17 一歩⑤
「優希が言っていた通り、俺たちは問題解決の結果を選ばなければならない。その結果が学園のための最善の結果であることは大前提だが、その過程は俺たちに決定権があるはずだ」
翔平はそう言って、純を見る。
純の無表情には心なしか、口元に笑みが浮かんでいる気がする。それも、悪人のような笑みを浮かべているところを見ると、翔平が何を思いついたのか察したのだろう。
『こいつは、面倒くさがりのくせにこういうことは楽しそうにするからな』
「「?」」
「どういうこと?」
双子と晴は、翔平の言ったことがぴんとこなかったらしく、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
その様子を見て、すでに察したらしい雫石が補足する。
「今私たちがするべきことはさっき確認した通り、吉川先生に依頼をすること、犯人を捕まえること、流出した情報を突き止めることの3つよ。一番優先順位が高いのは、吉川先生に試験問題と答案を作り直していただけるようにお願いをしに行くことよね」
「「うん」」
「そうだね」
それらは今までの話し合いで確認済みであり、異論はない。
「例えば、つぼみに反感を持っていらっしゃる吉川先生にどうやって依頼をするのか、どのような依頼内容にするのか、それらは、私たちが決めて良いの。つまりね…」
「あの教師、痛い目見ればいい」
純の口元には、珍しく笑みが浮かんでいる。その横では、翔平がため息をついている。
「そこまでは言っていないが…簡単に言うと、そういうことだ」
「え?吉川先生に何かするの?」
「あの、つぼみに厳しい吉川先生に?」
双子は、お互いの顔を見てからもう一度前を向く。
「「いや、僕らが言えることじゃないけどさ」」
確かにすでにいたずらをしている2人が言えることではないが、双子がそう思うのも当然である。
「先生方との関係は、穏便に行く方向じゃなかったっけ…?」
晴も、困惑しながら隣の雫石に確認する。
「もちろん、そうするつもりよ。だけれど、問題の原因となった吉川先生にも多少は責を負っていただいても良いと思うの。吉川先生は被害者だけれど、全く非がないわけではないもの」
「学園の情報はかなり厳重に守られている。それなのにハッキングされて情報が流出したということは、パソコンの管理を怠っていたと見てもいい。まぁ、本当のところはどうであったかはあまり関係ない。結果として情報の流出があった以上、教師にも責任を取らせてもいいだろう」
「でも、吉川先生は今度の試験の問題と答案をこれから作り直すんだよね?」
「それって、少しは責任をとることになるんじゃない?」
「自分の失態を自分で尻拭いするだけで責任を取ったことにはならない」
感情のない声に目を向けると、薄茶色の瞳と目があった。
「学園での“責任”はもっと重い。何のためにつぼみがいると思ってるの」
反省を行動で示したからといって、それで責任を取ったことにはならない。ただの謝罪も、責任を取ったことにはならない。
規律の中で責任を取らなければ、それはただの自己満足である。
「「…そう、だね」」
正論だが厳しい言葉に双子がそれしか言えないでいると、視界を何かがもの凄いスピードで横切る。
純がそれを手で払って弾くと、近くの長椅子にポフンと何かが落ちる。
一瞬のことで何が起きたのか分からなかったが、どうやら翔平が純にクッションを投げたらしい。翔平は、眉間にシワを寄せて純を睨みつけている。
「今までろくに喋らなかった奴が偉そうだな」
「必要なかった」
「もう少し積極的に参加したらどうだ」
「した」
「今さっきだけだろうが。あと、2人を怖がらせるな」
「してない」
「どの口が言ってる。もう少し表情と口調に気を付けろ」
「翔平に言われたくない」
「俺もお前だけには言われたく――」
「…翔平くん?」
冷ややかな声に呼びかけられ、翔平はちらりとそちらを見る。
いつも通りの優しそうな笑みを浮かべてはいるが、明らかに冷気を放っている。
「クッションは人に投げるものではないのよ?」
「…そうだな」
「周りのものや人にぶつかったらどうするの?受けるのが純だから大丈夫という話でもないのよ?」
「…そうだな。悪かった」
「翔平くんの言うことも分かるわよね、純」
雫石に微笑みかけられ、純は渋々というように頷く。
「さぁ、じゃれるのはそのくらいにしてちょうだいね」
「…え、今のじゃれてたの?」
「…いや、喧嘩が始まったかと思ったよ?」
張りつめた空気に気を遣って沈黙を守っていた双子は、拍子抜けして喋り出した。
「純と翔平くんのこのくらいの言い合いは日常茶飯事なの。じゃれているのと変わらないわ」
「「……」」
じゃれていると言われた2人はかなり不満そうな顔をしているが、今の雫石に盾突くつもりはないらしい。何か言いたげな口を閉じて黙っている。
「純の言い方はきつかったけれど、考えには賛成よ。つぼみと先生方の関係が悪化しない程度に責任を取っていただいた方が、双方の落としどころとなると思うのだけれど…。どうかしら?」
雫石の気遣わしげな笑みに、双子は少し眉を下げる。
「つぼみとして判断するなら、その方がいいと思う」
「僕らの考えは…つぼみとしては、甘かったよね」
2人は落ち込んだように、息を吐く。
「僕、つぼみになったらもっと楽しいことができると思ってたんだけど…そんなわけないよね」
「責任のある立場って、大変なんだよね。もっと自由だと思ってた」
楽しいことが好きな2人にとっては、つぼみになってからは真面目な話ばかりで息が詰まりそうだった。
つぼみの活動が楽しいものばかりではないことは分かっていたが、責任の伴う立場がこんなに窮屈だとは思わなかったのだ。
「「僕ら、つぼみに向いてないのかなー…」」
「向いてる向いてないじゃない」
無機質な声に、また厳しいことを言われるのかとびくりとする。薄茶色の瞳からは、感情は読み取れない。
「なるかならないか」
「「なるか、ならないか?」」
純の言うことがいまいち分からなくて首を傾げていると、純の隣に座っている翔平がため息をついた。
「お前な、もっと分かりやすく説明しろよ」
しかし、純はそこで口を閉ざしてしまった。
それ以上何も言わない様子の純に呆れ、翔平は補足して説明した。
「つぼみになるのは、向いているか向いていないかは関係ない。つぼみになるかならないか。選ばれるか、選ばれないか。選ばれた以上、名実ともに「つぼみ」になれるのかは、本人次第ということだ」
一応合っているか確認して純を見ると、何も反応がないので合っているのだろう。
「つぼみに選ばれたと言っても、得意なことはそれぞれ違うし、考え方や価値観も違う。それでいいんだ。学園にはいろんな生徒がいるんだ。いろんな考え方のつぼみがいて当たり前だろ」
「合理的な人もいれば、感情的な考えの人もいるわ。楽しむことだって、つぼみにとって大切なことだと思うわ」
雫石が申し訳なさそうに微笑む。
「ごめんなさい。私は、どちらかというと合理的な考え方ばかりしてしまうの。柔軟に考えようとはしているのだけれど…」
「俺もだな。どの方法が一番リスクが少なくて利益が大きいか、自分たちにとってベストなのかを無意識に考えるのが癖になってる。そのせいで視野が狭くなるのが欠点なんだ」
「え?そうなの?意外…」
「雫石と翔平にも欠点あるんだね…」
「俺たちを何だと思ってるんだ。同い年だぞ。完璧人間なわけがないだろう」
「いやー…だってさぁ」
「今までの話し合いでも、僕らと同い年とは思えないくらい完璧だったからさ」
「確かに、そうだね」
晴も、双子の言い分にうんうんと頷いている。
それを見て、翔平と雫石は少し気まずそうに視線を交わす。
「猫被ってただけでしょ」
純の一言に、2人ともぎくりと反応する。
「猫を被っていたつもりはないのだけれど…」
「まぁ、つぼみになったばかりだからな。緊張していたのはある」
「つぼみになったのだから頑張らなくちゃと思って、肩に力が入り過ぎていたかもしれないわ」
「あぁ、そうだな」
「「へぇ~そうだったんだね」」
「翔平と雫石も、おれたちと同じことを思ってたんだね」
双子と晴は、翔平と雫石の人間らしさに驚きつつも、安心した。
いつも冷静に意見を出して話し合いを進める翔平と、その話し合いにおいても理解が早く応用も効く雫石は、どこか自分たちとは違うのではないかと思っていた。
しかしこうして話を聞いていると、自分たちと同じ、つぼみに選ばれたばかりの17歳という感じがする。
「俺が吉川という教師に責任を取らせるという考えを思いついたのは、皐月と凪月が言ったことももっともだと思ったからだ。つぼみだからといって感情を押し殺す必要はない。不満も愚痴も言っていいと思う。それをつぼみとしての活動に昇華できれば、なおいい」
「…そっか。うん」
「うん。そうだね…」
皐月と凪月は、互いの目を見て頷いた。
もう、「楽しいこと」や「面白いこと」はできないのだと思っていた。不満も愚痴も、言ってはいけないのだと思っていた。
だって、つぼみは学園の象徴であり、全生徒の模倣となるべきだから。
『そうじゃないのかもしれない』
『僕らは今までの僕らでも、いいのかもしれない』
『楽しいことも』
『面白いことも』
『嫌なことは嫌だって言うのも』
『疲れたら疲れたって言うのも』
誰も、駄目だとは言わなかった。自分たちを否定するようなことは言わなかった。
純だって、言い方は冷たかったけど正論をただ言っていただけだった。
『それをつぼみとしての活動に昇華できれば』
さっきの翔平の言葉が思い出される。
「ねぇ、雫石。吉川先生に責任をとってもらう方法って、先生方の反感を買っちゃだめなんだよね」
「えぇ、そうね」
「ということは、周りから見て責任を取ってるように見えなきゃいいんだよね。翔平」
「そうだな」
2人はそれを聞いて、くすくすと楽しそうに笑っている。
「…何か思いついたのか?」
双子は完全に悪だくみをしている顔だが、一応聞いてみる翔平である。
「「あのね――」」
そして2人が話し始めたのは、いつも自分たちに厳しい吉川に痛い目を見せる方法だった。
「まぁ、どうやったらうまくいくかまでは考えてないけど」
「ただの思いつきだからねー」
「いや、いい思いつきだ」
「え?」
「ホント?」
「あぁ」
驚く双子をよそに、翔平は既に双子の思いつきから具体的にどう動くかを計画を立てているらしく、少し考え込んでいる。
「皐月と凪月の力があれば、思ったよりも簡単にいくかもしれない」
「「え?僕ら?」」
2人はそれぞれ互いを指差す。
「僕らに、何かできるの?」
「僕ら、普通の双子だよ?」
「…2人が普通の双子かは置いておいて、2人が持つ情報力は力になる」
「いや…僕らが知ってるのって、そんなたいしたことじゃないよ?」
「噂程度のものも多いし…」
「吉川という教師のことを知っていただけでも大きい。噂を掴んでおくことも、これからの活動では重要になる」
「えぇ。情報を知っているのと知らないのでは、選択肢も変わってくるもの」
「おれ、吉川先生のことは全然知らなかったから、びっくりしたよ」
翔平たちにそう言われたことが嬉しかったのか、2人は顔を見合わせて照れ合う。
「僕らでもできることがあるなら、嬉しいね」
「ね。僕らが知ってることで力になれるなら、嬉しいね」
2人は、そのまま翔平に目を向ける。
「「僕らは、何をすればいい?」」
そう翔平に尋ねることに、2人には何の抵抗もなかった。
ここ数週間で、翔平の判断力は信頼している。まだ慣れないこの6人の中で、話し合いの方向性を決めてくれるのは、いつも翔平だった。
それが簡単なことではないことくらい、2人には分かる。その役を背負っているわけではなく、自然とそういう役回りになっていったのも、翔平の人間性があってこそだと思う。
翔平は2人の意を汲み取ったように頷くと、これからの計画について話した。




