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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
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41 自慢の妹①


今回の休暇は、純は兄の湊と一緒にフランスに行く予定だった。

しかし休暇前にフランスから連絡があり、会社で問題が起きたらしい湊は一足先にフランスに戻ってしまった。

一緒に行く予定が変わってしまったのは残念だったが、休暇を一緒に過ごせるのには変わりない。

純は執事のシロを連れ、予定通りフランスを訪れた。



日本と比べると少し季節が戻ったかのような涼しい風に、異国の香りが流れている。

どこか甘ったるくて、それでいて人間的な匂いだ。

車の窓の外に見える景色は芸術の街らしく優雅で、混沌としている。


フランスには、弥生が建てた別邸がある。

日本の家ほどではないが、豪華で広い家だ。

今は、そこに湊が使用人と共に住んでいる。

純の今回の滞在先は、ここである。




別邸に着くと、出迎えてくれたのは湊の執事だった。


豊かな黒髪に温かな瞳をしている男性で、純の姿を見るととても嬉しそうに顔がほころぶ。

50代後半のおじさんであるが、その年齢にしては喜怒哀楽がはっきりとしている元気な人だ。


「お待ちいたしておりました。お久しぶりです。純様」

「久しぶり、椎名(しいな)さん。ここにいていいの?」


執事なのだから、湊の側にいなくてはならないはずだ。

しかし、椎名はにっこりと微笑む。


「湊様から、純様をお迎えするように仰せつかっておりますので」

「そっか」


「本日はお仕事を早めに切り上げて帰宅されるそうですよ」

「支社で起きた問題は?」

「湊様の最優先事項は、純様でありますゆえ」


相変わらず、妹バカなところがある。

妹のためなら、問題が起きていようが仕事を切り上げて帰ってくるつもりなのだろう。



フランスでは、特に用事はない。

何度も来ているので観光する場所もないし、外出してしまうと周りに心配と迷惑をかけやすい。

日本では好きに行動することが多いが、外国でそれをすると何倍も怒られるので控えておく。

すでに何度か経験済みである。


その中での楽しみは、フランスのパンを食べることである。

バゲットやパン・ド・カンパーニュ、エピなど、現地で食べるのもまたいいものだ。


『フランスのパンは硬めで食べごたえがあっていい』


どの店に行こうかと考えていると、その思考に隣から鋭く声が入ってきた。


「パンを買うための外出は控えていただきますよ」


どうやら、シロに純の考えはお見通しらしい。

過去にパンを買うために何度も勝手に外出しているので、シロがそう言うのも当たり前である。


「……しないよ。誰かに買ってきてもらう」


自分で買いに行こうと思っていたので、純は少しふてくされた。

シロは純にそれなりにお嬢様らしい行動を求めているので、自由過ぎる行動は諫められることが多い。

弥生と湊が何も言わないのでなおさらだった。


「お兄ちゃん帰ってくるまで寝てる」


パンを買いに行けなくなってしまったので、本当に暇になってしまった。

それに、最近はいつもより眠りが浅いことがずっと続いていたので睡眠不足気味なのだ。


純の体調を察したのか、シロはすぐに部屋に案内してくれた。



寝やすい服に着替え、ベッドに入る。

シロはすぐに部屋を出ていった。


純は人が近くにいると眠れないため、シロは純が眠るときはいつも部屋から一定の距離を離れている。

純は、人の気配に敏感である。嗅覚や聴覚も、普通の人よりも鋭い。

そのため、近くに人がいると起きてしまうのである。

眠りが浅いのはいつものことなのだが、最近は特にあまり眠れていなかった。


『夢を、見るせいか…』


そんなことを考えていたら、やはり夢を見た。



いつもの夢だった。

雨の中、自分は1人で立っている。

あの時から、全てが変わった。

そんな夢だった。




人の気配を感じて目を開けると、いつもと違う天井が見える。

窓の外は薄暗く、部屋の中の家具は自分の寝室のものではない。

それでもどこか見慣れた壁の模様をぼうっと眺めていると、やっとフランスに来ていたことを思い出した。

フランスの別邸に到着して、暇だったので寝ていたのだ。


少し重たい頭を起こすと、ノックをする音が聞こえる。

返事をすると、湊が入ってきた。


「起こしてごめんな」

「大丈夫。寝すぎてたから」

「そっか。よく眠れたか?」

「うん」


最近寝不足だったせいか、思っていたよりも長く眠ってしまった。すでに、日は暮れている。


「晩ご飯の用意ができてるから。一緒に食べよう」

「分かった。着替えてから行くね」


湊は優しく微笑むと、部屋をあとにした。



ダイニングで食事を始めると、フランスにいるのになぜかイタリアンが出てきた。

ピザやパスタなど勢ぞろいである。

湊は、なぜかこういう小さないたずらのようなことを企むお茶目なところがある。


「会社は大丈夫?」


フランスの支社で問題が起きたから、湊は一足先にフランスに戻ってきていたのだ。


「俺が担当するショーのデザイナーが1人、事故にあって入院しちゃってな。まだショーまでは時間があるとはいえ、その人の代わりがいないんだ」


湊は困ったようにため息をつく。


「デザイナーは他にもいるんだけどな。その人の代わりを務められるくらいのデザイナーは、みんな手が空いてないんだ」

「日本に応援呼べば?」

「日本も、今は忙しくてこっちに人を貸せるほどの余裕はないらしい」


すでに連絡済みだったらしい。

湊はどうしようかと、悩んでいる。


湊はこの春大学を卒業したばかりだが、大学在学中からフランス支社でデザイナーとして働いていたため、この年齢でショーを担当するほど頼られているらしい。

VERTの次期社長として期待されている証でもある。


今回、代わりのデザイナーを用意することは簡単だが、力量の伴わない人間に任せるとVERTの評価を下げかねない。

かと言ってそのデザイナーが復帰するまで待っているだけの時間的余裕はないのだろう。



どうしようかと悩んでいた湊だったが、純を見てパッと明るい表情になった。


「そうだ。純、手伝ってくれ」

「わたし?」

「純なら、デザイナーとしての能力は問題ないだろう?」

「デザインしたことないけどね」

「でも、出来るだろう?」


湊はちょっと意地悪そうに微笑んでいる。

ずっとそばにいる兄には、純の能力の底は知られている。

つまり、純に出来ないことは何も無いということだ。



純は、熱々のピザを食べながら少し悩んだ。

せっかく兄と一緒に休暇を過ごして好きなだけパンを食べたかったのに、面倒ごとが舞い込んできた。

しかし兄からの頼みなので、純は頷いた。


「いいよ」

「ありがとう!助かるよ」


湊は悩みが解決して、すっきりした顔をしている。

妹の能力を十分に理解している湊にとって、純が手伝ってくれることを了承した時点ですでに問題は解決したようなものなのだろう。

さっきまで悩んでいたのが嘘のように、食事を楽しんでいる。


「そういえば、翔平と雫石以外の子と喋ったのは初めてだけど、みんないい子そうだったな」

「おばあちゃんも言ってた」

「ばあちゃんに気に入られると、大変だけどな」


5年前のつぼみだった湊は、祖母の理事長としての容赦のなさを身に染みて理解している。


「俺の時の試練は、純が手伝ってくれたから楽しちゃったけどな」

「おばあちゃん、気付いてたけどね」

「純が手伝うのを見越してたんだろうな。俺たちだけにしては、難しい内容だったし」


2人の祖母である弥生には、いろんな可能性が見えている。

一手を打った時に、人がどう動くか。状況がどう転ぶか。

いろんな可能性が見えているからこそ、あらゆる状況に備えて先手を打つことができる。

先を見通す確かな目を持っているからこそ、起業してからたった一代でVERTを世界的ブランドにまで成長させたのだ。

それを怖れる者もいれば、認める者もいる。


湊がフランス支社である程度の立場にいるのは、湊の実力もあるが、「弥生の孫だから」という理由も大きい。

社長が優秀だから、その孫も優秀だと期待されているのだ。


そこで親の七光りと言われないのは、湊がその期待に十分に応えているからだ。

祖父母や両親が優秀であれば、子や孫はそれと同じかそれ以上の期待をされる。

勝手に期待され、その期待に応えられなければ勝手に失望される。

頼んでもいないのに、いい迷惑である。


しかし、名のある家族を持つとそうなるのは必然である。

家族の名から逃げるか、立ち向かうかは、自分次第だ。

期待に応えるか、応えないかも自分次第。


『明日どうなるか、楽しみだな』


ふっと笑みを浮かべていると、パンを口に入れてモグモグと動かしている妹と目が合う。

昔から、パンが好きなのは変わらない。


「明日、よろしくな」

「うん」


純はペロリとパンを平らげ、もう1つ食べようと皿に手を伸ばす。

しかし、後ろからの視線が背中に刺さる。


「お嬢様。食べ過ぎです」

「…まだ2つしか食べてない」

「そのパンの前に、ピザを十分に食べております。炭水化物ばかりではなく、もう少しお肉やお野菜をお食べください」


純は不満そうに口先を尖らせながらも、渋々他の料理に手を伸ばす。


「あと1つくらいだったらいいだろう。シロ」


湊からの鶴の一声に、純は期待の眼差しをシロに向ける。


「湊様は、甘すぎます」

「兄だからな」

「お嬢様は、パンを食べ過ぎなのです。栄養が偏ってしまいます」

「今日は休暇なんだから、少しくらいいいだろう」


純も、うんうんと頷く。

シロはため息をつくと、大皿から小さめのパンを取り、肉や野菜ものせた。


「こちらのイタリアのパンは、お肉やお野菜を挟むと美味しく食べられます。今日は、特別ですよ」

「うん」


純はパンに肉と野菜を挟んでもらい、嬉しそうにかぶりつく。

それをはしたないとシロが諫めながらも、純が美味しそうに食べているせいか表情は和んでいる。


「デザートは、俺が作ったティラミスがあるからな」


どうやら、純が別邸に着く前に作っておいたらしい。

フランスの別邸にもシェフはいるはずだが、妹に食べさせるデザートは自分で作りたかったらしい。



『お2人とも、変わらないな』


どこにいても相変わらずの兄と妹にやれやれとため息をつきながらも、その仲の良さにシロは自然と笑みがこぼれる。


湊がフランスの大学に留学してからは、純と湊は離れ離れになってしまった。

以前のようにゆっくり過ごすことも少なく、こうやって楽しそうにしているのを見ると幼い頃を思い出すようである。


今と変わらず、どこまでも妹に甘い兄と、どこまでも兄について行く妹だった。


ふと視線を上げると、湊の執事である椎名も2人の様子をニコニコと笑みを浮かべながら見つめている。

どうやら、心境はシロと同じらしい。

執事2人に見守られながら、仲の良い兄と妹は楽しそうにおしゃべりを続けている。


フランスの初日は、穏やかに過ぎていった。


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