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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第四章 それぞれの目的
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閑話② 猫


さぁさぁと風が吹き、木々が揺れる。


「………」


しかし純は庭の隅で座り込んだまま、じっと動かなかった。


純の目の前には、黒い毛のかたまりがいる。

黄色い真ん丸な瞳は、純の薄茶色の瞳をじっと見つめ返している。


しばらくそうしてにらめっこを続け、純はその黒いかたまりにそうっと手を差し出した。

すると、純の手をペロリと舐める。

両手ですくってみると、ふかふかとしていた。

純の手に抵抗することなく、気持ちよさそうに丸くなっている。


純は自分の手の中にある黒いかたまりをしばらく見つめると、それを胸に抱いてタタタッと走った。




「純様が、猫を?」


翠邸のメイド長である香苗(かなえ)は、驚いて聞き返した。

洗い物を洗っていた手を止め、働き者らしいたくましい手をエプロンで拭く。


この話を香苗に教えた庭師の(さかき)は、穏やかな笑みのまま頷く。


「黒い子猫のようです」

「野良猫かしら」

「そのようです」

「うちのお屋敷は野良猫も自由に入ってくるものね。榊さんも、大変でしょう」

「いえ。どの猫ものんびりとしているだけで、ほとんど庭を荒らすようなことはしませんよ」


心優しく穏やかな榊が「ほとんど」と言うということは、それなりに荒らされているのだろう。

香苗は、はぁとため息をつく。


「ここが野良猫の住処になってしまったらお屋敷が荒れてしまうと何度も弥生様に仰っているのに、弥生様ったら聞き入れてくださらないのよね。それどころか、楽しんでいらっしゃるわ」

「弥生様らしいですね」


弥生を主人として仕えて30年ほどになるが、いつまで経ってもつかみどころのない主人である。



「純様は、その子猫を飼うおつもりなのかしら」

「私が見た限りは、そのように見受けられました」

「純様の遊び相手としては良いかもしれないわ。だけど、野良猫ならいろいろと気を付けないと…」


香苗は、心配そうにぶつぶつと呟いている。

野良猫は病気を持っているものもいるので、あまり安全とは言えないのだ。


純はまだ10歳で、どれだけ人並み外れた能力を持っていたとしても、子供だ。

香苗としては、どうしても心配してしまう。


「それについては、弥生様に進言してみると良いかもしれません。純様のこととなれば、弥生様も何かお考えになるでしょう」

「えぇ、それもそうね」


榊の助言もあって、香苗は屋敷の主である弥生に相談してみることにした。




「純が、猫をね…」


香苗から話を聞いた弥生は、どこか楽しそうだった。


「野良猫というのは、あまり安全ではありません。もし純様が飼われるのでしたら、検査などをしなければ…」

「そうね。検査くらいなら、純は嫌がらないでしょう」

「何か、他に嫌がられるでしょうか」

「純はきっと、その猫を飼うことはしないでしょう」

「どういうことでしょう?」


弥生の言葉の意味を図りかねる香苗に、弥生は穏やかな笑みを向ける。


「その猫を気に入っても、首輪を着けたり行動を制限することはしないと思うわ」


香苗は、弥生の言い方に思い当たる節があった。


「…自由に、させてあげたいのですね」

「えぇ。きっとね」

「…お母様と一緒ですね」


純の母である弥生の娘も、誰かの自由を縛ることを嫌った。

風に流れるように自由に生きることを好み、その風をどこまでも流すことができるような人だった。



「ですが、お庭にいる他の野良猫はどういたしましょう。あまり放っておくのは良くないと思いますが…」

「それなら、もう大丈夫よ」

「?」

「すぐに分かるわ」


香苗の主人は楽しそうに庭を眺めながら、それ以上は何も教えてくれなかった。




『すぐに分かるということは、どういうことかしら…』


香苗の主人はたまに何を考えているのか分からないところがあるので、香苗程度ではその考えを読むことはできない。


『弥生様が仰るのなら、すぐに分かるでしょう』


今はその疑問を置いておいて、ひとまず仕事に戻ることにした。



屋敷の外に出て、干していた洗濯物を取り込む。


晴れた空の下で乾いた洗濯物を籠に入れていっていると、茂みから一匹の猫が出てきた。

茶色と黒色の模様の、三毛猫である。

この庭には野良猫が自由に出入りするので、そのうちの1匹だろう。


特に気にせずに洗濯物を取り込んでいると、その猫が洗濯物を入れた籠に爪を引っ掛けようと手を伸ばした。

その猫を叱ろうとした時、三毛猫はびくりと何かに反応すると、怯えたように逃げ出した。


「?」


不思議に思っていると、洗濯物を入れた籠の後ろから黒猫を抱いた純が現れた。

純は建物の隅にいる、さっき逃げた三毛猫に視線を向ける。


「悪さしたら、だめ」


すると、三毛猫は尻尾を巻くように逃げていった。



『あら、まぁ』


香苗は驚くような、感嘆するような気持ちだった。


『純様は、このお屋敷に出入りする猫を手なずけてしまわれたのね』


手なずけたという言い方は優しすぎるかもしれない。

純はどうやら、猫たちのヒエラルキーの一番上に立ったらしい。

これで、この屋敷に出入りする猫は純の支配下に置かれた。

野良猫が屋敷を荒らすようなことはもうないだろう。


『弥生様の仰っていたことは、こういうことだったのね』



純は黒猫を抱きながら、小さな頭を優しく撫でている。

子猫はそれに嬉しそうに、喉をゴロゴロと鳴らしている。


『純様が動物に関心を持たれたのは初めてね』


純は、ほとんどのものに関心を持とうとしない。

子猫を抱いている姿を見ていると、なんだか嬉しかった。


「純様」


香苗が声をかけると、薄茶色の瞳がこちらに向く。


「猫は、自分の家がどこかちゃんと分かるそうです。きっと自由にさせていても、純様のもとへ帰ってくるでしょう」


純は香苗にそう言われ、黒猫をじっと見つめる。

黒猫はそれを見つめ返しながら、純の頬をペロリと舐める。

純はその反応に納得したよう、こくりと頷く。


「それがいいって」


まるで、子猫の言葉が分かるような言い方だ。

しかし純のことなので、不思議と変には思わなかった。



「お名前は付けられるのですか?」


純は、子猫を見て少し考え込む。


「クロにする」

「…理由をお聞きしてもよろしいですか?」


何となく答えは分かっているが、一応聞いてみる。


「黒いから」


あまりに単純な理由である。

しかし純はその名前を気に入ったのか、子猫を肩に乗せるとタタタッと走っていく。

キッチンの方へ向かったので、きっと子猫用のミルクをもらいに行くのだろう。


『…良かった』


純が大切そうに子猫を抱いていた姿は、まるで年頃の子供のようだった。

また一歩、純は何かを取り戻したように見えた。


「それにしても、クロなんて…見た目のままねぇ」


純は意外と、名づけのセンスがないのかもしれない。

新たに知った純の一面に、クスクスと笑みがこぼれた。




それからすぐに、翠邸に新しい執事が来た。


どこか昏い目をした青年は、何もかも諦めたような雰囲気を身にまとっていた。

しかし最終的には、純の信頼を勝ち取り、純の側にいることを許された。


その若い執事が純に「シロ」と呼ばれていたのを見た時は、可笑しくて笑ったものだった。


『やっぱり、純様はあまりネーミングセンスがないのかもしれないわ』


そして純の側に誰かがいることに、心から安心した。



『お嬢様のお子様は、日々成長されていますよ』


風のように自由だった亡きお嬢様を想って、こっそり涙を流した。



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