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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第四章 それぞれの目的
122/181

121 交差する思い⑤


雨が降っている。


雨は、大切なものを奪っていく。

大切な両親も、幸せだった日常も。

あの雨の日に、全て奪われた。


もう、奪われるわけにはいかない。

大切なものを、失いたくない。


だから、大切なものは少なくていい。

失わないように、自分が守れるだけでいい。

そうすれば、もう失わない。


だから純の大切なものは、家族だけ。




『純』


うっすらと浮上していく意識の中で、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。




目を開けると、暗闇だった。


目が慣れてくると、見慣れた天井が見える。

慣れた手触りのベッドに、寝室にしては広い部屋。

そこでようやく、自分の家にいることに気付く。


純は目が覚めた時に、こういったことを確認する癖があった。

記憶を失うことも少なくないので、目が覚めたら自分の状況を確認しないと安心できないのだ。



「お嬢様。ご気分はいかがですか?」


シロの声で、自分がどうしてここにいるのかを思い出す。


そして、寝室の中にシロ以外の人の気配があることに気付く。

体をゆっくり起こすと、ベッドから離れたところにぽつんと1人で立っている。


「…純」


どうして、気付かなかったのだろう。


あの雨の日。

シロが純を止めたにしては、荒っぽい方法だったこと。

次の日に翔平に会った時に、翔平がついていた嘘。

あれ以来、翔平の様子が少し変わったこと。


気付くヒントはいくらでもあったのに、気付かなかった。

あの雨の日に、純の弱点はすでに翔平にばれていたのだ。



『瑠璃を使って…』


「俺を脅さなくても、俺は誰にもこのことを言わない」


自分の思考を先読みされて、純は眉を寄せる。


「俺は、お前の弱みを人に喋ったりしない」

「…何が目的?」


翔平は少し呆れたようにため息をつくと、純に歩み寄る。


「全人類が、お前みたいに利益だけで動く人間だと思うな」


純は、利益がなければ動かない。

目的がなければ行動しない。

純にとってはそれが当たり前すぎて、翔平もそうだと思っている。


ここまで長い付き合いなのに、そう思われていることに少し落胆する。


『それほど、純は俺に興味がないんだろうな』


しかし翔平にとっての純は、違う。


「あの日のことを黙っていたのは、悪かった。でも俺は、お前の秘密を誰にも喋らない」

「…なんで?」

「お前が大切だからだ」


純の瞳に、拒絶の色が宿る。


「大切な友人の、不利益になるようなことはしない。当たり前だろ」


翔平は、内心で自分を笑う。


『俺は、ずるい』


純は、翔平の異性としての好意を絶対に受け入れない。

しかし、友人としての想いなら拒絶しないだろうという読みがあった。


皐月たちに「大切だ」と言われた時、純は拒絶しなかった。

困惑して、自分の中で理解できなくてあの場から逃げた。

だから、大丈夫だろうと思った。


「お前が家族を大切に思うように、俺もお前のことを友人として大切に思ってる。だから、言わない」

「………」


純にとっては、理解できない理由なのだろう。

家族しか大切に思わない純にとって、それ以外からの感情は受け付けようとしない。


「俺は、お前を守りたい」


まだまだ、力は足りないけれど。

純からすれば、頼りない相手だろうけれど。

この想いだけは、変わることがない。


「…わたしの大切なものは、家族だけ」


純の瞳が、幼い子供のように不安定に揺れる。


「守りたいのも、守ってもらうのも、家族だけ」


『そうしないと…』



「俺は、お前をおいていかない」


純の揺れた瞳が、翔平を見る。


「ずっと側にいる」

「…わたしは……」


何かを探すように、純の瞳は彷徨う。


「わたしは、守られなくても大丈夫」

「それでも、守らせてくれ」


「また、翔平を傷付けるかもしれない」

「その時は、俺がお前を止める」


「わたしの側にいれば、危ない」


翔平は少し驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに微笑む。


「俺の心配をしてくれるのか?」

「いや…」


違う。

だって、純にとっての大切なものは家族だけだから。

それなのに、言葉が見つからない。



「お前を守れるだけの、力を得る。お前に認めてもらえるように、頑張るから」


翔平は、純が腰かけているベッドの側で止まる。

それ以上近付くことなく、手を触れることもない。

「友人」を自称するのなら、自重しなければいけない。


「お前が危ない時は、俺が守る。助けてほしい時は、助ける。困った時は、手を差し伸べる。今まで、お前がそうしてきたように」

「…わたしが?」


素で驚いている純に、翔平は呆れたように笑う。


「優希が狙われて危ない時は、お前が守ってきた。俺に縁談が来た時、お前は助けてくれた。

晴が困っていた時、皐月と凪月が悩んでいた時、お前は手を差し伸べてきた」

「それは…わたしに、利益があったから」


目的があって、利益があった。

だから、そうしただけだ。


「それでも、俺たちがお前にしてきてもらったことは変わらない。お前が俺たちにするのはだめで、俺たちがお前にするのはだめなのか?」

「それは…」


純はだんだん、自分がどうすればいいのか分からなくなってきた。

純の想いは揺るぎないはずなのに、何故か翔平に言い返せない。



『家族じゃなくても、相手を大切に思う気持ちはあるんだよ』


湊は、そう言っていた。


『あまり、人を拒絶してやるな』


師は、そう言っていた。




「大切なんだ」


翔平の声に、純は漆黒の瞳を見つめ返す。


翔平が、どんな感情を抱いているのかは純には分からない。

それでも、その言葉に嘘がないことだけは分かる。



純の口が、何かを言おうと開く。

しかし何も言葉が出ないまま、閉ざされる。


翔平は、そのまま待った。

何かを言いたい時、沈黙が長くなるのは純の癖だ。


そうしてしばらく静かな沈黙が続いて、純は再び口を開く。


「……好きに、すればいい」


どこか投げやりだけど、それが純の優しさであることを翔平は知っている。


「分かった。好きにする」


翔平は、ただ今の気持ちを言葉にした。


「ありがとう。純」


純は、何も言わなかった。

それでも、翔平にとっては十分だった。




「…お話が済んだようでしたら、お帰りください」


空気のように忘れられていたシロは、やっと口を挟む。


「お嬢様は、体調が万全ではございません。ご理解ください」


確かに、純の顔色はあまり良くない。

純の寝室に入る時もかなり嫌な顔をされたので、今日はこのあたりで引いた方がいいだろう。


「またな。純」


翔平は、幼い頃から交わしてきた別れの言葉を口にする。

純は薄茶色の瞳に柔らかい色を映し、頷いた。


「…またね」




翔平がいなくなってから、シロは純に深く頭を下げる。


「あの日にあの少年を連れて行ったのも、お嬢様のことを話したのも、私です。そして、隠すように指示しました。申し訳ありませんでした」


純は、ゆっくりと首を横に振る。


「あの日、迷惑をかけたのはわたしだから。それに、わたしを思ってのことだって分かってる」


あの日のことは、純が1人で行動しなければ起きなかった事態だ。


それに、雨にあたって記憶を失った時の自分はかなり心が不安定になる。

シロが純のことを思って行動したことに疑いはない。



シロはもう一度頭を下げると、翔平が出ていった扉の方に少し視線を向ける。


「よろしかったのですか?」


「好きにしろ」というのは、今までの純から考えればかなりの譲歩だ。


「…わかんない」


純は少し疲れたように、首を振る。


「どうすればいいのか、わかんない」


何でもできるはずの純は、人の心に疎い。


それは、大切なものを作らないように人の心を遠ざけてきたから。

両親を失った時に、感情をいくつも落としたから。


純には、分からない。

翔平の気持ちが、分からない。


分かっては、いけない。



『少し、変わられた』


今までの純からはあまり考えられない困惑している様子に、シロは心の内で安心する。


純に幸せになってほしいシロにとって、純が人間らしい感情を取り戻していくのは喜ばしいことなのだ。


『今までのお嬢様なら、もう少し早くに気付いていた』


大切なものは家族だけと割り切っていた今までの純なら、翔平の嘘にもっと早く気付いていた。

翔平や友人たちから寄せられる思いを遠ざけるあまり、雨の日の事実に気付かなかった。

純が変わったのは、間違いない。


『そのきっかけがあの少年というのは、気に入らないが』


さっきのやり取りも、はたから見ていればまるでプロポーズのようだった。


純に拒絶されないように自分の本当の想いを隠し、純が許容する範囲で思いを伝えていた。


『ずる賢い男だ』


それでも、もう1人の男よりはマシなのは間違いない。



「諏訪大和の身柄は、こちらで確保しております」


諏訪大和には、純の弱点を知られてしまっている。

野放しにはできない。


しかしシロの予想とは反対に、純は首を横に振る。


「とりあえず家に帰しておいて」

「…よろしいのですか?」


あの男は、翔平のように純の秘密を隠すような人間には見えない。


「その方が使えるから」


純には、何かしらの考えがすでにあるらしい。

それが純の意思ならば、シロに反対する理由はない。


「おそらく、1週間ほどは口も聞けず体も動かないと思われます」

「何かしたの?」

「さっきの少年が、声帯と腹部を正確に狙って殴っておりましたので」


翔平が大和を殴った時、最初は感情任せに殴ったのかと思った。

しかし翔平は、大和が目を覚ましてもしばらくは何もできないように場所を狙って殴っていたのだ。


あの部屋の状況と純の様子を見て、大和を自由にさせてはいけないと一瞬で判断したのだろう。


「…手間が省けたけど」


純は、少し複雑そうな顔をしている。

翔平にそこまでされるとは思わなかったのだろう。


「あの部屋は?」

「すぐに全て片付けて元通りにしておきました。盗聴器や隠しカメラなどはありませんでしたので、あの部屋の中で起きたことは外に洩れておりません」


「毒は?」

「前もって通気口に仕掛けてあったもののようです。時間が経つと自然に毒を発生する仕組みになっていました」


その毒を仕掛けた人物には心当たりがあるので、特に驚きはない。


「やはり、あの男でしょうか」

「久遠の人間で、わたしが死ぬかもしれない方法をとるのはあの人だけだよ」


久遠栄太朗は純を手に入れるためなら手段を選ばないが、死んでは元も子もないため怪我程度で済むようにしている。

長男の清仁は頭の固い方法しかとらないので、基本的に純を誘拐しようとする。


純が死ぬような方法を簡単にとるのは、次男の朔夜だけである。


あの男は、純のことをおもちゃだと思っている。

純を困らせて、楽しんでいるのだ。


今回は大和と純がいる空間で毒を発生させ、純が久遠の手先を助けるかどうか試したのだろう。

それが、あの男にとっての「遊び」なのだ。


『あの男に雨のことを知られなかったのは、不幸中の幸いか…』


それでも、油断はできない。

純のトラウマを知る人間が、2人も増えてしまった。

この秘密が知られれば、純は今よりもっと動きづらくなる。


『だから…』


薄茶色の瞳からは光がなくなり、ここではないどこかを見つめる。


『わたしの邪魔をするなら、排除するだけ』


翔平も、大和も。

雫石たちも。

純の邪魔をするのなら、いらない。


利用価値のないものは、捨てるだけだ。



純はそうやって、生きていく。

全ては、純の目的のために。



大切なものを、もう失わないように。


両親を殺した人間に、復讐するために。





「なんだ、失敗したのか」


部下から報告を聞いた朔夜は、がっかりした。


どうやら、一緒にいた男は生きているらしい。

あの子に近付く男は気に入らないので、別に死んでもよかったのに。


それに、もし久遠の手先が死んだらあの子がどういう反応をするのか気になった。

朔夜に対して怒るのか、憤るのか。

それとも、目の前の死をどうでもいいと片づけるのか。


「まぁ、いいや」


うまくいかなかったのだから、今回のことにもう興味はない。



テーブルに置いてあるチェスの駒を1つ持つと、手の中で弄ぶ。


「次は、どうやって遊んでもらおうかな」


あの子と遊ぶのは楽しい。

今まで、何度も遊んできた。

朔夜の仕掛ける遊びから他の人間を守りながら、自分の身も守ってきた。


父はあの子が欲しいらしいが、朔夜にとってはどうでもいい。

ただあの子に遊んでもらっている時だけが、生を実感できるのだ。



「いいことを思いついた」


朔夜は、チェスの駒を盤の上に放り投げる。

いくつかの駒が倒れて転がり、テーブルの下に落ちる。


「たまには、会いに行くのもいいかもしれない」


直接遊んでもらえば、きっともっと楽しいだろう。


そうしようと、朔夜は上機嫌になる。



椅子から立ち上がろうとした時に足にチェスの駒が当たって、朔夜は眉をしかめた。


「誰がこんなところに駒を置いたんだろう」


転がっている駒を蹴っ飛ばした時には、もうその駒の存在すら忘れた。



「あぁ、楽しみだな」


朔夜はあの子の顔を思い出して、にっこりと笑みを浮かべた。



第四章、終わりです。

次回は閑話を挟みます。

第五章はもう少し書き溜めてから始めます。

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