15 一歩③
「本当におれでいいのかなぁ…」
晴はつい、歩きながらぼやいてしまった。
あの後結局、教師に事情を聞きに行く役は晴に決まったのだが、晴には自信がなかった。
「大丈夫よ、晴くん」
隣で雫石が微笑む。
「晴くんが適役だと思ったから、みんな推したのだから」
「それはおれが、みんなよりは先生方からの印象が悪くないからでしょう?」
暴露大会のようになっていた流れで晴も自分の授業態度などを思い返したのだが、教師からの印象が悪くなるような思い当たる節がなかったのだ。
それは他のみんなも同じだったらしく、その結果一番教師からの印象が良いであろう晴が事情を聞きに行く役に決まった。
しかし晴は、雫石のように話し上手でもなければ翔平のように会話の主導権を握ることもできない。
「それだけじゃないのよ」
自分だけでは心もとないという晴に付き添いでついてきた雫石は、自信なさげな晴に安心させるように微笑みかける。
「確かに先生方からの印象が良い方が、スムーズに情報を集めることができるわ。それだけではなくて、晴くんには晴くんの強みがあるから、適役なのよ」
「おれの強み?」
そんなもの自分にあるのだろうかと首を傾げる晴に、雫石は自信ありげに頷いた。
耳を貸すようにジェスチャーする雫石に、雫石の身長に合わせるように少し屈む。
職員室は、もう目の前だった。
「失礼します」
晴が職員室に入ると、職員室中の目が晴に集まる。
大人たちは何か話し合っていたようで、部屋の中の空気は張りつめている。
その空気に少し気圧されそうになったが、さっき雫石に言われたことを思い出し、いつものように穏やかな笑みを浮かべる。
「お忙しいところ、すみません」
「どうしましたか?周防くん」
「何か授業で分からないところでもありましたか?」
そう言いながら数人の教師が晴の前にやってくる。その顔ぶれを確認して、晴は内心苦笑いを浮かべた。全員、女性だったからだ。
『雫石の言った通りだなぁ…』
職員室に入る前に雫石からいくつかアドバイスをもらっていたのだが、その時雫石が「職員室に入ったらすぐに女性の先生方が来るでしょうから、その方たちからお話を聞きましょう」と言っていたのだ。
「理事長から指令があって来ました」
理事長の名前を出した瞬間、晴を前に笑顔だった女性たちの顔が一瞬にして強張る。
このタイミングでつぼみである晴が尋ねてきたのだから用件は分かっていたはずだが、ここまでストレートに告げられるとは思わなかったのかもしれない。
「まだ詳しいことは聞いていないのですが、つぼみである僕たちにお手伝いできることはありますか?」
「…理事長は、何と仰っているのかしら?」
年配の女性教師が、慎重に晴に尋ねる。
「指令には、学園の情報が流出したと書かれていました。つぼみは、その件を解決するようにと」
「…やっぱり、理事長は私たち教員よりつぼみに解決を頼んだのね」
「私たちでは力不足とお考えなのでしょうか…」
「指令が出ている以上、そう考えるのが妥当でしょう」
不満や落胆、諦めにも似た空気が漂う。
「あの…そんなことはないと思いますけど」
「いいのよ、周防くん。気を遣わなくても。静華学園にいる以上、仕方のないことですからね」
「私たち教員が生徒からも理事長からも頼りにされないのは、今に始まったことじゃありませんからね」
「せめて授業だけでもと思っても、自分より優秀な生徒に何を教えればよいのでしょうね…」
「試験問題が間違っていることをこっそり生徒に教えられた時は、プライド云々よりも己の不甲斐なさに哀しくなりましたね」
「私なんて、授業の内容が間違っていると指摘されて…最新の学術誌で調べ直したら、その生徒の言っていた通りだったんです」
「授業を真面目に受けている生徒はまだ良いのですよ。私の授業でノートもとらず、教科書は開いていると思いきやずっと目次のまま…少し頭にきて専門家でも難しいレベルの問題を出せば、即答で答えられ…。もう、諦めの境地です」
『…おれが来たの、やっぱり正解だったのかもしれないなぁ…』
全部聞き覚えのある話に、晴は顔が引きつりそうになる。
どうやら、あの暴露大会は意味があったらしい。
「そう考えると周防くんは、真面目に授業を受けてくれていますね」
「えぇ。高等部からの入学でつぼみになれるほどの優秀な成績を修めるのは、簡単ではありませんしね」
「先生方の授業のおかげです」
「あら、お世辞はいいのよ」
「いいえ。お世辞じゃありません」
晴は真剣に首を横に振る。
「静華学園に入学したばかりの頃は、この学園の授業のレベルの高さについていけないと思うこともありました。それまで通っていた中学校からは考えられないくらい、レベルが高かったんです。それでもここまで頑張ってこれたのは、先生方が真摯に教えてくださったおかげです」
「あら…そう?」
「そう言われると、嬉しいですね」
晴の真剣な瞳に見つめられ、女性陣は頬を赤く染める。
「先生方は、この学園に絶対に必要な存在です。それは、先生方のおかげでつぼみになれた僕が保証します」
「あら、まぁ…」
「少し…恥ずかしいですね」
頬に手を当てて嬉しそうにしていたり、少し泣きそうになっていたり反応は様々だが、女性陣の頬はさらに赤くなる。
「今回の理事長の指令も、先生方を頼りにしていないというのは違うのではないでしょうか。僕には、「つぼみは教師と協力するように」という理事長の考えがあるのではないかと思います」
「そう、ねぇ…」
「そうなのかしら…」
「そうですよ」
晴は、ぐっと一歩女性陣に近付く。
太陽の光のような金髪がさらりと頬にかかり、晴れた海のような碧い瞳が、真っすぐと女性陣を見つめる。
「僕はそう思います。先生方は…そう思いませんか?」
最後に少し哀しげに眉を下げた美少年に、女性陣はうっとりとした顔で頷いた。
「お疲れさま、晴くん」
晴が職員室から出ると、廊下で雫石が待っていた。
雫石がにこにこと楽しそうにしているのを見るに、扉の隙間から職員室の中を盗み見ていたらしい。
「ちょっと疲れたけど…教えてもらえて良かった」
「言ったでしょう?晴くんなら大丈夫って」
晴は職員室に入ってからもずっと情報を得られるか心配だったのだが、雫石のアドバイス通りにしたら最後にはあちらから聞いてもいないことまで教えてくれた。
雫石が言った晴の強みとは、「容姿が良いこと」だった。
それを聞いて晴は素直に、それは他のみんなも同じではないかと言った。
雫石は学園一と言われるほどの美少女だし、翔平は彫刻のようにイケメンだ。
皐月と凪月はどちらかというと可愛らしい感じがしてアイドルのようだし、純も無表情と面倒くさそうなのをやめれば人形のように顔が整っている。
「晴くんの容姿は、ここでは他の人にはない強みになるのよ」
職員室に入る前の晴に、雫石はそう言った。
それを聞いて、晴は雫石の言いたいことが分かった。
「太陽の光を受けて輝く麦穂のような金の髪に、南国の海のように碧い瞳は、日本では珍しいものだわ。それに、晴くんの優しい雰囲気はまるで物語に出てくるような王子様みたいだもの」
そんな晴を見つめる黒い瞳は、少し哀しげだった。
「人を容姿だけで判断するというのは、される側からしたら哀しいことよね。自分の内面を見てくれていないようで、寂しい気持ちになるもの」
それは雫石の体験談でもあるのだろう。
「でもね、人はどうしても人を見た目で判断してしまうものだと思うわ。あまり知らない仲なら、なおさらそうだわ。だって、見た目しか知らないのだもの。内面は時間をかけないと分からないけれど、見た目はすぐに分かるから、それを判断材料にするのは当然のことよね」
雫石は、改めて目の前の美少年を見る。
この話を始めてから、いつもの穏やかな表情が陰っている。
それでも、雫石は伝えたいことがあった。
「だから、私は自分の容姿を強みにすることにしたの」
「…強み?」
「えぇ。容姿だけで判断されるのは悲しいけれど、人は容姿で判断してしまうものだもの。だったら、最大限に自分の容姿を活かすことにしたの」
雫石は美しい笑みを浮かべる。
「こうして笑えば、貴重な情報を教えてくれる人もいたわ。私のことを嫌いでも、表向きは優しくしてくれる人もいたわ。振り上げた拳を下ろしてくれた人もいたわ」
「それは…」
さらりと告げられた最後の一言から、雫石の過去が窺える。
「…大丈夫だった?」
「えぇ。その後、純と翔平くんがやっつけてくれたから」
その2人にやっつけられたら無事では済まなさそうだが、同情の余地はないだろう。
「…そうやって自分の容姿を使うのは、嫌にならなかった?」
「いいえ」
思っていたよりも強い声に、雫石の意志の強さが見えた。
『おれは、まだまだだな…』
その時の雫石の言葉を思い出して、晴は己の不甲斐なさに落ち込む。
自分が高等部からの入学ということもあって、静華学園やつぼみのことに疎い自覚はあった。勉強はいくらか追い付けても、学園に対する意識や持っている情報に明らかに差があった。
それだけではなく、ここまで覚悟も違うとは思わなかった。
「どうしたの?晴くん」
長い黒髪が、ふわりと揺れて振り返る。
日本ではありふれた黒い髪に、黒い瞳。しかしそこにしかない美しさがあった。
『それが私に、つぼみの牡丹に必要なものなら』
私は自分の見た目さえ武器にする、と言いきった雫石は、確かにつぼみの1人だった。
『おれも…』
「おれも…自分の容姿を強みにしたいなって思って」
自分もつぼみの1人だと言えるように、他のみんなの力になれるのなら、今まで嫌いだったものを、武器にしたいと思った。
『…できるかな。おれに』
自分の容姿に初めて嫌悪感を抱いたのは、何歳の頃だっただろうか。
両親譲りのこの見た目には何の文句もないし、健康に育ったことにとても感謝している。本当なら、両親から貰ったこの身を嫌いになる気持ちにはなりたくなかった。
それでも、自分に向けられる目に好意以外のものがあることに気付いた時、好意だと思っていたものが獣のように豹変した時、思わずにはいられなかった。
「こんな見た目でなければ、違ったのだろうか」と。
そしてその好意的な目さえ、晴を1人にした。
容姿で全てを判断する人。晴への勝手な憧れを押し付ける人。
初めて会う人に「好き」だと伝えられるたび、沸き上がる言い表しようのない感情。
「お前のせいで彼女に振られた」と言って、離れていった友人もいた。
そうして晴は、自分の容姿については諦めにも似た感情を持っていた。
両親から貰ったこの体を傷付けることなんてできないし、否定することも嫌だった。だけど、好きにもなれなかった。
どうすることもできなくて、ただ現実から逃げるように周囲からの好意や嫌悪を受け入れずに流すことしかできなかった。
その結果、誰にでも穏やかで優しい王子様のような人間が出来上がったのだ。
しかし、つぼみになったことでもう現実から逃げていることはできなくなってしまった。
今までのように、他者からの感情を流すだけではだめなのだ。きちんと受け止め、それらを情報として処理しなければならない。時には、この容姿を使うことも必要なのだ。
「晴くんなら大丈夫よ」
雫石は自信ありげに、そう言って微笑む。
「きっと、大丈夫」
その言葉が、自信が、自分のためだと気付かないほど晴は鈍感ではなかった。
「…ありがとう。頑張るよ、おれ」
「えぇ。一緒に頑張りましょうね。晴くん」
「一緒に」という言葉で、自分たちは仲間であることを改めて感じる。
「おれ、つぼみになって嬉しかったけど、雫石たちと一緒で良かったよ」
どこか吹っ切れた様子の晴れやかな笑顔に、雫石も笑顔で応える。
「私も、晴くんと一緒で良かったわ」
つぼみになってからどこか落ち込み気味だった晴が元気になったのを見て、雫石は安心した。




