42 自慢の妹②
休暇でフランスを訪れた次の日、会社へ行く純に「ついて行きます」と粘っていたシロを何とか説得して家に置いていき、純は湊と一緒に出社した。
祖母の会社に行くだけなのに、シロも大概過保護である。
VERTは日本の企業ではあるが、ファッションに厳しいこのフランスでも受け入れられており、評価も高い。
ブランドの名前である「VERT」はフランス語で、「緑」という意味である。
社長の名を冠したVERTは、緑をブランドカラーとし女性向けの服飾品を中心に手広く展開している。
フランスの支社には特に精鋭の社員が揃っており、プロ意識も高い。
そんな所に日本の高校生が行けば、注目されるのは当たり前だった。
「…というわけで、入院したシャルルの代わりを連れて来たよ」
チームリーダーの湊から衝撃の事実を告げられたチームメンバーは、ポカンとした顔をしている。
「…シャルルの代わり?」
「そうだよ」
「この子が?」
「そうだよ」
「…まだ、子供じゃない」
大人のデザイナーの代わりに、子供が連れてこられたのだ。困惑するのも仕方ないだろう。
「あなた、いくつ?」
女性の社員に直接尋ねられ、純は答える。
「17歳です」
ざわざわと、他の社員にも驚きが広がる。
「ということは、高校生じゃない。そんな子供に、シャルルの代わりが任せられるとは思えないわ」
「そうよ。ここは遊び場じゃないのよ?」
それは、当たり前の反応である。
しかし、純も普通ではないが、湊も普通ではないのだ。
「もちろん、責任は俺がとるよ。使えないと思った時は、その場で帰していい」
湊は、人の良さそうな笑みをにっこりと浮かべる。
「俺は、使えない人間は連れて来ないよ。俺の言葉が信じられないなら、自分の目で確かめるといい。それで構わないよね?ソフィア。エミリー」
名指しされた2人は、湊に反対意見を言った2人である。
「湊がそこまで言うなら、いいわ」
中年の女性は、反論するのは諦めたらしい。
もう1人の若い女性はまだ納得していないようだが、渋々頷いた。
「何か、言いたいことはある?」
一言求められた純に、部屋中の視線が集まる。
しかし、どこの国に行っても純の社交性の無さと初対面の相手への無愛想は変わらない。
「どうも。よろしく」
つまり、第一印象が悪いということである。
この部屋の中で明るい表情をしているのは、湊だけだった。
今回のショーの全体のリーダーは湊で、入院したシャルルという人はデザイナーチームのリーダーだったらしい。
ショーの準備で忙しい湊は何人かのメンバーを連れて部屋を出て行き、残るはデザイナーチームのメンバーだけとなった。
純を入れて、全部で6人である。
どうやら入院したシャルルという人は人望があったらしく、代わりに来た純への視線は困惑や不審が多い。
「あなた。本当にやる気があるの?」
純に話しかけてきたのは、さっきも湊に反対意見を言っていた若い女性だった。
20代後半のようで、チームの中では若い方に属する。
しかしそれに臆した様子はなく、少しつりあがった緑色の瞳は純を見据えている。
「さっきは湊があそこまで言ったから黙ったけど、ここは子供が来るような場所じゃないのよ。やる気がないなら帰りなさいよ」
どうやら、純の無表情をやる気がないと見たらしい。
「使えないと判断されたら、帰りますよ」
「あなたみたいな子供が、シャルルの代わりなんて務まるはずがないでしょう!遊びじゃないのよ?」
「それは分かってます」
「じゃあ、帰りなさいよ!ここには、他にも優秀なデザイナーはいるわ。あなたなんかに頼らなくても、問題ないわ。そんなことも分からないなんて、湊もどうかしたのかしら」
兄のことを悪く言われ、純の目が据わる。
「自分の目で確かめろって、さっき言われたでしょう。忘れたんですか」
「私は納得したわけじゃないわ」
「わたしは頼まれたから、来ただけです。あなたが納得するかしないかは、関係ありません」
「子供に、何ができるっていうのよ!」
だんだんヒステリックになっていく女性に、他のメンバーは眉をひそめている。
どうやら、他のメンバーはここまでは思っていないらしい。
「やってみたら早いんじゃないですか」
「あなた、デザインの経験は?」
「ないです」
「はぁ?」
その返事は、興奮した女性をさらに怒らせるには十分だったらしい。
「デザインしたこともないのに、ここに来たっていうの?馬鹿にしてるとしか思えないわ!」
別に馬鹿にしているわけではないのだが、そうとられても仕方ないだろう。
『面倒くさいな…』
誤解を解くのも弁解するのも全てが面倒くさくて放っておいていると、さすがに見るに堪えなくなったのか、1人の男性が間に入った。
「エミリー。これは、湊が決めたことだ。僕らはその指示に従おう」
「でも、トム…」
どうやら、物分かりのよい人である。
エミリーという女性より10歳ほど年上で、争いは好まなさそうな穏やかそうな人である。
まだ納得していない様子の女性を、落ち着くようにと宥めている。
「お互い、無意味な時間を過ごすのはやめよう。君にはデザイン画を描いてもらうことになるけど、いいよね?」
純は、ただ頷く。
そのためにここに来たのだ。
「少しでもシャルルより劣っていたら、すぐに帰ってもらうから!」
またヒステリックになっている女性を落ち着かせながら、男性は純を見る。
「僕たちは、プロだ。子供だからといって、妥協はしないよ」
純は、ただ頷く。
ここは、祖母の会社である。そして、兄の働いている場所。
兄の頼みを聞いた以上、最低限は働かなくてはいけない。
やっと少し落ち着いた部屋で、仕事の話が進められる。
まずは、今回のショーで出す服などのデザインを考えるところからである。
ある程度基本的な構想はすでに決まっているらしく、今は具体的なデザイン画を作っていくところらしい。
「あなた、うちのブランドのコンセプトはちゃんと分かっているの?」
エミリーという女性はさっきのヒステリックさはなくなったものの、相変わらず純に当たりが強い。
「品格と自由」
「…その意味は?」
「ファッションの歴史を尊重しその品格を保ちつつ、自由な着想を取り入れる」
純は色鉛筆をさらさらと動かしながら、興味なさげに答える。
「VERTが富裕層からの支持が高いのは、流行の先を行きつつもその歴史を否定しないからです。歴史を重んじる家が多い富裕層にとって、流行は追いたいけど格式を軽んじることはできない。その2つを可能にしたからこそ、VERTは世界的ブランドになった」
色鉛筆を動かす手を止めると、紙を1枚めくる。
「今回のショーのテーマは、「日の出」でしょう」
「…知っていたのか」
純がそこまで知っていたとは思わなかったらしく、トムという男性も驚いている。
「その、意味は?」
エミリーに尋ねられ、純は面倒ながらも答えた。
「VERTは、ファッションブランドとしての歴史は浅いです。その地位を確立できたのは、ブランドカラーとして分かりやすい「緑色」があったから。誰が見ても、「VERT」のものだと分かるものを作ってきた。だから、一度受け入られれば広まるのは早かった」
そう言って、また紙をめくる。
「それでも、現状に満足しているだけではブランドとしての未来はない。だからこその、「日の出」。今回のショーは、VERTに新しい風を吹かせることが一番の目的でしょう」
VERTの特徴を残しつつ、新しい可能性を広げる。そのために、このショーのために集められた社員は若い者が多いのだろう。
ここまで純がVERTの内情に詳しいとは思わなかったのか、周りのメンバーは驚いている。
しかし、純からしたらこのくらい知っていて当たり前である。
何故驚いているのか、分からない。
純は話しながら動かしていた手を止めると、パラパラと紙をめくった。
「できました」
「…何が?」
「デザイン画です」
「まだ、10分も経っていなけど…」
「それだけあれば十分でしょう」
そう言って純がテーブルの中心に置いたのは、20枚のデザイン画だった。
「…本当に、今描いたのか?」
「見てたでしょう」
「いや、そうなんだが…」
メンバーが困惑するのも、無理はなかった。
確かにデザイン画1枚を描くのに、そこまで長い時間はかからない。
デザイン画はアイデアを披露するためのものなので、伝わる部分が伝わっていればいい。
緻密に描き込む必要はそこまでなく、色や形など大事な部分が伝わっていればいいのだ。
しかし、それはアイデアがあってこそ描けるものである。
純が描いたデザイン画を見た他のメンバーは、皆息をのんで何も言えなくなった。
どうせ子供の描いた、デザイン画だと思って見た。
しかしそれは、プロのデザイナーである自分たちが息をのむほど、完璧で斬新なデザインだった。
VERTのコンセプトである「品格と自由」から外れず、主な客層である富裕層に受けるデザイン。
それでいて今回のショーのテーマである「日の出」から連想されるような、新しい時代の幕開けを伝えるデザイン。
それらの完璧なデザイン画を、この短時間で20枚も出してきたのだ。
普通ではなかった。
「…あなた、何者なの?」
エミリーという女性は、震える手でデザイン画を握りしめている。
純を見る緑色の瞳には、どこか恐怖に似たものがあった。
「ただの、子供ですよ」
純は、無表情に人の悪い笑みを浮かべた。




