118 交差する思い②
純は翔平と瑠璃と別れると、一縷の望みをかけて会場の一番隅に移った。
しかしそれも虚しく、すぐに5人ほどの男子に囲まれる。
その中には、今回のパーティーの主役も含まれていた。
こちらから挨拶に行かなくても向こうから来てくれるのは楽なのだが、やはり人の注目を浴びるのは苦手である。
「初めまして。本日は私の成人記念パーティーに来ていただいてありがとうございます」
「お招きいただきありがとうございます」
「櫻さんは静華学園のつぼみとしてお忙しいと伺っていたので、来ていただいて本当に嬉しいです」
純より2つ年上の御曹司は静華学園の生徒ではないが、つぼみという存在はどこでも知られている。
それほど大きな存在なのだ。
主役との会話がひと段落すると、他の男子も負けじと純に話しかける。
「私は、以前に別のパーティーでお会いしましたね。また会えて嬉しいです」
「僕は同じ静華学園にいるとはいえ、つぼみの皆さんと関われることは滅多にないので、これを機会にまたお話したいです」
「ありがとうございます」
今集まっているのは、大体純と同年代の男子ばかりだ。
親の思惑とは別に、個人的な感情で近付いてきたのだろう。
しかし純は、この男子たちが自分に向ける感情を理解できない。
できるだけ早くこの場から逃げたいのだが、そう簡単にもいかない。
「櫻さんのご趣味は、何ですか?」
「読書です」
「家にはかなりの蔵書数があると聞きました。好きな本はありますか?」
「特にありません。いろいろ読みます」
「ジャンルを問わず、幅広く読まれているんですね。素晴らしいです」
「ありがとうございます」
「他に好きなものなどあれば、良ければ教えていただけませんか?ぜひ、贈らせてください」
「いえ、お気持ちだけで結構です」
まるで見合いでもしているかのようなやり取りが、延々と続く。
純は一方的に質問され、それに当たり障りなく答えるという繰り返しである。
自分の心の内を見せることなく、本心を悟られないように表面だけを取り繕う。
VERT社長の孫として相応しいように、令嬢として相応しい振る舞いをする。
昔から、シロに口を酸っぱくして言われていることである。
今日も車の中で何度も釘を刺されたので、何とか社長令嬢の皮を被っている純だった。
『帰りたい…パン食べたい…』
最低限の笑みを浮かべながら会話をしつつ、頭では全く違うことを考える。
そうでもしなければ、今にもこの男子たちを張り倒してしまいそうになる。
ある程度会話に区切りがついたところで、他の人に挨拶に行くという理由でその場を離れた。
「こんばんは。こっちで一緒に甘いものでも食べない?」
しかしすぐに、別の男性陣に囲まれる。
はっ倒して逃げるわけにもいかず、最低限の笑みを浮かべて誘いに乗る。
しかし男性陣の年齢を見て、純は内心顔をしかめた。
さっきのグループより年齢層が高く、大体20代中盤くらいの大人の男性たちである。
この年齢層の男性たちは、本格的に結婚相手を探していることが多い。
大企業の御曹司や名家の跡取りばかりなので、若い女性を結婚相手として相応しいか見定めてくるのだ。
容姿や才能、社交性を見て、未来の妻を選ぶ。
さっきのどこか夢見がちな男子たちよりも、こちらの方が扱いづらい。
「学校生活は、どうかな?」
「つぼみとしては大変なこともありますが、充実しています」
「お祖母さんが理事長なんでしょ?少しは甘やかしてくれてもいいのにね」
「祖母は、身内にも厳しい人ですから」
澄ました顔で答えながらも、めちゃくちゃ嘘である。
弥生は身内に甘い。
「会社はお兄さんが継ぐんでしょ?君はどうするの?」
「まだ決めていません」
「学校を卒業したら、お嫁さんになるのもいいかもよ」
1人の男性が、にこりと微笑みながら提案する。
「君なら、引く手あまたでしょう」
「わたしはそういうことに疎いので、よく分かりません」
何人かが、ふっと笑みを浮かべる。
「俺たちが、教えてあげようか?」
少し訝しんだ視線を向けると、口元にニヤニヤと笑みを浮かべている。
1人の男が、飲み物の入ったグラスを純に渡す。
「大人になることが、どういうことか」
純はグラスの中の匂いを嗅いで、口は付けなかった。
アルコールの匂いがしたのだ。
「大丈夫。別に、悪いものじゃないよ」
「ジュースと同じだよ」
ニヤニヤと笑う顔に、グラスの中をかけてやりたい衝動を抑える。
アルコールの中に、飲み物とは違う匂いが混ざっている。
どうせこれを飲ませて、どこかへ連れ込むつもりなのだろう。
純がいつまで経っても飲み物を飲まないことに焦れたのか、1人の男が純の腕を掴もうとする。
それを自然に躱すと、今日一番の笑顔を男たちに向けた。
「友人に呼ばれているので、失礼します」
「「………」」
純の笑顔を見てぼーっとなっている男たちをさっさと置いて、会場の反対側まで逃げる。
今のはここ数年で使っている、いざという時に逃げるための最終手段である。
最大限に顔の筋肉を使って笑顔を作り、相手が固まっているうちに逃げる。
ほとんど確実に逃げられる方法なのだが、やりすぎると逆効果なので毎回やるわけにもいかないのが難しいところである。
『1回、どっかに逃げたい…』
さすがに、我慢の限界である。
一度、会場の外に出て外の空気を吸いたい。
パーティー会場から出ようとすると、出入り口の辺りにあまり見たくない顔が立っていた。
一瞬会場に戻ろうかと考えるも、明らかに自分狙いの集団が近付いているのに気付いてやはり会場から出ることにした。
「よう。奇遇だな」
面白がっているような笑みを浮かべ、その声音はどこか楽しそうである。
それを完全に無視し、横を通り抜けようとした。
「龍谷の妹」
その一言で、純の足が止まる。
大和は、それに満足したように微笑む。
「兄に似ていないんだな。あんたのこと、姉として慕ってるんだって?」
純は、すぐに会場の人の気配を探った。
そこに瑠璃の気配はない。
翔平は会場内にいるが、仕事の関係者に無理やり引き止められている。
瑠璃がいないことに気付いているのだろう。
いつも通りの鉄仮面だが、純と目が合うと、一瞬焦りが見える。
「瑠璃に、手を出したの」
純の声色が、氷のように冷たくなる。
先ほどまでの作りものの顔はどこかへ行き、殺意すら含んでいる視線で大和を睨みつける。
「別に、何もしてない」
そう言いながら、純の変わりように楽しそうにしている。
「暇そうだったから、少し外に誘っただけさ」
「………」
大和の言葉に、嘘はない。
しかし、何か別のことを企んでいる気がする。
「俺についてくれば、何もしないかもな」
純の表情から、感情が欠落していく。
敵意と殺意以外の感情をそぎ落とした視線で、大和を睨みつける。
「さぁ、どうする?」
反対に、大和は笑みを深くした。
純はもう一度大和を睨みつけると、会場に振り返って翔平と目を合わせた。
そうして、大和について会場を出た。
「翔平くん。何か、気になるものでも?」
「いいえ。失礼しました」
「それで、先の事業のことだけどね――」
『くそ…』
翔平は、この状況にいらついた。
さっき、純が最後に自分にメッセージを向けたことに気付いていた。
口の動きだけで、言葉を伝えてきたのだ。
『瑠璃…』
パーティーが始まってから、瑠璃は翔平の側から離れなかった。
人混みではぐれないように気を付けていたし、瑠璃は人見知りなのでずっと翔平の後ろに隠れるようにしながら大人たちに挨拶をしていた。
しかし会場の雰囲気に慣れてくると久しぶりに出かけることができた嬉しさから、きょろきょろと周りのものに興味を示し始めた。
仕事の話ばかりしている自分の側にずっといるのはつまらないだろうと、あまり遠くに行かないようにと約束して遊びに行かせたのだ。
会場を少し歩いたり、お菓子を食べたりと楽しんでいる様子だったので安心していた。
少しすると、瑠璃に話しかけている男子を見かけた。
『中学生くらいか…?』
優しく微笑む笑顔は幼く、瑠璃にお菓子をあげている。
人見知りをする瑠璃が珍しく楽しく話しているので、話しやすい相手なのだろう。
しかし父親の取引先の常務と話している時、瑠璃とその男子が会場から出て行こうとしていることに気付いた。
すぐに話を終わらせて後を追おうとしたものの、何故か相手が話を続けたがった。
龍谷グループの跡取りという立場の翔平が簡単にないがしろにできる存在ではなく、その人に捕まっているうちに瑠璃を見失ってしまった。
瑠璃を探したい思いを鉄仮面で隠し、何とか話を終わらせようとしていると、純があの男子と会場の出入り口にいるところを見つけた。
純はパーティー用の表情を崩し、男子のことをきつく睨みつけていた。
反対に男子は瑠璃に向けていた優しい笑みはかけらもなく、自分を睨みつけている純を見て面白そうに笑っていた。
翔平が身動きできずにいると、純は口の動きだけで言葉を残してその男子について行ったのである。
「瑠璃のことは任せて」
それはつまり、瑠璃に何か起きているかもしれないということだ。
それに、純はただの他人にあそこまでの敵意を向けることはない。
『くそ…一体、何が起きてる…』
この場から走り出したい衝動を抑えながら、龍谷グループの後継者として身動きのできない翔平だった。




