146 これから⑤
「…悪い。警備の人間の言葉を疑わず、俺が考えなしに突っ走った」
こういう時にやはり一番最初に冷静さを取り戻すのは、翔平である。
翔平は、あの時の自分を責めた。
せめて他のメンバーにはその場に残って、生徒の安全を確保するように指示するべきだった。
警備員からの報告を聞いて、感情が先走った。
「翔平くんのせいだけじゃないわ。私も、何も考えずについて行ってしまったもの」
事実確認もせず、自分の頭で考えることをせず、ただ翔平について行ってしまった。
あの時の雫石は、ただの愚か者だった。
「おれも、もっと警戒しておくべきだった」
人より耳が良い自分なら、周囲を警戒して情報を得ることもできたはずなのだ。
「罠なんて、思わなかった…」
皐月は少し泣きそうになりながら、眉を下げる。
「でも、その可能性も考えなきゃいけなかったんだ」
警備員だからと言って、全てを鵜呑みにしてはいけなかった。
「警備と連絡体制は僕らの課題だったのに…」
体育祭の時にそれを分かっていたはずだった。
今回は、そこを突かれてしまった。
凪月は悔しそうに唇を引き締めて、純を見る。
「…警備の人が言ったんだ」
「?」
純が先を促すと、凪月は震える口を開く。
「警備の人が、純が危ないって言ったんだ」
意外だったのか、純の表情が少し動く。
「だから僕ら、何も考えないで行っちゃった。純に何かあったらどうしようって…純の後の組の子も純を見てないって言うし、ゴールに戻って来ないし…」
後続の生徒が純を見ていないのは、純と大和がコースから外れたからだ。
久遠に襲われると分かっていたので、わざとコースからはかなり離れた。
凪月は、こらえきれなくなったのかぽろぽろと涙をこぼす。
「僕、純のことが心配だったんだ…でも、つぼみとしては間違っちゃった。純のことも大切だけど、生徒のことも守らないといけないのに…僕、つぼみ失格だぁ…」
子供のように泣き出してしまった凪月に、純の方が困惑する。
確かに凪月たちの判断はつぼみとしては間違っていたが、罠の内容がそんな適当なものだとは思わなかった。
「わたしが強いの知ってるでしょ」
「そうだけどさぁ…」
ぐすっと凪月は涙をぬぐう。
「純が強いのと、純が無事なのは違うじゃん」
「?」
純が首を傾げると、皐月が少し笑って補足する。
「純が強いのはよく知ってるよ。でも、純に何かあったんじゃないかって思っちゃうんだ。純を信頼してないわけじゃないんだ。心配になっちゃうんだよ」
そう言って、隣で泣いている弟の背中を撫でる。
「無事な姿を確かめるまでは、心配になるよ」
『特に、大切な相手だと』
子供の頃に凪月を誘拐された皐月には、その気持ちがよく分かる。
「お前、まだ分かってなかったのか?」
少し呆れたように翔平に言われ、純は視線を逸らして子犬を撫でる。
確かに友人として大切だと言われたが、それを理解して受け入れるかはまた別だ。
「…わたしの大切なものは、家族だけだから」
子供のように言い張る純に、翔平は少し笑みが出る。
そして一つ息をつくと、つぼみのメンバーを見る。
「俺たちがすべきなのは、反省して二度と同じことを起こさないように考えることだ」
雫石も頷く。
「今回、生徒に何もなかったのは不幸中の幸いだわ。だけれど、次もそうとは限らない。私たちはつぼみとして、失敗は許されないわ」
「今回のことは、警察に届ける?」
晴に聞かれ、翔平は首を横に振る。
「残念だが、それに意味はない」
「どういうこと?」
「純を狙っていた男の中に、昼間警察に突き出した男たちがいた」
昼間にビーチの近くで車に乗って襲撃してきた不審な男たちは、きちんと警察に引き渡した。
それなのに、あの林の中でまた純を狙っていたのだ。
「それって…」
晴は少し言いにくそうにしながらも、言葉を続ける。
「久遠と警察は癒着してるってこと?」
「間違いない」
全ての警察がそうだとは言い切れないが、久遠が警察に対して大きな力を持っているのは確かだろう。
『家族と会社が大切なら、首は突っ込まないことだ』
久遠清仁はそう言っていた。
久遠財閥に逆らえば、潰される。
つぼみが相手だとしても、それは変わらないだろう。
「下手に首を突っ込まない方がいい」
心を読まれたかのように純に釘を刺され、翔平は眉間にシワを寄せる。
「久遠のことは、わたしの私情だから。つぼみは関係ない」
「確かにそうかもしれないが…」
久遠は純を狙っているのであって、つぼみを狙っているわけではない。
ここでつぼみが首を突っ込めば、それぞれの家や両親にまで影響が及ぶ。
『それでも…』
「それでも友人の力になりたいと思うことは、間違っているのか?」
翔平が真っすぐに純を見つめると、純はただそれを感情のない瞳で見つめ返す。
「わたしは必要としてない」
予想通りの返しに、翔平はため息をつく。
現状だと、純が言っていることが正しい。
家同士の揉め事に下手に首を突っ込むのはよくないし、久遠が関わっているとなればなおさらだ。
そして、当人である純が助けを必要としていない。
そうすれば、翔平たちの出る幕はない。
『ここは引くしかないな』
雫石に視線で確認をとると、雫石も頷く。
これ以上はここで追及しても意味はないと、雫石も理解しているのだろう。
「これだけは言っておくが」
翔平は、一応純に念を押しておく。
「俺たちは、お前の力になりたいと思ってる。それだけは忘れるな」
皐月と凪月も、うんうんと頷く。
「友達だもん」
「純が困ってたら、助けるよ」
晴も笑って頷く。
「純が、おれたちを助けてくれたように」
「それは…」
純の言葉を、雫石が遮る。
「純にどんな理由があっても、私たちを助けてくれたのは変わらない事実よ」
はっきりと言い切る雫石に、純は少し視線を彷徨わせる。
純には目的があって、利益があって行動している。
それを分かったうえで、「助けられた」と言われるとは思わなかったのだろう。
純の反応に、雫石は嬉しくなる。
『少し、変わったわ』
以前の純なら、こういった感情を受け止めようとしなかった。
「興味がない」「理解できない」と拒絶し、切り捨てていた。
それが今は、雫石たちからの言葉に困惑している。
まだ受け止めることができなくても、拒絶しようとはしない。
『翔平くんのおかげかしら』
翔平は純への想いを自覚し始めてから、純の心に少しずつ歩み寄っている。
『晴くんたちのおかげでもあるわ』
晴たちは純のことを恐れても、理解しようとしてくれている。
純のことを心配して、涙を流してくれる。
それは雫石にとっても、得難い存在だった。
「あ、花火が終わったみたい」
窓の外を見て、晴が呟く。
ここから花火は見えないので、耳から情報を拾ったのだろう。
「旅行も、終わりね」
「そうだな」
明日になれば、それぞれの家に帰路につく。
「波乱の旅行だったね」
「僕ら、いつもそうだけどね」
確かに、と晴も笑う。
つぼみになってから、波乱の日々だ。
それでも仲間がいるから、乗り越えられる。
「また、学園が始まるね」
夏休みが終わろうとしていた。




