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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第二章 忍び寄るもの
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31 家族⑤


純と別れた後、翔平は会場に戻り、他のメンバーには純は体調が悪くなって帰ったことを伝えた。

みんな純の体調を心配していたが、どうやら人に酔ったらしいと伝えると、少し安心したようだった。

純のパーティー嫌いは承知していたので、納得できる理由だったのだろう。


翔平が戻った時には久遠栄太朗は帰ってしまったようで、張りつめていた空気がなくなっていた。



翔平は1人で考え事をしたくて、バルコニーに出た。

少し冷たい夕方の風が頭を冷やす。


心に嫌なもやがかかっていて、理由も分からないのに不安定に揺れていくようだった。

自分の立っている場所すら分からないのに、足元が揺らぐ。


『何か、あるのか…?』


空を見ると、今の自分を映したような曇り空だった。



「あら、どうしたの?」


考え事に夢中になっていると、バルコニーに理事長がやって来た。


「いえ、ちょっと外の空気を吸っているだけです」

「そうなの。会場は人が多くて、空気が薄いものね」


理事長も外の空気を吸いに来たようには見えない。

何か用があるのかと考えていると、理事長はバッグから小さな封筒を取り出した。


「これを、あなたへ」


翔平は不思議に思いながらも、その小さな封筒を受け取った。


「おかしなものではないのよ。毎年、つぼみの子に渡しているものなの」

「これが…ですか?」

「えぇ。あなたは、自分がどうしてつぼみの中でも菊の称号だと思う?」

「それは…菊の称号に相応しいと認められたからだと思います」

「えぇ。その通りよ。それでは、菊の称号に相応しい人とはどんな人かしら」

「それは……」


翔平は、答えられなかった。

何故なら、毎年のつぼみのメンバーを決めているのは理事長であり、その選定基準などは明らかにされていないからだ。


「つぼみの選定基準はいろいろあるのだけれど、つぼみになった子には1つだけ教えていることがあるの」


弥生は、翔平の持つ封筒を指差す。


「これが、あなたに菊の称号を与えた理由よ。そしてあなたを表す言葉でもあり、そうなってほしいという願いでもあり、そうなってほしくないという戒めでもある。そのどれなのかは、おのずと分かってくるでしょう」


翔平は封筒を見た。


「…今開けても?」

「えぇ。いいわよ」


手のひらサイズの小さな封筒を開けると、1枚のメッセージカードが入っていた。

そこには、


「あなたを愛しています」


と書かれていた。



翔平は一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

しかし、落ち着いて理事長の言っていたことをもう一度思い出した。


『これが、あなたに菊の称号を与えた理由よ。そしてあなたを表す言葉でもあり、そうなってほしいという願いでもあり、そうなってほしくないという戒めでもある。そのどれなのかは、おのずと分かってくるでしょう』


『俺に菊の称号が与えられた理由…あなたを愛している…』


翔平はそこでやっと、カードに書かれている言葉が何なのか分かった。


『菊の花言葉か』


菊にはいくつか花言葉があり、「あなたを愛しています」はそのうちの1つである。


『これが俺に菊の称号が与えられた理由であり、俺を表す言葉であり、願いであり、戒めでもある…』


しかし、翔平にはいまいちこの花言葉を与えられた意味が分からなかった。


『あなたを愛していますって…誰が誰を愛してるんだ?それに、これが願いや戒めになるのか…?』


この状況だけを見れば理事長からの愛の告白だが、そんなわけがない。



鉄仮面のままメッセージカードを睨んでいる翔平を見て、弥生はふふっと笑った。


「あなたが菊の花を咲かせようと努力すれば、きっとおのずと分かるでしょう」


つまり、今は分からなくても当たり前だと言うのだ。


翔平は分からないならと、今は頭の隅に置いておくことにした。


その切り換えの速さを見て、弥生はもう一度笑う。


「他の子たちはまだ悩んでいるようだったけれど、あなたは潔いわね」

「おのずと分かるものなら、今は今できることをやるだけですから」


弥生はゆっくりと頷く。


「あなたたちはつぼみ。まだ咲かせていない花。これからどんな花を咲かせるのかは、あなたたちにかかっているわ」

「はい。分かっています」


「頼もしいわね。では、パーティーを最後まで楽しんでね」

「あの…」


弥生が去ろうとしたのを、翔平は呼び止めた。


「何かしら?」

「純は…帰ってしまいましたが…」


翔平が聞きたいことはそれではないのだが、言葉にできなかった。


「そうね。純には家で渡そうと思うわ。…あの子には必要ないでしょうけれど」

「必要ない…?」

「あの子のことだから、私が渡さなくてもカードに何が書いてあるか分かるでしょうから」


確かに、純ならあり得そうである。


「でも、一応決まりなのよ」


そう言うと、弥生はバルコニーから去っていった。



翔平はもう一度だけカードを見ると、封筒に入れてポケットにしまった。




パーティー会場に戻ると、会場の隅の人気がないところに皐月たちが集まっていた。


「何してるんだ?」


後ろからひょいっと覗き込むと、みんなあのカードを手にしているようだった。


「翔平はもらった?このカード」

「あぁ。さっきもらった」

「「なんて書いてあった?」」


双子にずずいっと攻め寄られ、翔平は一歩後ろに仰け反った。


『他のメンバーに見せるなとは言われてないしな』


それに、今の時点では翔平ではあの言葉の意味が分からないので他のメンバーに意見を聞きたいとも思った。


翔平はカードを取り出して4人に見せた。


「「あなたを愛しています?」」


双子が揃って首を傾げる。


「翔平くんのも、やっぱり花言葉なのね」

「ということは、優希たちもか」


「えぇ。私は「風格」よ」

「おれは「誠実」」

「僕ら2人は同じ言葉だったよ」


「「あなただけを見つめる」」


「あなただけを見つめる?」


それはまた、少し分かりづらい言葉である。


「まぁ、僕らの場合2人に同じ言葉だからね」

「僕らに共通することなんだろうけど」


「これが、俺たちがそれぞれつぼみに選ばれた理由であり、俺たちを表すものであり、願いでもあり、戒めでもある。理事長はそう言っていた」

「えぇ。私たちにも同じことを仰っていたわ」


「晴の「誠実」と雫石の「風格」は2人を見てて何となく分かるけどさ、翔平の「あなたを愛しています」ってどういう意味だろうね」

「翔平を愛していますってこと?翔平が愛していますってこと?」

「さぁな。今の俺には分からない。理事長が言うには、花を咲かせようと努力すればおのずと分かってくるものらしい」


「じゃあ僕らのも、これから分かるかもしれないね」

「そうだね。あ、そういえば、純はどんな花言葉だったんだろうね」

「そうね…百合の花言葉で代表的なものは、「純粋」や「純潔」かしら」

「…あんまり純に合うとは思えないね」

「まぁ、そうだな」


純は、「純粋」や「純潔」とはほど遠そうな性格をしている。


「百合は花言葉が多いから、どれか分かんないね」

「明日、純に聞いてみよーっと」

「あいつのことだから、教えてくれるかは分からないがな」

「うーん、確かに…」


そんなことを話していると、そろそろパーティーも終わりを迎えようとしていた。




つぼみの披露パーティーは無事終わり、春の夜に帳が下りた。

曇天に月は見えず、星たちもその姿を見せない。

真っ暗な闇が、空を覆っている。


参加者たちは帰路につき、主催者である弥生も片付けを終えて帰宅した。

私室の椅子にもたれかかって座り、執事が淹れてくれた紅茶を一口飲む。

いつもと変わらない味に、ひとつ息をつく。



「珍しいね。ばあちゃんが読みを外すの」


湊は、ネクタイを緩めながら弥生を労わるように微笑む。


「パーティーに来れないようにわざわざ手を回していたのに、執着深いわね」

「それだけ、来たかったんだろうね」


あの老人は、目的のためなら手段を選ばない。


「純に会いに来たのは確実だったからね。また変な手を使われるくらいなら、一度会うくらいは諦めたみたい」

「純の様子は?」

「あの人と話した後は、すぐに一緒に帰って来たよ」


純を喜ばせたくて帰って来たのに、それをぶち壊されるとは想定外である。


「今は少し寝るって言って、休んでる」

「そう…」


弥生は、今日のことを思い出して深くため息をついた。


あの男を、今日のパーティーに招くつもりなどなかった。

そのために、重要な用事をわざと同じ日にぶつけたというのに。

今日くらい、孫にはパーティーを楽しんでもらいたかった。


『それを、あの男が…』


あの古狸の顔を思い出すたび、体の中にどろどろとしたものがとぐろを巻いている。

湧き上がるマグマのように熱く、それでいて冷えた刃のようにゾッとするほど冷たい。

怒り、怨み、悲しみ。

拒絶、妄執、侮蔑。

そんな感情が、言葉では言い表せないほど(うごめ)いている。



弥生が久遠栄太朗を嫌悪するのには、理由がある。

久遠栄太朗が弥生を嫌悪するのにも、理由がある。


互いに、一生許せない理由があった。




夢を見た。

何度も繰り返し見た夢を。

雨が降っている、あの夢を。



目が覚めると、薄暗い部屋が目に入る。

嫌な汗がじっとりと背中に張り付いていて、気持ちが悪い。

体が重く、頭の動きが鈍い。


時計を見ると、それほど時間は経っていない。

部屋の扉をノックする音がして、シロが入ってくる。


「失礼いたします。お嬢様。そろそろ、夕食のお時間です」


シロはベッド脇まで来ると、水差しからコップに水を入れて純に渡す。

純は何も言わず、それを一口飲んだ。


「夕食の前に、シャワーを浴びられますか?」

「そうする」

「では、ご用意いたします」

「おばあちゃんとお兄ちゃんは?」

「弥生様のお部屋で、お話をされているようです」


そう、と言って、純はコップを置く。


「本日は、湊様のお帰りとあって、夕食は気合いが入っているようですよ」

「パンは?」

「もちろん、ございます」


ですが、と若い執事はパン好きのお嬢様に微笑みかける。


「パンばかり食べては、いけませんよ」

「はいはい」

「はいは1回です」

「…はい」


この優秀な執事は、姑のように細かいところまで厳しい。



シャワーの準備をしに行ったシロを見送り、ベッドから下りる。


クローゼットに向かおうとしてちらりと見えたベッド脇のテーブルの上には、小さな封筒が置かれている。

さっき、シロが置いて行ったものだ。弥生から渡されたのだろう。


中身を見なくても、何が書いてあるのかは分かっている。

それでも、一応封筒を開けた。


カードに書かれている文字を見て、純はふっと笑った。


「やっぱり」


そのままカードを投げ出し、ベッドに倒れ込む。

どこかで、雨の音が聞こえた気がした。



床に投げ出されたカードには


「憎悪」


と書かれていた。


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