144 これから③
「父親が誰か分かっても、今よりいい状況になるとは限らないけど」
「…どういうことだ?」
大和が尋ねた時、2人を囲んでいる暗闇がゆらりと揺れる。
目を凝らすと、2人の周りに黒服の男たちが20人近くいる。
「ご苦労だったな」
かさりと草を踏む音がして、顔を識別できる距離に男が現れる。
大和の雇い主である、久遠清仁である。
大和の役割は、人気のない場所まで純を連れ出すことだ。
だから、番号札を奪って純と組めるようにした。
『だが…』
大和は、純の様子を慎重に窺う。
『こいつは、それに気付いていたはず』
それに、こんなに大勢の人数が近付いてきていれば気付くはずだ。
『もしかして…』
肌にビリッと鳥肌が立ち、大和は体が咄嗟に防御反応に出るのを抑える。
暗闇の中でも分かるほど、純が殺気と敵意をあらわにしている。
大和が思わず一歩退いた時、純の姿は闇に消えた。
「がっ!」
「ぐっ…」
短いうめき声だけを残し、周りを囲んでいる男たちが次々と倒れていく。
これだけ人数差があるというのに、たった1人で倒している。
『…まるで化け物だな』
普通ではないと思っていたが、これほどまでの強さとは思わなかった。
暗闇でも敵のいる位置が分かるのか、無駄のないスピードで次々と屈強な男たちを倒していく。
倒れた男たちは意識がないのか、起き上がる気配はない。
『このままだと、久遠に勝ち目はないな』
大和としてはそれでも別に構わない。
久遠には忠誠を誓っているわけではないし、今は純が提示した条件の方に興味がある。
『父親が分かっても、いい状況になるとは限らない…』
大和には、今よりもっと悪い状況になるとは考えられない。
使用人には軽んじられ、当主からは蔑まれる。
食事が出ない、掃除をされない、洗濯物が汚れて返ってくるなんて日常茶飯事だった。
次期当主の家族からは無視され、思い出したように嫌がらせをされる。
それなのに、母親は何もしない。
父親が分かれば、諏訪家から抜け出せる。
そう思って、ずっと生きてきたのだ。
『父親がどこの誰であろうと、利用させてもらうだけ…』
キンッと金属がぶつかる音に、はっと目の前に意識を戻す。
いつの間にか目の前に純が背を向けていて、地面には何かが刺さっている。
どうやら大和に向かって投げられたものを、純が弾き返したらしい。
『…やっぱり久遠にとって、俺は捨て駒でしかないということか』
分かっていたことだが、改めて現実を突きつけられてると乾いた笑いが出る。
パーティーの時、毒ガスを流された時もそうだった。
大和の命なんてどうでもいいのだ。
ただの駒なのだから。
「あれ、その駒を守るんだね」
暗闇から新しい声が聞こえ、大和はそちらに視線を向ける。
雲の隙間から月が現れ、暗闇を照らしていく。
少したれた目に色っぽい口元の、女性に好かれそうな顔をした男だった。
柔和な笑みを浮かべ、純を見ている。
『誰だ…?』
久遠の一族の誰かだろうが、大和は見たことのない顔だった。
「おい。私の駒を勝手に殺そうとするな」
「この子には、いくら人数を使っても無駄ですよ。兄さん」
『…兄さんということは、久遠朔夜か』
目の前の色男を見て、世間に流れている噂を思い出す。
朔夜は久遠栄太朗の次男だというのに独身で、財閥での肩書もほとんど名ばかりのものらしい。
女にモテるが決まった相手はおらず、遊び歩いているという噂を聞く。
『長男とかなり歳が離れてるからか…?』
正確な年齢は分からないが、見た感じ30代後半くらいだろう。
清仁は50歳くらいなので、歳の離れた兄弟である。
朔夜は色気のある眼差しを、純に向ける。
「この子を狙うなら、周りのものから狙っていかないと」
そう言って、手妻のように取り出したナイフを純と大和に同時に投げる。
大和が回避するより前に、いつの間にかナイフを手にしている純がどちらも弾く。
その2本のナイフは、近くにいた男たちに刺さった。
「へぇ。上手だね」
自分たちの手先が倒れても、朔夜は一つも視線を向けない。
ただ面白そうな笑みを純に向けているだけだった。
純は地面から石を拾うと目に見えないほどのスピードで、周囲に投げつける。
それらは全て久遠の手先である男たちの急所に当たり、全員呻いて倒れた。
20人近くいた男たちは、全て純1人で倒してしまった。
「諦めて帰ってください」
感情のない声を、純は清仁に向ける。
「そういうわけにもいかない。あの人は君を諦めない」
「あなたたちでは、わたしに敵わない」
実際、この状況がそれを裏付けている。
「だから、少し面白い遊びを考えたんだよ」
朔夜は、良いことを思いついた子供のように笑みを浮かべる。
「君が困ることって、何だろうって考えたんだ」
楽しそうにしている朔夜に、純は警戒心を込めた視線を向ける。
「やっと、私を見てくれたね」
朔夜はその視線に満足そうに微笑む。
「やっぱり、会いに来てよかった」
純の気配が、ピリピリと肌にひりつく。
そして、ふっと視線を林の奥に向けた。
それは、肝試しのゴールの方向だった。
純は朔夜に視線を戻すと、苛立ちをあらわにする。
「この場を見られて困るのは、あなたたちの方でしょう」
「でも、君も困るだろう?」
純はすぐにこの場を立ち去ろうとするが、それを阻むように新たに男たちが現れる。
『さっきの奴らより強い』
この男たちが潜んでいたのは気付いていたが、それを突破するのは純にとって難しくない。
1人目の喉を蹴り上げた時、他の男たちが純ではなく大和に向かっていく。
純が一度大和を守ったので、人質になりえると判断したのだ。
純が方向転換した時、朔夜と目が合った。
ナイフを2本を取り出すと、全く別々のところに投げようと振り上げる。
1本は男たちに襲われそうになっている大和の元に。
もう1本を投げようとしている方向を見て、純は舌打ちをした。
隠し持っている全てのナイフを視線もくれずに大和を襲う男たちへ投げつけると、自分はもう1本のナイフに狙われたものを抱えて草原に転がる。
「くぅ…」
純の腕の中で小さく鳴いているのは、子犬だった。
この辺に捨てられたのか、人の騒ぎで出てきてしまったのだろう。
「動物、好きなの?」
朔夜の問いに答えることなく、純は畳みかけるように襲いかかってくる男たちを蹴り倒す。
よく知る気配が近付いてきたのは、その時だった。
「純!」
翔平は林の中で襲われている純を見つけ、その男たちを蹴り飛ばす。
「大丈夫か?」
純は何故か子犬を抱えており、怪我はないようだが浴衣が切れている。
そして、かなりの苛立ちを近くにいる男に向けている。
その2人を見て、翔平は驚くしかなかった。
「…何故、久遠財閥の2人がここに?」
どうしてこんなところに清仁と朔夜がいるのか、見当もつかない。
一緒にいる大和も何故か狙われており、不審な男たちの攻撃をなんとかかわしている。
まずはこの男たちを倒すのが先と判断した翔平は、純と一緒に男たちを倒していった。
純は珍しく苛立ちをあらわにしており、いつもより攻撃が強い。
『この男たちは何だ…?それに、この人数は…』
すでに地面に倒れている男たちを含めると、襲撃者は30人以上いる。
そしてそのほとんどが、純を狙っているのだ。
久遠財閥の2人は狙われることなく、ただこの状況を傍観している。
最後の1人を倒す時、翔平はその顔を見て驚いた。
『こいつ…』
起き上がれないように急所を狙って蹴ると、男は林の奥に吹っ飛ぶ。
周囲の地面は男たちが倒れて埋め尽くされており、その場で立っているのは純と翔平と大和、そして清仁と朔夜だけだった。
「これはどういうことか、説明していただけますか」
翔平は、清仁と朔夜に鋭い視線を向ける。
「この男たちは明らかに、純を狙っているようでしたが」
「その娘が狙われることはおかしくないだろう」
「では何故、久遠財閥の総帥と常務が狙われていないのでしょうか」
同じ場所にもっと立場が上の人間がいるというのに、その2人が狙われずに純だけが狙われているというのはおかしい。
それに、この2人は純を助けるような動作を一度もしなかった。
清仁は短くため息をつくと、朔夜を睨む。
「お前のせいで面倒な状況になった」
「こっちの方が、面白いでしょう」
朔夜は純に、笑みを向ける。
「つぼみに知られたくなかったんでしょう?」
翔平が純の様子を窺うと、あまり感情の見えない瞳で朔夜を睨んでいる。
「まぁいい」
清仁は諦めたように、その場に背を向ける。
「知ったところで、何かできるものでもない」
そう言って、翔平に視線を向ける。
「家族と会社が大切なら、首は突っ込まないことだ」
「じゃあ、またね」
朔夜は純に手を振ると、清仁と共に去っていく。
「………」
翔平は2人を追わなかった。
翔平の推測が当たっているのなら、追っても意味はない。




