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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
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45 自慢の妹⑤


「お帰りなさいませ。お嬢様」

「ただいま」


一仕事終えて別邸に帰ると、額に怒りマークを付けたシロが純を出迎えた。

どうやら、純がパンを買うために勝手に外出したことがバレたらしい。


「会社にいるだけだからと、私を置いて行かれたのではなかったのですか?」

「急にパン食べたくなった」

「お一人での外出は危険だと、いつも言っているではありませんか」

「別に大丈夫だよ」

「大丈夫ではありません。お嬢様は、VERT社長であり静華学園理事長の孫としての自覚が足りません」


シロは、純に令嬢らしい行動を求める。

1人での外出はもってのほからしい。


『パン食べたいな…』

「パンを食べるのは反省していただいてからです」


たまに、シロは自分の声が読めるんじゃないかと思う時がある純である。


「はいはい」

「はいは1回です」

「…はい」


相変わらず、細かいところまで厳しい執事である。

その後、シロの説教は湊が帰ってくる夕方まで続いた。




「今回は、ごめんな。休暇どころじゃなかったな」


夕食を食べながら、湊が申し訳なさそうに謝る。


今日の料理は、ロシア料理である。

初日がイタリア料理で、次の日はインド料理だった。

どうやら、今回はフランス料理を出すつもりはないらしい。


純はピロシキにかぶりつきながら、首を横に振った。


「いいよ。暇潰しできたし」

「そうか。それは良かった」


湊は安心したように微笑む。

ピロシキをぱくぱく食べている妹を眺めて、嬉しそうにしている。

純の後ろでシロが「食べ過ぎです」と小声で言っているのだが、純は聞こえないふりをしている。


純は口の周りをペロリと舐めると、今日のことを思い出してにやりと笑った。


「お兄ちゃんも、悪だくみ上手くなったね」

「ばあちゃんには敵わないけどな」


湊は、肩をすくめて笑っている。


「あのトムって人をクビにしたかったんでしょ?」

「トムは前から人のデザインを盗んでたんだけど、ずっと証拠が掴めなかったんだ。今回、やっと辞めさせられて良かったよ」


つまり、今回のことは湊が仕組んだことだったのである。

そして、純は兄の思惑が分かっていて手伝った。


「わたしみたいなただの高校生が行けば、いいカモになるもんね」

「純はただの高校生じゃないけどな。でも、きっと盗むと思ったよ。ヘッドハンティングの話もうまくいってたらしいしな」

「その話を潰したの、最近じゃないでしょ」

「トムにはうまくいってるように見せかけてたんだ。じゃないと、盗まないからな」


トムは、ただ湊の手のひらの上で踊らされていただけなのである。



純のデザイン画に嫉妬して盗めば、クビにできる。

ヘッドハンティングの話がうまくいっていると信じさせて、盗む意欲を強めさせたのだ。


純のデザイン画を盗まなかったとしても、あの男がヘッドハンティングされることはない。

違う理由で、VERTをクビになっていただろう。


「できればデザイン業界から締め出したかったからな。本当はシャルルと計画してたんだけど、あいつが入院した時はどうしようかと思ったよ。でも、純に手伝ってもらえて良かった。予定より早く片付いたからな」


純がデザイン画を描いた次の日には、盗んでいたのだ。

相手が社内の人間であれば、もう少し警戒して確実な手を使っていただろう。

純をただの高校生だと思ったから、すぐに行動に移したのだ。


デザイン画に付けていたGPSは、盗まれると分かっていたから最初から付けていた。

本当は社内のどこに隠されていたのかも分かっていたのだが、盗んだという事実を確固たるものとするために、分からないふりをしてトムを泳がせていただけである。


湊の妹として名乗らなかったのも、わざとである。

純が当たり前のようにフランス語を喋っていたので、まさか日本にいるはずの妹だとは思わなかったらしい。



「デザイン画を盗んだくらいでアイデアを取った気でいるなんて、よく分かんない」

「普通の人は、あんなに完璧なデザイン画をもう一度描くのは大変なんだよ。それに、そのアイデアが自分のものだと証明するのは難しいからな」


そういうものか、と純は納得した。

純にとっては、百枚だろうが千枚だろうが一度描いたものを全く同じように描き直すことなど簡単である。

トムという男を躍らせるために他の人に話を合わせていたが、何故盗まれただけでお先真っ暗みたいな顔をしているのか理解ができなかった。


「どっちにしろ、わたしのデザイン画は使えないでしょ」

「あれほどの出来のものを出しちゃうと、後で困るからなぁ。純が描いたって知られたら、面倒なことになるし」


純の天才的な能力は、大勢の人間に知られるべきではない。

私利私欲にまみれた人間は、自分のものにしようと狙ってくるからだ。

湊も、もともと純が描いたものを使うつもりはなかったのだ。


「エミリーが頑張ってたみたいだし、シャルルの代わりはエミリーにやってもらおうかな。遅くまで会社に残ってたのも、純のデザイン画に触発されて自分もアイデアを考えていたみたいだし」


そのせいで疑われてしまったのだが、湊は最初から犯人はトムだと分かっていたので茶番に付き合っていただけだ。


「純に手伝ってもらうことで他のデザイナーの士気を高めたかったのもあるんだけど、うまくいったよ」

「良かったね」

「エミリーは少しキツイ性格のせいで、周りとうまくいっていなかったんだ。今回のことで他のメンバーもエミリーを見直しただろうし、良かったよ」


今回、湊は純に手伝ってもらうことでトムという男をクビにし、優秀な人材を一歩成長させたのだ。

一つの手で複数の結果を出すのは、祖母の弥生と同じである。



「全部、純のおかげだ。ありがとう」


純は、柔らかく微笑む。


「お兄ちゃんに頼まれたから」


純にとって、理由はそれだけである。


トムという男がどうなろうが、デザイン画が盗まれようが、興味はない。

ただ兄に頼まれたから、その役割を果たしただけである。

今回珍しく口数が多かったのも、デザイン画を盗まれやすくするために少し目立つためである。

全ては、兄に頼まれたからだ。


「やっぱり、純はすごいな」


湊はそう言って、微笑んだ。



湊がトムに言ったことに、嘘は一つもない。

湊にとって、純は自慢の妹である。


頭が良くて、記憶力が良くて、楽器を何でも弾けて、運動神経も良い。

湊のちょっとした悪だくみも、純にはお見通しである。

純にできないことは何もないと言えるほど、何でもできる。

その才能の凄さを一番近くで見てきても、嫉妬をしたことはない。

湊はただ、大切な妹が愛おしいだけだ。


『トムに言ったことに嘘はないけど…』


湊は純が生まれた時から、妹として大切に思っている。そこに嘘はない。

しかし、ある日を境に、その想いが少し変わった。



ある日、妹は笑わなくなった。


喋ることも、表情を変えることもなくなった。

食事すら、とらなくなった。

感情を、全て落としてしまったようだった。


まるで人形のように表情は虚ろで、明るく希望を映していた薄茶色の瞳は、がらんどうになってしまった。



大切なものを失った幼い妹は、自分のものも、いろいろと失ってしまっていた。

そんな妹を見て、自分の全てをかけても守らなければと思った。


妹のために、生きようと思った。

純のために、兄であろうと思った。



湊はただ、大切な妹に笑って幸せでいてほしいだけだった。


『そのためなら…』


世界の全てを敵に回しても、構わなかった。


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