35 お出かけ④
「誰かー!泥棒よ!」
「…始まったな」
周りの人を突き飛ばしながら、1人の男がこちらに向かって走ってきている。
これは、囮だろう。本命を狙うための陽動だ。
しかし目の前で泥棒を働かれて、見過ごすわけにもいかない。
翔平は音もなく駆け出すと、バッグを持って走っている男を容赦なく蹴り飛ばした。
男が突然現れた翔平に驚いた頃には、後ろに吹っ飛んでいた。
近くの植え込みまで吹っ飛ばされ、動けないようだった。
ちゃんと他の人に当たらないように吹っ飛ばし、落ちる場所も柔らかい所を選んでいるのが翔平の優しさである。
女性の悲鳴と「泥棒」という言葉で、周囲は混乱状態になっている。
この場から離れようとしている者も多く、人の波にのまれそうである。
翔平が晴たちのところへ戻ると、人混みの中から現れる不審者を次々にノックアウトしている純がいた。
「再起不能にさせるなよ」
「分かってる」
そう言いながら、純は向かってきた大柄の男の顎を下から蹴り飛ばす。
翔平と違って、純の攻撃は容赦がない。大体、急所めがけての一撃必殺である。
しかしちゃんと手加減はしているようで、吹っ飛ばされた男たちは死人のように動かないものの、ちゃんと息はしている。
翔平も手を貸しつつ怪しい男たちを倒すと、全て倒し終えた頃には騒ぎが起き始めてから1分も経っていなかった。
その頃になってやっと護衛たちが現れるものの、不審者たちが全て倒されている光景に驚いている。
「捕縛はお願いします。後で歌代家の人間に引き渡すので」
護衛たちは翔平の指示に頷くと、すぐに転がっている不審者たちを捕縛し始めた。
それが今一番すべきことだとすぐに理解したのだろう。
「大丈夫か?」
一応雫石たちの様子を確認すると、晴に抱っこされていた少女が、翔平と純を見て目をキラキラさせていた。
「おにいさん、きしさまだったのね…」
さっきまで翔平を怖がっていたというのに、今は憧れの目を向けている。
「おねえさんは、あさしんっていうやつね!」
「…翔平は騎士なのに、純はアサシンなんだね…」
翔平の騎士は何となく分かるが、アサシンとは暗殺者である。
4歳の子供がこんな言葉を知っていることにも驚くが、ちゃんと2人の特徴を捉えているのが面白い。
確かに、みんなを守るように戦っていた翔平は騎士のように格好良かった。
対して純は、気付いたら敵が倒れているような戦い方をしていたので、そう見えても仕方ないのかもしれない。
「音々!音々!」
少女の名を呼びながらこちらに走ってきているのは、若い女性だった。
「おかあさま!」
晴の腕から飛び降り、少女は母親のもとへ駆け寄る。
「あぁ、良かった…」
我が子の無事を確かめるようにぎゅっと抱きしめると、娘の顔を見て、特に怪我はない様子にさらに安心したようだった。
「音々。大丈夫だった?」
「だいじょうぶよ。おにいさんたちとおねえさんたちと、いっしょにいたから」
そこで初めて翔平たちの存在に気付いたらしい母親は、慌てて頭を下げた。
「音々を守ってくださり、ありがとうございました」
「お母様に無事に会えて、良かったです。たまたま、迷子のところを見つけただけですので」
「あぁ、ありがとうございます」
少女の母親は、もう一度頭を下げる。
娘が無事に見つかって、本当に安心したのだろう。
「おかあさま、おとうさまは?」
「お父様も、音々を捜していたの。きっと、そろそろ来るわ」
その言葉通り、額に汗をびっしょりかいた若い男性が、妻と子の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「音々!良かった…」
父親にも抱きしめられて、少女は安心したようだった。
「あなた、この方たちが、音々を見つけて助けてくださったんです」
少女の父親は翔平たちを見ると、すぐに顔色を変えた。
「これは…まさか、つぼみの方々に助けていただいたとは…」
どうやら父親の方は、今代のつぼみの顔を知っていたらしい。
「歌代弦二です。今回は娘を助けていただき、本当にありがとうございました」
「俺たちは、偶然居合わせただけです」
翔平は、護衛に捕縛してもらった不審者たちに視線を向ける。
「不審者は全て捕らえてあります。身柄をどうするかは、そちらの判断に任せます」
「何から何まで、ありがとうございます」
少女の父親は、護衛らしき人物たちに不審者を連れて行くように指示している。
「この度のお礼は、また今度、違うかたちでさせていただきたい」
気にするな、と言っても、無理だろう。
娘を助けてもらい、しかもその相手がつぼみともなれば、対応によっては家同士の関係にも影響が出る。
翔平たちは、その意を受け取った。
「音々。お兄さんたちに、さようならをして」
少女は母親に促されると、翔平たちを見上げる。
「…もう、あえないの?」
「きっと、またどこかで会えるわ。その時を楽しみにしていましょうね」
「そうだよ。なんなら、後輩になってもいいしね」
「こうはい?」
「僕らは、静華学園っていうところに通ってるんだ。音々ちゃんも、興味があったらおいでよ」
興味があるだけでは入れないところではあるが、子供の可能性は無限大だ。
「きしさまと、あさしんのおねえさまにも、あえる?」
この少女がもし静華学園に入学したとしても、それは2年後だ。その頃には翔平たちは卒業しているが、幼い子供の夢を壊すほど非情ではない。
それに、静華の大学部に進学していれば、会える可能性は高い。
「あぁ、会える」
翔平はちらりと、純に視線を向ける。
純は幼い少女をじっと見ている。
「自分次第」
子供相手にも、容赦のない純である。
「じぶんしだい…」
しかしどこか納得したのか、少女は頷いている。
そして最後に、満面の笑みを晴に向ける。
「おうじさまは、わたしがおむかえにいくわ!」
じゃあね、と手を振って、少女は両親と共に護衛に囲まれながら帰っていった。
「…迎えに来てくれるって。良かったね、晴」
「王子様を迎えに来る姫って、強いなぁ…」
双子は4歳の女の子の言葉に感心しているが、晴は何と言えばいいのか分からないのか、苦笑いしている。
ただ、幼い少女が金髪の王子様に恋をしたのは、間違いないだろう。
「俺たちもそろそろ帰るか」
想定外のことがあったので、すでに帰る頃合いになっている。
「あー楽しかったー」
「観覧車にも乗れたし、面白かったー」
双子は、満足そうである。
「私もみんなと一緒に遊べて、楽しかったわ」
「おれも楽しかったよ。初めてのことばかりで、勉強にもなった」
「迷子の子が歌代家の令嬢だったのはびっくりしたけどねー」
「ねー。そういえば何で、迷子になったんだろうね。護衛もいたはずなのに」
それには、翔平が答える。
「おそらく、歌代家の中の問題だろう。さっきの人は次男だが、次期当主とされてる。そのせいで、長男からかなり嫌われているらしい。捕まえた男たちを見ても驚いていなかったし、もしかしたらその兄が姪をさらったのかもな」
「お家騒動かー」
「まぁ、珍しくもないけどねー」
双子はこの話を聞いても、ただ肩をすくめるだけである。
こういった話は、翔平たちの周りにはごろごろと転がっているのだ。
財産目当て、お家騒動、ライバル企業同士の小競り合い。
こういった揉め事は、日常茶飯事だ。
そしてこういう騒動が起きた時は、子供も巻き込まれる。子供を人質にとり、要求を飲ませようとする人間がいるのだ。
それ故、金持ちの家の子供というのは、どうしてもその身を狙われやすい。
「歌代家の人間は、芸術のためならどこでも行くらしいからな。この人混みの中に来たところを、狙われたんだろう」
「でも、そのお兄さんはどこにもいなかったよね」
晴たちがその少女と会った時、少女は1人だった。
「逃げられたんだろうな」
逃げられてやっと見つけた時には、翔平たちと一緒にいたのだろう。
それで簡単には攫えないと見て、手数を増やしたのだろう。
どちらにしろ、家の中の問題ならあの父親が自ら片をつけるだろう。翔平たちが首を突っ込む問題ではない。
「あの音々ちゃんって子が、今回のことをあんまり気にしてないといいね」
まだ4歳だというのに、知らない場所で攫われたのだ。恐ろしかっただろう。
「まぁ…慣れるんじゃないかな」
「慣れるようなことじゃないんだけどね」
そう言う双子も、今まで似たような経験を何度もしているのだろう。
「だから、どうしても僕らみたいな家の子は、家の外で自由に遊ばせてもらえないんだよね」
「誘拐されちゃうかもしれないからね」
どこにその危険が潜んでいるのか分からないのだ。
護衛を付けても、100パーセント安全とは言えない。
必然と、子供たちの自由は奪われる。
「だから、今日は楽しかったよ。久しぶりに、いっぱい遊べたし」
「護衛がいるのも忘れて遊べたのは、初めてだったかも」
双子は嬉しそうにしている。
「良かったわ。私たちはこういう所には慣れているけれど、皐月くんたちは初めてだから、心配していたの」
「雫石たちは、よくこういう所に来るの?」
「えぇ。中等部の頃から、よくこうやっていろんなところへ遊びに行っているわ」
「お家の人は、何も言わないの?」
「心配はされるけれど…」
雫石は少し寂しげに、微笑む。
「けれど、私はお友達と楽しい所へ行きたいし、いろんな経験をしたいの。それを、諦めたくはないの。だからどうにかお母様を説得して、純と翔平くんが一緒にいることが条件で、許してくださったわ」
「まぁ、この2人がいれば護衛いらないもんね…」
「護衛より強いんじゃない?」
さっきも、自分たちより人数の多い相手に圧倒的な強さで勝っていた。
純と翔平が強いのは知っていたが、ここまでとは思わなかった双子である。
「私たちは、どうしても行動が制限されてしまうわ。それは仕方のないことなのかもしれないけれど、私はそれでは嫌なの。だって、私たちの知らないところには、いろんな楽しいことや、面白いことがあるのだもの。それを知らずに生きて行くのは、嫌なの」
雫石は他の5人を見て、ふふと笑う。
「それに、そういうところにみんなで行けたら、もっと楽しいでしょう?」
この6人がつぼみになってから、まだ1ヶ月ほどだ。
お互い知らないことも多いし、全てをさらけ出しているわけではない。
しかしきっと、どんな困難があってもこの6人がいれば、乗り越えていけるような気がする。一緒にいたら、きっと何でも楽しいと思える。
そう思える、仲間だった。
「また、みんなで一緒にどこかへ行きましょうね」
雫石の誘いに、いち早く答えたのは双子だった。
「いいね、行こうよ」
「僕らも、楽しいこと好きだよ」
今まではできなかったことも、この6人でいれば、できそうである。
「おれも、また今日みたいに遊びに行きたいな」
3人の言葉に、雫石は嬉しそうに目を輝かせている。
「純と翔平くんも、行きましょうね」
「断っても連れて行くんだろ」
「えぇ。もちろんよ」
中等部の時から雫石のお出かけに振り回されている翔平はため息をつきつつも、小さく笑って了承した。
純も、雫石の嬉しそうな顔を見て頷いている。
「嬉しいわ。みんなで行ったら、きっとどこに行っても楽しいわ」
雫石は、そのまま次はどこに行こうかとあれこれ提案をし始める。
それに双子が乗っかり、帰りの車の中でも楽しそうに次はどこへ行こうかと計画していた。
常に護衛が付きまとい、行動を制限される日々はたまに息苦しくなる。
友人と遊ぶことも簡単ではなく、1人で外出するなどあり得ないことだ。
自由に遊びたいという願いは、自分たちのような生まれの子供にとっては贅沢な悩みなのかもしれない。
それでも、憧れずにはいられないのだ。
友人とどこかへ行くこと。
おいしいものを食べること。
美しい景色を見ること。
新しいものを発見すること。
外の世界は、いろんな可能性で溢れている。
恐怖で身を縮こませるより、危険を承知で外の世界に出たいのだ。
それは、子供としてはありふれた願いで、叶うのは難しい願いで、諦めることのできない願いだった。




