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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第五章 過去と、今と
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133 追憶②


「いただきまーす」


今日の夕食は、父親が作ったハンバーグである。

父親特製のデミグラスソースがかかったハンバーグからは、美味しそうな匂いが立ち込めている。

朝と同じように4人で食卓を囲んで手を合わせると、ほかほかのハンバーグに箸を入れた。


「今日は何して遊んでたんだ?」

「かくれんぼしてたの」

「純が見つけるのが速いから、隠れるの大変だったけどね」

「お兄ちゃんも見つけるのはやいよ」

「だって。純、いつも高いところに隠れようとするんだもん」

「だって、高いとこ好きなんだもん」

「2人とも、怪我をしないようにね」


はぁーい、と2人の声が重なる。


「お兄ちゃん、次はトランプしようね」

「いいよ。でも、きっとおれが負けちゃうなぁ」

「じゃあ、父さんが湊の味方につくか」

「それなら母さんは、純の味方につくわ。それなら、いい勝負になると思うわ」

「やったぁ。約束ね」

「あぁ、約束だ」


純は今度のトランプの遊びに思いを馳せながら、ハンバーグを口いっぱいに頬張った。



その日の夜、布団に入って少ししてから純は隣の湊に声をかけた。


「お兄ちゃん」

「どうしたの?」

「そっちいってもいい?」

「うん。いいよ」


純は、隣の湊の布団に潜り込む。

兄の体温が感じられて、あたたかい。


「今日、たのしかったね」

「うん。そうだね」

「明日も、たのしいといいな」

「きっと、明日も楽しいよ」


純は、嬉しそうに笑みを浮かべる。


「純ね。ずっとそれが続いてほしいの。父さんと、母さんと、お兄ちゃんとずっといっしょにいたいな」

「おれもそうだといいな。みんなでずっと一緒にいたいね」

「そしたらね、きっとたのしいと思うの。父さんのパンはおいしいしね、母さんのピアノはきれいだしね、お兄ちゃんとあそぶのはたのしいの」


湊は、純の頭を撫でた。


「ずっと一緒だよ。家族だもん」


純はそれに嬉しそうに微笑むと、湊の胸に顔を埋めるようにして眠った。


ずっと一緒にいたい。

そうすれば、きっとみんな幸せだから。



しかしそんな当たり前の夢は、呆気なく壊れた。


これからもずっと家族で幸せになろうという願いも、呆気なく散った。

それは、幼い2人の心に一生治らない傷を作るのに十分だった。


失ったものは返らず、楽しかった記憶は悲しみに変わる。

思い返すたびに心が痛み、両親と暮らしていた幸せから心が離れない。


両親が優しく微笑みかけてくれることは、もうない。

毎日作ってくれる美味しいご飯と、大好きなパンはもうない。

語りかけてくれるような、綺麗なピアノの音色はもうない。


もう、ない。

もう、いない。



幸せは、全て奪われた。

突然に。

自分たちの目の前で。

どうすることもできなかった。


『父さん、母さん』


その声に応えてくれることは、二度となかった。


雨の中、純は何もできなかった。

自分は、ただの子供だと思い知らされた。

無力で、無知で、無垢なただの子供だった。


だから、もう奪われることのないように、ただの子供でいることをやめた。


必要のないものは全て捨てた。

もう奪われないように、復讐のために、必要なものだけを残した。


そうしたらいつの間にか、人形のようになっていた。

喜びも、悲しみも、楽しさも、恐怖も、愛も、幸せになることも、全て捨てた。

ただ復讐のために生きる、壊れかけの人形になった。


そんな人形に、湊は毎日話しかけてくれた。

大切だと、守ると言ってくれた。


『おれは、純のお兄ちゃんだから』


そう言って、泣きそうな顔で笑った。

その笑顔を見て、壊れかけの人形に感情が宿った。


『もう、大切なものを失いたくない』


いろんなものを捨てた心に残ったのは、その想いだけだった。




ざわざわと、活気のある町の声が純の意識を現実に戻す。


目の前の空き地は、幸せのあった跡。

焼き立てのパンの匂いも、綺麗なピアノの音もない。

ただ空虚な土地だけが、純を見つめ返すだけだ。


純は帽子を深くかぶりなおすと、人目につく前にその場を離れた。



町の中心部から少し離れたところには川が流れており、涼しげなせせらぎの音が聞こえる。

綺麗に整備された河川敷に、隣にはコンクリートが敷かれた広い道が通っている。

川の向こう岸の木に、鳥がとまっている。


『あなたは、その道を選んだことを後悔しないのね』


後悔などしない。


『あなたの両親が、そんなことを望んでいないと分かっていても?』


そんなことは分かっている。

純の両親は、自分の娘に復讐を望むような人たちではない。


きっと今の純を見たら、悲しむだろう。

それでも、その両親はもういないのだ。

復讐を果たしたところで、両親が返ってくるわけでもない。

それを分かっていて、純は自分の決めた道を歩む。

その道の先に、未来がないと分かっていても。



川の流れを眺めていると、スマートフォンが鳴った。

着信相手の名前を見て、ふっと笑みを浮かべる。


「もしもし」

「もしもし?」


電話越しの兄の声は、少し心配そうにしている。


今日は、シロも怜も連れてきていない。

しかしGPSは切っていないので、位置情報はちゃんと教えている。

きっとシロが今純がいる位置を見て、湊に連絡したのだろう。

シロも、大概過保護だ。


「大丈夫か?」

「うん」


純は、川を眺める。


「今、あそこに来てる」

「…そうか」


電話越しに川のせせらぎが聞こえて、湊は目を瞑った。


「…そこは、変わらないか?」

「何も、変わらないよ」


純の目に見えているのは、緑に覆われた河川敷と、雑草が生い茂る狭い道。

13年前の景色だった。


何度ここに来ても、景色がどれだけ変わっても、純の目にはあの頃の景色しか映らない。


「よく、ここに散歩に来たね」

「川に入って遊んだりもしたな」

「父さんと母さんは店が忙しくてあんまり一緒に行けなかったけど…あの日は、久しぶりに4人で行ったね」

「パンが全部売り切れたから、夕方に散歩に行ったんだったな」

「歩いてたら、晴れてたのに、急に曇ってきて…」


純の声が、頼りなさげに揺れる。


純と湊があの日のことを話すのは久しぶりだった。

純の心にはいくつもヒビが入っていて、触れれば壊れてしまいそうなほど危うい。

だから家族でさえ、簡単に過去を持ち出すことはできない。


純の瞳はきっと、4歳の子供のように不安と恐怖に包まれている。

すぐに側に行って抱きしめてあげたいのに、それができない今の距離が悲しい。


それでも、純の側を離れることは湊の意思で決めたことだ。

純のために、フランスに渡ることを決めた。

その選択に後悔はない。


湊は瞼の裏に、優しかった両親の笑顔を思い出した。


「…純」

「…うん」


湊はいつものように、穏やかな笑みを浮かべる。


「純は、俺が守るよ。俺は、純のお兄ちゃんだからな」


両親を亡くした13年前から、それが湊の口癖になっていた。

純を安心させるために、自分をしっかりさせるために、その言葉を口にしてきた。


「…ありがとう。お兄ちゃん」


少し柔らかくなった純の雰囲気に、湊は電話をかけてよかったと思った。


「シロが心配してるから、早く帰ってあげな」

「うん」

「…あんまり、無理はしないようにな」


つぼみになった4月から、純は多忙になっている。

梅雨の時期は雨のせいで体調を崩していたし、ほとんど眠れていなかった。

それに、純を狙う久遠の存在もある。

兄としては、妹のことが心配でならない。


「わたしは、大丈夫」


純は、湊を安心させるように答える。


「お兄ちゃんも、無理しないで」


純の言葉に少し驚いた湊だが、やっぱりな、と納得した。

湊がやっている小さな悪だくみくらい、優秀な妹にはお見通しなのだ。


「じゃあ、お互い無理しないようにしような」

「うん」

「また日本に帰るよ。今度は、バウムクーヘンを作るから」

「楽しみにしてる」

「じゃあ、また電話するよ」

「うん。またね」


純は電話を切ると、また川を眺めた。


川の水はさらさらと流れ、木々は風に揺れている。

木の枝から鳥が飛び立ち、夕暮れの空を飛んで行く。



純は、両親を殺した人間を許さない。

純の幸せを奪った人間を許さない。


殺されたのなら、殺す。

奪われたのなら、奪い返す。



復讐とは、そういうものだ。



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