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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第五章 過去と、今と
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135 追憶④


カタリという軽い音に、パソコンから視線を外す。


音がした方を見れば、執事の山吹(やまぶき)が精霊馬を片付けているところだった。

きゅうりに割りばしを刺して馬を現したものと、茄子に割りばしを刺して牛に見立てたもの。

お盆の時期によく見る、精霊馬というものだ。


「もう、お盆も終わりなのね」


亡くなった人の魂は、お盆にこちら側に帰ってくる。

行きは馬に乗って、帰りは牛に乗って。


「あの2人も、帰ってきていたのかしら」


13年前に殺された、娘夫婦。

たった1人の娘と、娘を幸せにすると誓ってくれた青年。

2人が自由に生きることを、弥生は許した。


2人が殺されたと知った時、自分の側から離さなければと後悔はしなかった。

湊と純を見た時、2人は幸せに生きていたのだと分かったから。



あの雨の日、急報を聞いた弥生は病院に駆け付けた。


荒い呼吸を何とか落ち着かせて病院に入り、目に入ったのは癖のある茶色い髪をした男の子だった。

治療室の前にあるソファに、今にも倒れそうな顔色で座っている。


『あの子が、紫織の子供…』


2人の子供は生き残ったと聞いていた。

怪我はなさそうだが、一目で分かるほど憔悴している。

目の前で両親を殺されたのだから、当たり前だろう。


『名前は確か…』


「湊くん」


弥生が呼びかけると、湊はのろのろと顔を上げた。

泣き続けて涙は枯れてしまったのか、泣いていないのが悲痛だった。


「私は、翠弥生というの。あなたのお祖母さんにあたるわ」

「おばあ、さん…?」

「突然こんなことを言われても困るわよね。でも、すぐに私の家に来てほしいの。あなたの妹も一緒に」

「なんで…?」

「今は詳しく言えないけれど…あなたと、あなたの妹の安全のためなの」


両親を目の前で失った幼い子供を急かしている自分に腹が立つ。

一度も会ったことのない祖母が現れてそんなことを言われて、混乱するだろう。

それを分かっていても、できるだけ早くここから安全な場所に移らなければいけない理由があった。


「私からしたら、あなたたちは孫にあたるの。だから、あなたたちのことは必ず守るわ」

「まご…」


そこでふっと、茶色い瞳が揺れる。

ソファから立ち上がろうとした湊に咄嗟に手を伸ばしたが、湊は1人で立ち上がった。

そして、弥生に頭を下げた。


「おねがいします…おれも、純といっしょにつれていってください」

「もちろんよ」


湊がここまでしなくても、弥生は元からそのつもりだ。

しかし湊は、そのまま頭を下げ続けた。


「おれは、――――――」


湊が弥生に告げたのは、驚くべき内容だった。

しかし、目の前の少年が嘘をついているようには見えなかった。

弥生は、震えている幼い肩を優しく抱いた。


「大丈夫よ。あなたも、あなたの妹も、私が守るわ。2人とも、大切な私の孫よ」


そっと顔を上げた湊は、ようやく肩の力を抜いた。

しかし治療室の方へ目を向けると、瞳の中に果てしない恐怖が満ちている。


「…純が、目をさまさないんです」


それは、弥生も聞いていた。

両親が殺された現場で、妹も倒れてから意識がないと。

怪我はないらしく、一通りの検査をしても特に異常はなかったらしい。

恐らく両親を殺された心因的なショックが原因だろうと、医者からは聞いている。


「私の屋敷に、病院と同じ施設を用意したわ。信頼できる医者もいるわ。あとは、兄であるあなたが側にいてあげてちょうだい」


こくりと、湊は頷いた。



湊を他の使用人に任せると、弥生は山吹を連れてある部屋に向かった。


扉の前に立つと、山吹は何も言わず一礼して下がる。

部屋には、弥生1人で入った。


少し寒くて薄暗い部屋の中央には、白い布をかけられた2人が横たえられている。

顔にかけられている布に手を伸ばした時、自分の手が震えていることに気付いた。

そのまま、顔の上の布をとる。


約10年ぶりの再会だった。

自分の娘と、娘を愛してくれた青年。


「2人とも、あまり変わっていないわね…」


血の気の無い肌を除けばただ眠っているような、綺麗な顔だった。

しかし頬に手をあてると、冷たくてぬくもりはない。

もう生きてはいないのだと、現実を突きつけられる。


「…湊に会ったわ。とっても良い子。あなたたちが、どれだけ愛情を注いでいたのか分かるわ」


両親を失ったばかりだというのに、急に現れて祖母と名乗る弥生に頭を下げてきた。

自分のことよりも、妹のことを心配していた。

世界から見放されたような恐怖に潰されそうになりながら、妹のためにしっかり自分の足で立っていた。


「…幸せ、だったのね」


自由を求めた娘と、娘を大切にすると誓ってくれた青年。

2人が望んだように、幸せな家庭を築いていたのだろう。

それなのに。


「どうして…」


ぽたりと、娘の頬に雫が落ちる。


「どうして、私より先に死んでしまうの…」


幸せだったのだから。

おばあちゃんになるまで、生きてほしかった。

どこにいて、どんなことをしていても構わないから。

ただ生きてくれてさえすれば、それでよかったのに。


それでも、一番無念なのは死んだ2人なのはよく分かっている。

可愛い子供たちを残して死んでしまったのだから。


「私が、あの2人を守るわ」


弥生の目に、涙はもうなかった。

2人の死に嘆き悲しみ、悲嘆に暮れていたい気持ちもある。

しかし弥生は、自分にそれを許さない。

やるべきことはたくさんある。

2人の孫のために、悲しみで立ち止まることを許さない。


「だから、安心して眠ってちょうだい」


2人の頬に手をあてて微笑みかけると、白い布を戻した。



霊安室を出た時には、涙の跡すらなかった。


「行くわよ。山吹」

「はい」


今の弥生を誰が見ても、娘を亡くしたばかりの母親の姿だとは思わないだろう。

涙で視界を曇らすことを許さず、力強く前を見据えている。

大切なもののために、今自分が何をすべきなのか分かっている。


非情だと言われても構わない。

いくら嘆き悲しんだところで、死んだ人間は返ってこない。

それなら、2人が残した子供たちのために前に進むべきなのだ。



弥生はすぐに病院側と話をつけて2人の遺体を引き取る算段をして、湊と純を早急に引き取る段取りを決めた。

屋敷の使用人に指示を出し、2人の安全を第一に全てを進めた。

全てを隠密に、迅速に行わなければならなかった。


心が不安定になっている湊に椎名を付け、少しでも信頼できる大人の側で安心してほしいと思った。



あとは、妹の純が目を覚ますのを待つだけだった。



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