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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第一章 はじまり
19/181

19 蕾①


「つぼみ」


それは、静華学園高等部においては選ばれた生徒たちを示す。

学園の創立以来変わらない5つの花の称号を与えられるのは、高等部3年の中でも特に優秀な生徒である。


「菊」「桔梗」「向日葵」「牡丹」「百合」


それらの称号を与えられた生徒たちは学園において強い権限を持ち、その存在は学園の象徴でもある。


つぼみは学園の治安を守り、生徒を統制する。

つぼみは、まだ咲かない花。

これから咲く花。

咲かない花に、人は価値を見出さない。


咲かないつぼみは、摘まれるのみ。




人の気配を感じて目を開けると、見慣れた天井が見える。少し視線を動かせば、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

ゆっくりと体を起こすと、寝室の中はまだ少し薄暗い。


1人で寝るには無駄に広いベッドに、寝室にしては広すぎる部屋。ヨーロッパの古城にあるようなアンティーク調のテーブルやソファーはよく手入れされており、汚れやほこりなどは存在しない。


少し覚醒した頭でここが自分の寝室であることを確認したところで、コンコンと扉をノックされる。短く返事をすると、黒い執事服に身を包んだ若い男が部屋に入ってくる。


「おはようございます。お嬢様」

「おはよう。シロ」


犬か猫のような名前で呼ばれたその男はすらりと身長が高く、涼やかに整った顔をしている。身にまとう執事服には一分の乱れもなく、一つ一つの所作も完璧に整っている。


寝起きの少女に近付くと、慣れた様子でカーテンを開ける。


「本日は晴れのち曇りの予報です。春らしい穏やかな陽気ですね」


ベッドの上で窓から差す陽射しに眩しげに目を細める姿は、少し機嫌が悪そうである。


「どうかなさいましたか?」


寝起きの機嫌が良くないのは珍しいことでもないが、どうやらいつもとは違う不機嫌さである。


「…面倒くさい」


口癖とも言えるその一言には、いろんな意味が込められている。


「制服はきちんと規定のものを着用なさってください。ネクタイもですよ」


クローゼットに掛かっているのは、限られた生徒しか身につけることを許されていない深紅の制服である。ネクタイには、花の刺繍がされている。


最初の頃は面倒くさくてネクタイを着けないで行っていたのだが、いちいち指摘されるのも面倒だと思って今はちゃんと着けている。


「ネクタイくらい、どうでもいいのに」

「周りは、そうとは受け取らないでしょう。つぼみであることを示すものの1つですから」

「だから嫌」


多くの生徒とは違う色の制服とネクタイは、目立って仕方ないのだ。目立つことが嫌いな身としては、好んで着たいとは思わない。


「つぼみに選ばれたのですから、それらは覚悟されていたのでは?」

「そうだけど、面倒くさい」

『おや』


若い執事は、「面倒」の指すところが変わったことに気付く。


「お嬢様がそう仰るのは、珍しいですね」


彼女はかなりの面倒くさがりだが、その大概の「面倒」をどうにかできる人間だ。そのうえで「面倒」ということは、本当に「面倒」なのだろう。


『なるほど…』


ここ最近の少女の不機嫌の理由を察し、執事は納得する。そして執事として、その心労を少しでも癒せる方法を考える。

その方法はすぐに思いついた。


「今日の朝食はパンをご用意しましょう」


少女の目が、執事に向く。

さっきまで不機嫌そうだった表情は、今の一言で和らいでいる。

よく無表情と言われる少女だが、執事からすればここまで分かりやすい反応もない。好物を前に機嫌を直すところは、年相応の少女である。


「着替える」

「それでは、ダイニングでお待ちしております」


一礼して執事が部屋を出て行くと、ベッドから降りる。

窓の外を見ると、手入れされた広い庭に春の暖かい陽射しが降り注いでいる。


「そろそろか…」


そう一言呟くと、純は窓に背を向けた。




ピピピピピという電子音が部屋の中に響き渡る。

しかし、こんもりと盛り上がった布団の中に動きはない。


「……目覚まし、鳴ってるよ」

「…止めてよ」

「やだ。凪月が止めてよ」

「止めてくれたっていいじゃん」

「まだ眠いんだもん」

「僕だってまだ眠いよ」


布団からのろのろと手が伸び、目覚ましの音がやっと止まる。

それに続き、寝ぐせのついたオレンジ色の頭が布団から出てくる。その隣から、全く同じ色の頭がもう1つのっそりと出てくる。


「もう朝かぁ…」

「眠いね…」

「うん…」


そっくりの寝ぐせをつけた2人は、同じ方の目を同じだけこする。


「やっと試験終わったんだもん。ゆっくりしたいよね」

「ね」


ふあぁ、と同時にあくびをする。そして片方が思い出したように笑った。


「今回の試験、吉川先生の数学は平均点上がったらしいね」

「あれだけ試験対策する生徒がいればね。そりゃ上がるよね」


2人は、くすくすと楽しそうに笑い合う。


「僕らの噂を集めるやり方を逆に使って、噂を流すなんて思わなかったよね」

「今まで噂を集めようとは思っても、広めようとは思わなかったもんね」


2人は今まで情報を集めてきた人脈を使って、今回はこちらから噂を流したのだ。

噂によって殺到した生徒を無下にもできなかった吉川は、なかなか忙しい日々を過ごしたらしい。


「僕らは、ただ吉川先生をもっと働かせたらいいんじゃない?って言っただけなのにね」

「そこから具体的な計画を立てられる翔平、すごかったね」

「雫石も、すぐに生徒のためになるように自作の問題を持参させるっていうアイデアを思いついててすごかったし」

「先生方からの反発もあるかなぁってなったら、晴がそれを抑える役を買って出てくれたしね」


2人は、目が覚めてきた頭でうんうんと頷く。そして、お互いの顔を見合う。


「犯人、見つからないね」

「答案も、どこにいったんだろうね」


あれから、吉川の協力が得られないと分かってからもつぼみは犯人捜しを続けていた。

しかし、犯人はおろか答案の行方も分かっていない。


「ハッキングされたパソコンを調べられないのに犯人を捜すって、結構難しいよね」

「ねー。でも、吉川先生は絶対協力してくれないみたいだし」

「即答だったもんね」

「「断る」ってね」


新しい答案の作成を依頼する際に犯人を見つけるための協力を求めたのだが、想像していたよりも強い拒絶が返ってきたのだ。その様子から説得しても無理だろうと判断し、協力は諦めたのだ。


「ねぇ…皐月?」

「…なに?」

「学園のパソコンってさ、かなり厳しいセキュリティで守られてるよね」

「うん。そうだね」

「外部からハッキングできる人って、そう簡単にいるのかな」


慎重に問いかける凪月に、皐月は凪月も知っているであろう答えを返す。


「…簡単には、いないよ。ハッカーでも、難しい」

「…だよね」


凪月は、小さく頷く。


「ハッキングされたとしたら、そんなに凄いハッカーが何のために答案を盗んだんだろう。外部からじゃないとしたら…」


そこで、扉がノックされて凪月の言葉を遮る。


2人がなかなか起きてこないので、使用人が呼びに来たのだろう。


皐月は、話は終わったとばかりにベッドから下りる。

そんな兄の様子を見つつも、凪月もベッドから下りる。


2人は、双子だ。生まれる前からずっと、一番近くで過ごしてきた。誰よりも、長い時間を共にしている。

何も言わなくても、お互い何を思っているのか分かっていた。


『外部からじゃないとしたら……内部からの可能性…』




嗅ぎなれた木の香りに、しんと静まった空気が部屋を満たしている。

人々の喧噪も周囲からの視線もなく、それでいて自然と背筋がすっと伸びるような緊張感が存在している。


毎朝、自宅にあるこの稽古場で稽古をするのが雫石の日課だった。

日本舞踊の家元に生まれ、物心つく前から着物に身を包み、右手に扇子を握った。

苦に思ったことはない。それらは、雫石という人間を作り上げる身体の一部のようなものである。


足運び、指先、視線。幼い頃から何度も教えられてきたことを、忘れずに意識する。頭の先から指先、つま先まで、神経を張り巡らせる。

こうやって静かな朝に稽古をすると、自分の心も落ち着けることができた。


一区切りついたところで扇子を閉じ、床に正座をする。頭の中に浮かんでくるのは、先日の出来事だ。


『まだ、犯人も答案も見つかっていないわ…』


つぼみになってからは、稽古終わりに少し考えを巡らせることも増えた。背筋を伸ばし、指先も揃えたまま思考に耽る。


『犯人は、どうして答案を盗んだのかしら』


雫石は、そこが引っかかっていた。


『試験の答案を盗んだのだから、一番考えられるのは試験を受ける生徒だけれど…。問題も答案も新しく作り直されたから、盗んだ意味はすぐになくなったわ』


雫石は、自分の考えに首を少し傾げる。


『盗んだ答案がそのまま使われる可能性はとても低いわ。もし学園側が事実を隠蔽(いんぺい)するためにそのまま同じ答案が使われたとしても、成績が急に良くなったら怪しまれるのではないかしら』


床に向けられた視線が、少し険しさを含む。


『学園や吉川先生に私怨があって盗んだというのも考えられるけれど…』


答案自体が目的ではなく、答案を盗むこと自体が目的だった場合だ。


『答案は作り直せば問題はないわ。学園や吉川先生の弱みを握るために盗むのなら、もっと弱みになりやすいものを盗むでしょうし…』


答案と共に別の情報が流出したのなら別だが、答案だけ流出しても学園や吉川にそこまでの痛手はない。あるとしたら学園の名誉が少し損なわれるくらいだが、私怨にしてはやり方が小さすぎる。


雫石は、ふぅと小さく息を吐く。


『やっぱり、吉川先生のパソコンを調べられないというのは難しいわね』


しかし、吉川の協力は得られない。純や翔平なら吉川のパソコンをハッキングすることは可能だが、穏便に進んでいるつぼみと教師の関係をここで壊すリスクを侵してまで調べるメリットがあるとは思えない。

純は分からないが、翔平はその考えがあるから今でもハッキングの選択肢を出さないのだろう。


『調べれば、すぐに分かるけれど…調べられない…』


雫石は、そこでふっと引っかかった。


『調べられない…?』


調べることはできる。しかし、つぼみとして教員との関係を考えれば、調べることはできない。


『私たちが調べられないことで…』


「お嬢様」


はっとして顔を上げると、障子の向こうに小柄な影が見える。


「お稽古のお邪魔をして申し訳ありません。朝食の用意ができております」


しわがれた声は、幼い頃から雫石の面倒を見てくれている婆やだ。

雫石は自分が思っていた以上に思考に耽っていたことに気付き、すっと立ち上がった。


「分かりました。今行きます」


着物から制服に着替えなければならない。そうして深紅の制服に身を包んだら、つぼみとして学園に登校するのだ。


『みんなに伝えないと…』


逸る気持ちを抑えて一つ深呼吸をすると、いつもの優等生の姿で稽古場を出た。




焦げ目のついた美味しそうなソーセージを口に運ぶ。噛むとパリッと、口の中にはジューシーな肉汁が広がる。

よく噛んで飲み込むと、次にカリッと焼けたベーコンを食べる。

少し紅茶を飲んで口の中をさっぱりとさせると、サクリと焼けたトーストを食べる。中はふわふわと柔らかく、雲のようだ。


穏やかな陽気が差す広いダイニングテーブルには、自分1人しか座っていない。

両親は仕事が忙しくてなかなか帰ってこないので、1人の食事には慣れている。屋敷にいる使用人がよくしてくれるので、不便さを感じたこともない。

とろりと黄味が溢れる目玉焼きにナイフを入れながら、そういえば最近の昼食は賑やかだなと思い出した。


毎日2人で同じメニューを食べる双子。

どうやら辛いものが好きらしい翔平。

和食中心の雫石に、洋食以外を食べている姿を見たことがない純。

授業であったことや、好きな食べ物について話しながら食べる昼食は、とても楽しいものだった。


今まではどこで食べていても周囲の視線が集まり、女の子が押し寄せて来ることもあったため、なかなか落ち着いて食べることができなかった。

つぼみになってからは、穏やかな食事の時間を過ごせている。それは晴にとって、とても嬉しいことだった。


『今回の犯人も早く見つけて、またゆっくり過ごせるといいな』


今回の出来事では一応、答案の再作成と吉川へ責任を取らせることで理事長からの「問題解決」に応えたかたちとなった。しかし、流出した答案と犯人は見つかっていない。

みんなで話し合った結果、理事長からの指令は解決したとしても、つぼみとして犯人と答案は探し続けることにしたのだ。

つぼみとしては、まだ問題の解決には至っていない。


『おれには、何ができるかな…』


晴は、自分には特別誇れる特技はないと思っている。

翔平のリーダー性と判断力や、雫石の頭の良さと行動力、双子の情報力とアイデア力、純の天才的な能力。

それらに比べれば、自分には特出すべき才能がない。だから、つぼみに選ばれて嬉しい気持ちもありながら自分の力不足を感じていた。

しかし、雫石のおかげで自分の見た目を武器にしていきたいと思えた。


吉川に責任を取らせる作戦の際、職員室に多くの生徒が押し寄せることから他の教員からの反発が考えられた。

その時も、雫石の言葉があったおかげで自分にも何かできるのではないかと考え、職員室で情報収集した時のことを思い出して女性の教員を味方につけることを思い付いた。

自信はあまりなかったが、晴なら大丈夫だとみんなが背中を押してくれたおかげでうまくいったと思う。


『やっぱり、雫石は凄いなぁ…』


自分もつぼみなのだから凄いと感心してばかりではだめだとは思うのだが、雫石の考え方や行動を見ていると、やはり素直にそう思う。


『あの女の子の言葉も、嘘って気付いていたし…』


嘘の告発をした女子生徒と話していた時、晴はその嘘に1つも気付かなかった。

雫石は、アンケートをとりに行った時の反応から違和感を感じて最初から疑いにかかっていたから気付いたのだと言っていたが、それでもその洞察力に感心した。


そもそも晴は、わざわざ投書をしてくるのだからその内容に嘘があるとは考えなかった。生徒たちが困って自分たちではどうしようもなくなった時に、頼るのがつぼみへの投書なのだ。だから、疑いもせず本当にいじめがあるのだと思った。


『これからは、投書の内容も嘘か事実かを確認しないと』


そんなことを考えているうちに食事は終わり、ナイフとフォークを置く。


そろそろ学園へ行く時間だ。もう車の用意はされているだろう。

運転手をあまり待たせておくわけにもいかないので、晴は椅子から立ち上がると学園指定の鞄を持った。


『おれは、おれにできることをしないと』


自分の言葉に隠された小さな事実にはまだ気付くことなく、晴は家を出た。




車の窓の外に流れるのは、桜が散って葉桜となった春の景色だ。青い空の下であたたかな朝の陽ざしを受けて、青々とした緑が茂っている。

桜が散ると、少し寂しい気持ちになる気がするのだが、何故かは分からない。


穏やかな日和の中、学園に向かう車の中から外の景色を眺めながら、翔平は昨日の夜に調べたことを頭の中で整理していた。


『数学の吉川の実家が、あの藤本家だったとはな…』


双子が言っていた通り、藤本家は歴史のあるかなりの名家だ。長年不動産を経営しており、財力も地位もある。

どうやら吉川は家を出る際に親戚に養子縁組して名字を変えたらしく、今も絶縁関係にあるらしい。


『好きだった相手に振られて家を出たというのも本当のようだが…』


当時その女性に振られ、傷心中だったところ親に別の結婚相手を探され、勝手に婚約まで結ばされそうになったことで実家を出たらしい。

振られてもその女性以外と結婚するつもりはなかったらしく、名家の子息の務めとして結婚を迫られ、結婚をするくらいならと家を出る選択をしたようだ。


翔平は吉川のことは学園での教師としての姿しか知らなかったので、意外と情熱的な一面もあるのだと知って驚いた。


静華学園での評判は、多少厳しいところはあるものの勤務態度は真面目で、同僚からの評判も悪くない。

人付き合いは多い方ではなく一匹狼なところはあるものの、静華学園に勤務してから20年以上、今まで問題を起こしたことはない。

特に規則や規律には厳しく、他人に厳しく、自分にも厳しい性格のようだ。


『その教師が、答案の流出か…』


ハッキングされたからとはいえ、自分にも規則にも厳しい性格の人物が、簡単に答案を流出してしまうというのは疑問を感じる。

学園のパソコンは厳重なセキュリティで守られているはずなので、簡単にハッキングされることは考えにくい。怪しいサイトを開いたり、ハッキングされるような隙を見せなければ、外部からハッキングするのは難しいのだ。


『そんなことをするような人間には見えないが…』


翔平が集めた情報から見た吉川の人物像からも、それは考えにくい。


『何故、流出したのが数学の答案だったのか。何故、吉川のパソコンからだったのか…』


そこまで考えて顔を上げると、ちょうど静華学園の紋章が目に入った。学園の門の前に着いたらしい。


『藤本家出身なら、もしかして…』



翔平は車から降りてその紋章を眺めると、門をくぐった。


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