっと空気が動く。

晴の顔に目がけて振るった拳は空を切り、手首を掴まれたと思った時には腕を背中に回されて肩に痛みが走った。

気付くと、晴はアレックスの背後に回っていた。


「…残念だよ。アレックス」


晴は、アレックスの腕を背中で固めて動けないようにしながら、幼い頃に一度は友人だと思っていた相手に哀しみの目を向ける。


「言ったよね。おれは、もう昔のおれじゃない。君に殴られても何もしなかった頃とは、違うんだ」


晴に自分の拳が届かなかったことがショックだったのか、アレックスは信じられない、という顔をしている。

晴が腕を離すと、アレックスは体の力が抜けたようにそのまま座り込む。

自分より格下だと思っていた晴に反撃されたことが、それほど衝撃的だったらしい。


「君にも、変われるチャンスが訪れることを願うよ」


晴が変われたのは、仲間であり友人であるつぼみのメンバーのおかげだ。

自分の力で変われたとは思っていない。

アレックスのことは許していないけれど、変わってほしいと思う心に嘘はない。


もう友人ではないけれど、アレックスを知る人間として、そう願った。




あの後アレックスは、壊した分の金額を賠償すると約束した。

どういう心境の変化があったのかは分からないが、ちゃんと誓約書を書かせてサインさせたので大丈夫だろう。

そして、他の招待生に監視されながらイギリスに帰っていった。向こうの学校でも罰をくらうだろう。



「いやー、それにしても…」

「バレなくて良かったねー」


気の抜けない数日間を終えた皐月たちは、やっとつぼみの部屋で団らんしていた。

ずっと細心の注意を払いながら動き回っていたので、休暇明けにしては体力のいる作戦だった。


「とてもワクワクしたわね」

「でも、あの作戦をとるとは思わなかったよ」


アレックスに借りを返すと決めた時、どんな方法をとるかみんなで話し合った。

その中で一番大変そうで性格の悪い作戦を提案したのが、純だった。

しかも晴がその作戦を気に入ってしまったので、実行することにしたのだ。


その作戦とは、晴が今までアレックスに壊された分の楽器を壊させて、それを動画に撮って言い逃れできないようにしたうえで賠償させるというものである。

しかし今回壊させた楽器は全てよくできた張りぼてで、アレックスが壊した楽器をよく見れば作戦がうまくいかない可能性があったのだ。

晴に何の楽器を壊されたのかを詳しく聞いた次の日、純がよくできた張りぼての楽器を全て用意してきたのだが、どうやってあんなに速く、しかも本物と間違うほどのできのいいものを用意できたのかは全員分からない。


「晴は大変だったでしょ。張りぼてとはいえ、自分の目の前で楽器を壊されたんだから」


双子の片割れは心配そうにしている。

純以外がこの作戦に否定的だったのは、そこが心配だったからなのだ。


「大丈夫だよ。今回は狙ってやってたし、アレックスを騙すのは仕返しができたみたいでよかった」


「しかし、あんなにたくさん壊されたんだな」

「酷いわ。晴くんがどれだけ傷付いていたのか分からないなんて」

「そうだよ。あんな嫌がらせをずっと受けてたのに、よく性格が曲がらなかったね」

「楽器を壊されたのはすごい悲しかったけど…幼い頃から人の言動に振り回されないように育ってたからかな。母さんのおかげで」

「…あー、なるほど」


幼い頃からあの母親の近くにいれば、何が起きても落ち着いて平常心を保てる人間になるだろう。

反面教師というやつだ。


「楽器の種類はともかく、よく値段まで覚えてたな」


翔平にそう言われ、晴は言いづらそうにしている。


「あれは…おれが詳しい値段までは分からないって言ったら、純が値段を決めてくれたんだけど…」


晴は、苦笑いを浮かべながら純を見る。


「おれから見ても高めに設定してたよね、あれ」


翔平が眉間にシワを寄せる。


「ぼったくったのか」


純は、本を読みながらにやりと笑った。


「借りには利子がつきものだから」

「お前ほどあくどい利子をつける人間は他にいない」


翔平の容赦ない突っ込みに、晴が笑う。


「おれ、アレックスがお金を返しても返さなくてもあんまり気にしてないんだ」


晴の表情は清々しい。


「もう楽器を壊されない…いや、ちゃんと守れるって分かったから。また、楽器を持てるようになったんだ」

「よかったー」

「それに、アレックスを返り討ちにした晴、かっこよかったよ」

「あれは…」


晴は、あの時のことを思い出して純を見る。


「この作戦に決めた時、純に言われたんだ。きっとアレックスに殴られるから、殴り返せって」


あの時、純がアレックスの腕を離したのはわざとだろう。

今までやられっぱなしだった晴に、やり返すチャンスをくれたのだと思う。


「でも…どんなに嫌なことをされても、おれが暴力を振るえば、アレックスと同じになってしまう気がして。殴り返すことはできなかったよ」

「晴くんらしいわ」


どれだけ嫌な思いをしても、相手に同じ思いをさせようとは思わない。

優しい、晴らしい選択だった。


「母さんも、そう言ってたよ。それに、母さんがイギリスに帰る前に久しぶりに演奏を聴かせてあげられたから、良かったよ」

「今度、私たちにも聴かせてくれると嬉しいわ」

「うん」



嬉しそうに話している晴を見て、翔平は入学式の時のことを思い出した。


『純が入学式でわざとヴァイオリンを晴に演奏させたのはこのための布石か?…優希にピアノを演奏させたのは…晴だけに演奏させると不信感を持たせるからか』


入学式でヴァイオリンを演奏させ、晴の家ではヴァイオリンの音を聴かせ、晴に過去を思い出させるような行動をとっていた。

全ては、晴が過去を乗り越えられるようにするための布石だったのだろう。

相変わらず自分たちでは及ばないところを見ている純に、ため息が出る。


『だが、晴が立ち直れるよう力を貸したってことは最初から悪くは思っていなかったということか』


翔平は、少し安心した。

自分たちが心配していたよりはやく友人になれるかもしれない。



『そういえば、あのストラディバリウスは誰のものなのかな…』


晴は隣の部屋にあるほこりの被ったヴァイオリンを思い出していると、純と目が合った。


「3年前に聴いた愛の挨拶は、うまかったよ」


純に褒められたのは初めてで、とても嬉しかった。


「純だって、すごいうまかったよ」


純は、静かに首を横に振る。


「感情のない音楽は心に響かない。でしょ?」

「え?…うん」


『あれ?じゃあ…あの演奏をしていた純は、感情がないってことになるんじゃ…』


翔平が、固い表情をして純を見つめる。

雫石も悲しそうに純を見つめていた。



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