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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第五章 過去と、今と
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128 後悔②


「お帰りなさい」

「ただいま戻りました」


雫石は講習が終わって家に帰ると、さっそく話があると言って母親に時間をもらった。


稽古場からやって来た母親は、夏の稽古時によく着る藍色の着物を着ている。

母親の私室で、雫石は制服のまま母親を迎えた。


「話があると聞いたけれど、どうしたの?」


雫石は、部屋の近くに人がいないことを確認する。


「今日、つぼみの部屋で昔の名簿を確認していたら、お母様の名前を見つけたのです」


雫石は、ひとまず翔平や純のことは隠して話を進めることにした。


「お母様は、静華学園に通っていたのですね」

「えぇ」

「つぼみだったのですか?」

「そうよ」

「お母様の一代前のつぼみについて、何かご存じですか?」


母親の視線が、雫石を正面に見据える。

その鋭い視線に少しドキリとした。


「どうして、そんなことを聞くの?」

「つぼみの記録を調べていたら、今から28年前の記録だけ失われていました。つぼみの活動記録は、次の代に残していく大切なものです。どうしてその代だけ記録が失われているのか気になってしまって…」


雫石は、慎重に言葉を続ける。


「その一代後のつぼみの名簿に、お母様の名前を見つけました。お母様なら、何かご存じではないかと思ったのです」

「…そう」


雫石は、母親の様子を窺う。

「28年前のつぼみ」の話になってから、明らかに雰囲気が変わった。

どこか警戒しているような、ピリピリとした緊張感を感じる。


「その代のつぼみについて、私が言えることはないわ」

「どうしてですか?」

「その理由についても、私に言えることはないわ」


普段の母親からは考えられないような拒絶に、雫石は戸惑う。

自分の一代前のつぼみだったら、普通はよく知っているはずだ。

それなのに母親は、「言えない」と言っている。


『何か、どうしても言えない理由があるのだわ』


そうでなければ、母親はこんな言い方をしない。



「そろそろ、稽古に戻るわね」


すっと立ち上がった母親に、雫石は少し焦って声をかける。


「最後に、1つだけよろしいですか?」


行ってしまうかとも思ったが、母親はこちらを向いて聞く体勢をとる。


「手短にお願いね」


雫石は少し悩んだが、率直に聞いてみようと思った。


「紫織さんという方をご存じですか?」

「………」


母親は雫石を見たまま、何も答えなかった。

目を開いたまま、石のように固まってしまっている。


「…お母様?」


雫石が呼びかけると、はっと目が覚めたように母親の瞳が動く。


「…理事長の娘さんが、そんな名前だったと思うわ」

「お母様は、お知り合いでしたか?」

「…いいえ」


雫石は、すぐにそれが嘘だと分かった。

名前を出した時にあれだけ動揺していて、知り合いではないというのは信じがたい。


それに、雫石は「しおり」と名前しか言っていない。

名字も言っていないのに名前の音だけで理事長の娘が出てくるのは、知り合いだったからだろう。


「雫石」

「はい」


名前を呼ばれて、雫石は顔を上げる。

母親はさっきまでの動揺がなかったかのように、いつも通りの冷静さに戻っている。


「あまり、人の過去を勝手に詮索するものではないわ。その人に失礼よ」

「…申し訳ありません」


それは確かにその通りだ。


「ですが…」


雫石が言い返してくるとは思わなかったのか、母親の目が少し開く。


「友人のことを知りたいと思うことは、間違っているとは思えません」


雫石にとっても、純は大切な友人だ。

純を大切に想う気持ちは、翔平にだって負けていない。


「人の隠し事を暴こうと思っているわけではないのです」


ただ、と雫石は続ける。


「知らずにいて、後で知っておけばよかったと後悔するのは嫌なのです」


どこを見ているのか分からない瞳をよくする純。

純が姿を消すたび、そのまま戻って来ないのではないかと不安に思う。

雫石は、翔平のようにどこかへ行った純を見つけることができない。

もし純に何かあった時、自分が何も知らなかった時、雫石は自分の無知を許せない。


娘の真っすぐな瞳に、時音は懐かしさを覚えて目を伏せる。


「後悔…ね」


母親がポツリと悲しげに呟いた言葉は、雫石の耳には届かなかった。

母親は廊下に出る襖に手をかけて、一度その手を下ろす。


「…私がつぼみになった時には、一代前のつぼみの記録はすでになかったわ」


雫石が驚いていると、母親の悲しげな瞳と目が合った。


「私が言えるのは、これだけよ」


その瞳があまりにも悲しみに溢れていて、雫石は心配になった。


「お母様…?」


しかし部屋に近付いてくる人の足音が聞こえると、いつもの毅然とした母親の姿に戻る。

少しすると、廊下の方から声がかかる。


「お母様。小雪(こゆき)です」

「入りなさい」


襖を開けて部屋に入ってきたのは、雫石の姉である小雪だった。


「お客様がいらっしゃいました。客間でお待ちです」

「分かりました」


一つ頷くと、母親は部屋を出ていった。

その後ろ姿を見送ってから、姉は雫石を見る。


「邪魔しちゃったかしら」

「いいえ。もうお話は終わったので、大丈夫です」


雫石が微笑むと、姉は安心したように笑顔を見せる。


姉の小雪は雫石より2つ年上で、つぼみの牡丹でもあった。

学園のマドンナとして人気で、明るい性格から男女問わず好かれていた。

今は静華の大学部に通っているが、そこでもマドンナ的な人気らしい。


「お姉様にお聞きしたいことがあるのですけれど…」

「なに?」

「過去のつぼみの活動記録の中で、1年分消えていたところがありませんでしたか?」


小雪は、軽く頷く。


「えぇ。あったわ」

「どうしてそのようになっているのか、ご存じですか?」


雫石は少し希望を乗せて聞いてみるが、小雪はすぐに首を横に振る。


「知らないわ」

「そうですか…」


母親の代にはすでに記録は消えていたというから、2年前のつぼみであった姉が何も知らなくても仕方ないだろう。


「雫石は、その失われた資料について調べているの?」

「はい」

「もしかして、お母様に聞いた?」

「はい。いけませんでしたか…?」


少し落ち込む雫石に、小雪は安心させるように微笑みかける。


「いけなくないわ。だけれど、お母様は学生時代のことをあまりお話にならないでしょう?」

「はい」

「それでも私が小さい頃は、お話してくれたこともあったのよ」

「そうなのですか?」


雫石は聞いたことがなかったので、驚いた。


「雫石は小さかったから、覚えていないのかもしれないわね。私が初等部に上がった頃から、お話してくれなくなったから」

「どんなお話でしたか?」

「お母様は、学生時代にとても仲の良いお友達がいたらしいの。1つ年上の先輩だったけれど、とても仲良くしてくれて、憧れの人だったと言っていたわ」


でも、と小雪は少し悲しげに眉を寄せる。


「その人とは、もう会えないと仰っていたわ」

「どうしてでしょう」

「分からないわ。でも、会えなくても、元気ならいいと言っていたから亡くなったわけではないと思うのだけれど…」


小雪は、少し首を傾げる。


「私が初等部に入った頃から、そのお話は一切してくれなくなったの。その頃のお母様は少し塞ぎ気味で…。私が聞ける雰囲気ではなかったのよね」

「そうだったのですね…」


雫石は、さっきの悲しみに満ちた母親の瞳を思い出した。


「しおり」という名前に対する、あの反応。

純の母親は、13年前に亡くなっている。

小雪が初等部に入学したのは、13年前。

母が塞ぎ気味だったのも、この頃。

それ以来、母は学生時代の話をしなくなった。


『偶然にしては、重なりすぎている気がするわ』



「あら、もうこんな時間ね。そろそろ明日の準備をしないと」


小雪は時計を見ると、立ち上がる。


「お見合い、明日ですね」

「えぇ。ちゃんと準備しておかないと、お母様に怒られてしまうから」


小雪は優希家の長女なので、日本舞踊優希流の跡取りである。

全国に多くの弟子を抱える一大流派の家元となり、数百年続く伝統を継いでいく立場となる。

そのためには婿を迎えて家を継がなくてはいけないので、その婿探しとして見合いをしているのだ。


しかし今までに何度か見合いをしているが、まとまったことはない。

見合いをしても、姉が断ってしまうのである。


両親は基本的には姉の意思を尊重したいらしく、姉が断った相手と話を進めることはない。

しかし、そろそろ決めてくれないかと母親が気を揉んでいるのを雫石は知っている。


「明日のお相手は、どなたですか?」

瓜生(うりゅう)さんという方よ。和菓子屋の次男らしいわ」

「良い方だといいですね」

「そうね」


そうであればいいと、雫石も願う。

大切な姉の結婚相手なのだから、優しい人であってほしいと思う。



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