178 兄弟⑤
「純が来てなかったら、発表に間に合ってなかったね」
「あんなに難しいやつ、純くらいしかできないよ」
皐月は、疲れたように呟く。
5人分のデータを復元した後に、あんなに難易度の高いものが出てくるとは思わなかった。
「ていうか、鴉間くんは最初からお兄さんが犯人だって分かってたんだね」
「だから自分で復元できると思ったんじゃないかな」
「でも結局、復元できなかったよね」
「僕でも、無理だった」
皐月と凪月は、互いの顔を見合わせる。
そして、制服の上着を脱ぐとあちこち詳しく見る。
「さすがにもうないか」
「さっき回収したのかも」
あのタイミングで純が現れた時、2人の頭にあったのは盗聴の可能性だった。
さすがに、現れたタイミングが良すぎる。
「多分、僕と皐月の制服に盗聴器しかけてたんじゃないかな」
「でも、何のために?」
うーん、と2人は考えを巡らせる。
「鴉間くんのパソコンを復元できるのは、学園では純くらいだよね」
「うん」
「逆に言えば、純しか復元できない難易度でデータを消したってこと?」
「…純をおびき寄せるために?」
「純はそれを分かってたから、僕らに盗聴器を仕掛けて様子を窺ってたんじゃないかな」
「純をおびき寄せて、何を…」
そこまで言って、2人は同時に来た道を戻る。
こんなに面倒な方法で純をおびき寄せようとしている人物に、皐月と凪月は心当たりがある。
急いでさっき純と別れた場所まで戻り、そこから人気のない建物の裏に回る。
そこには、20人くらいの不審者たちが地面に倒れていた。
最後の1人であろう大男が、バキリという鈍い音と共に倒れる。
ただ1人立っているのは、純だった。
純は皐月と凪月が近付いていることに気付いていたのか、驚いている様子はない。
「何?」
「…怪我はない?」
「ない」
皐月が見ても、怪我をしているようには見えない。
それでもどこか殺気立っていて、まとっている空気がひりついている。
まるで、野良猫が自分に触るなと威嚇しているようだ。
「相手は久遠?」
「そうだけど」
学園にこれだけの人数を送り込むとは、正気の沙汰とは思えない。
何か、執着のようなものを感じる。
「僕らにできることはある?」
「ない」
分かっていて聞いたが、改めて言われると少し傷付く。
久遠のことに関して、純からは手を出すなと言われている。
しかし友人があからさまに狙われているのに、何もできないというのは辛い。
純はもう話すことはないと思ったのか、近くの木に飛び移ると姿を消した。
少しすると糸目の理事長付き職員が現れ、現場は任せて大丈夫だと言われた。
「鴉間くんのお兄さんの裏には、久遠がいたんだね」
「純をおびき寄せるために、鴉間くんのお兄さんは利用されたみたい」
誰もいなくなった木の下で、皐月と凪月は空を仰ぐ。
「学園の中でも、こんなに狙われるなんて…」
「学園祭は人の出入りが激しいから、狙いやすいんだろうけど…」
2人が引っかかっているのは、別のところだ。
「どうして、久遠は純を狙うんだろう」
明らかに、普通ではない狙い方をしている。
理事長と犬猿の中だからと言って、純をこんなに狙う理由にはなりえない。
まるで、純自身を狙っているように見える。
「純は、久遠にとって何なんだろう」
「誘拐したいのか、害を与えたいのか…よく分からないね」
純を狙ってどうするのか。
「…翔平と雫石なら、何か知ってるかな」
「聞いてみる?」
皐月は、少し悩む。
久遠のことに首を突っ込むということは、久遠を敵に回すことと同じだ。
それは自分だけでなく、家族や会社を巻き込むことを意味する。
「僕は…もし純が危ない目にあってるなら、助けたいよ」
凪月の言葉に、皐月は頷く。
「僕も、友達の力になりたい」
しかし、相手は久遠。
油断はできない。
「いつもより気を付けて立ち回ろう。どこに久遠の目があるか分からないから」
「分かった」
「また派手に狙われましたね。純様」
夕焼け色に染まる理事長室で、純は1人の男と話していた。
「つぼみの2人に見られてたみたいですけど、大丈夫なんですか?」
「知っても何もできないでしょ」
「なるほど?」
若い男は同意しつつ、疑問形で返す。
純はそれにかすかに首を傾げつつ、本題に入る。
「久遠の新しい情報は?真矢さん」
真矢と呼ばれた若い男は、ポケットから白紙のメモ帳を取り出す。
「昨日、久遠の屋敷に怪しい男が訪ねてました。あれは中国マフィアのボスですね。金さえ払えば何でもやるところです。荷物も運ばれてたので、また武器の密輸ですね」
「鴉間の件は?」
「ご存じでしょうけど、裏で手を引いたのは清仁ですね。弟を邪魔したい鏡一郎と、純様を誘拐したい清仁で目的が合ったみたいです。襲撃者はいつも通り久遠に雇われた人間と、脅された人間ですね」
「それはおばあちゃんに任せる」
「鴉間病院の院長はこれを機に次男を正式に後継者とするようです。周囲の地ならしは済んでいたみたいなので、前からそのつもりだったんでしょうね。立場をわきまえた優秀な次男ですから、鴉間病院はしばらく安泰ですね」
「他は?」
「今のところ現状維持ですかね」
「そう。ありがとう」
真矢はメモ帳をポケットにしまうと、眉を下げる。
「純様。やっぱりあの家の情報網なしに情報集めるのはしんどいですよ」
「しょうがないでしょ。あの家はおばあちゃんにとってタブーなんだから」
「それは分かってるんですけどね…あの家は日本一の情報屋ですから、俺一人だと限界はありますよ」
「おばあちゃんがそれでいいなら、いいんじゃない」
「もし情報抜けしたらどうするんですか」
「情報抜けするの?真矢さん」
「…しないですけどね」
「ならいいじゃん」
真矢は、疲れたようにため息をつく。
弥生と純に振り回されているのはいつものことなので、今さらどうにかなるとは思っていない。
ただ疲れたので、純に愚痴を聞いてもらっただけである。
「真弓さんが、家でお菓子作って待ってるって言ってたよ」
「姉さんが?」
「うん。だから今日は早く帰ってあげて」
「やった!」
喜びをあらわにした真矢は、思い出したように掲げた拳をしまう。
「そういえば、あの人から伝言を預かってたんでした。『明日には行けます』だそうです」
「分かった。ありがとう」
「それじゃ、失礼しますね」
素早く挨拶をすると、真矢は理事長室を飛び出していった。
姉が大好きな人なので、きっと最速で家に帰るだろう。
1人になった部屋で、椅子に座る。
学園祭は、久遠にとって格好の場所だ。
人の出入りが多く、久遠の手の者を忍ばせやすい。
だから純は、ずっと気を張っていなければならない。
『あと、2日』
沈みゆく秋の夕陽を眺めながら、純は静かに瞼を伏せた。




