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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第四章 それぞれの目的
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116 失ったもの⑤


「あの執事、やっぱり辞めたのか?」

「さぁ」



執事が姿を消して、1か月以上経っていた。


祖母は何も言わなかったし、自分も何も言わなかった。

ただ兄だけが、残念そうにしていた。


「純が何かしたんじゃないのか?」


翔平の目は、不信感に溢れている。


「純に近付いてくるクラスメイトだって、すぐ離れていくだろ」

「わたしは何もしてない。勝手に化け物扱いして離れていった」


翔平は目を見開いた後、怒ったように眉間にシワを寄せている。

そんな顔は、少し興味深かった。

自分がしないからか、周りが代わりにしてくれているのかもしれない。

鏡のようで役に立つ。



純は、本当に何もしていない。


好きに行動していたら、理解ができないようで離れていった。

いつも相手は、純の表情の無さを見て気味悪がった。

聞かれたことを素直に言ったら、化け物を見るような目で見られた。


そんなことには慣れている。

純だって、よく分かっている。

自分が普通じゃないということは。


だから、わざわざ近くにいなくていい。

いる必要もない。



「今日は湊さんと帰るのか?」

「そう」

「いいな。おれも湊さんみたいな兄さんがほしかった」

「あげない」

「いや、くれとは言ってない」


翔平は思い出したように、真剣な目で純を見る。


「でも、本当に気を付けた方がいいぞ。最近狙われること多いだろ」

「うん」


特に多くなったのは、1年前からだ。

だから祖母は、できるだけ早く純の側に人を置こうとしている。


もしかしたら、あの若い執事も純のことを気味が悪いと思ったのかもしれない。

ただ、どうでもいいことだった。




「純、待ってたよ」


校門の近くまで行くと、湊が立っていた。

どうやら、まだ車の迎えは来ていないらしい。


「やっぱり、湊さんいいなぁ」

「あげない」

「何の話?」

「なんでもな――」


校門から外に出た瞬間、物陰から数人飛び出してきた。

明らかに、こちらにめがけて走ってくる。


『最近、多い』


それも、学園の外に出た瞬間。

まるで、学園の中では手が出せないかのように。


『おばあちゃんのいるところだから』


学園内で起きたことは、祖母が絶対に許さない。

しかし襲うタイミングは少ないので、校門を出た瞬間から車に乗るまでを狙うのだ。


祖母に誘き出されているとも知らずに。


襲われる場所が1つであれば、捕まえやすい。



自分狙いだと分かっているので、湊と翔平の側から離れる。


2人とも何か言っているが、自分を襲ってくる人間に集中する。

武器を持っている様子はないし、人数も3人だけで問題ない。



1人目の喉を蹴り上げようとした時、自分の後ろから気配を感じたと同時に蹴ろうとしていた男が吹っ飛んだ。

前方に集中していたとはいえ、直前まで気配に気付かなかった。


振り返ると、黒髪の青年が立っていた。


「遅くなり、誠に申し訳ありません」


丁寧な言葉で、深く頭を下げている。

それは、1か月以上見ていない顔だった。


「私が片付けてまいりますので、こちらでお待ちください」

「いやだと言ったら」

「1週間、食事にパン無しです」

「………」


無言を了承と見たのか、青年は襲いかかってくる男たちをいとも簡単に倒していく。

ほんの一瞬で、他の2人もすぐに地面に転がった。



「すごいなぁ。あんなに強かったんだ」


湊は純を心配して近寄ってくるも、黒髪の執事を見て嬉しそうにしている。


「辞めたんじゃなかったのか?」


翔平は不思議そうにしている。

辞めたとは聞いてないし、辞めたとは言っていない。



「お怪我はありませんか?」


1か月前とは別人のように口調が変わっている。


「何しに来たの」

「あなたにお仕えするために、来ました」

「諦めたんじゃなかったの」

「諦めるのはやめました。自分の夢を叶えることを、諦めるのはやめました」


黒髪の若い執事は、純の前で片膝をつく。


「あなたを守らせてください」

「他人に守られる必要はない」

「あなたが多くのものを捨てていくことのないように、もう失うことがないように、守らせてください」

「………」


「あなたがもし捨てなくてはならなくなった時、私がそれを防ぎます。もし捨ててしまった時、私が必ず拾います。私は、あなたを守りたいのです」


その瞳に、嘘はなかった。

以前のように、自分を分かっていない瞳ではない。

諦めることをやめて、何かのために生きることを決めた目だった。



「わたしの側にいれば、危ない」

「なまっていた体と頭を鍛えなおして、あなたに仕えられるだけの力を1か月かけて取り戻してまいりました。これからは、私の全てをあなたに捧げましょう。命に代えても、あなたを守ります」



『執事にとって主人という存在は、自分の命よりも大切なものだよ』


そう言っていた父が、敬愛していた主人を殺した理由はまだ分からない。

それでも、尊敬した父が言っていた言葉に嘘がないことは、自分が一番分かっている。

父の声から、父の起こした事件から、目を背けるのはやめた。



『仕えるに値する主人かどうかは、自分で決めることだよ』


自分の主人は、自分で決めた。

茨の道を進もうとしているこの少女を、1人にはできない。



「私は、あなたの手となり、足となりましょう。あなたの剣となり、盾となりましょう。あなたがたとえどんな道を進んでも、最後までお供しましょう」


一度だけ見た、瞳の奥にあった炎のような揺らめき。

大切なものを「奪われた」と言葉にしたこの少女が心に抱えるものはきっと、いつかこの少女の身を潰す。


「最後まで、あなたを守ります。私の、命に代えても」


どこまでも揺るぎない、真っすぐな意思だった。



命に変えても守ると言われたのは初めてだった。

心を捨てるなと言われたのも、初めてだった。


弥生と湊は、そんなことを言わない。

家の使用人たちも、そんなことを言わない。

壊れそうなものに触れるように、優しく、大切にしてくれる。


純の目的を知っていても、否定することはしない。

ただ、その道を共に歩む覚悟をしてくれている。


目の前の、青年のように。



「………」


断らなければと、口を開く。

純は、これ以上大切なものを増やしたくない。


「にゃあ」


「「?」」


場違いな鳴き声に、湊と翔平は驚く。

黒髪の執事は慌てたように胸元を探ると、そこから出てきたのは黒い子猫だった。


「…何で、ここに」


確かにさっきから執事の胸元に猫の気配があったから気付いていたが、いつもは家にいるはずの猫が何故ここにいるのかは分からない。



胸元から猫を取り出した本人は、先ほどまでとは違ってかなり焦っている。


「いや、あの…これは…」


視線がウロウロとさまよい、額に汗をかいている。


「…今日、戻ってきた時、あの…餌をあげに行ったのですが…。こちらに行こうとしても、離れなかったものですから…」


それで、仕方なく連れてきたらしい。

黒猫は自分が注目されているのにも関わらず、呑気にあくびをしている。


『やはり、勝手に連れてきたのはまずかったかもしれない…』


そう思ったので、胸元に隠していたのだ。

しかしずっと気付かれていたようなので、あまり意味はなかったかもしれない。



少女が一歩一歩近付いてくると、黒猫に手を差し出す。

子猫は慣れたように、少女の腕に飛び乗った。


「クロ。気に入ったの?」


無表情に尋ねるその顔を、子猫はペロリと舐めた。


「にゃあ」

「…そう」


子猫の返事が少しおかしかったのか、表情が和らぐ。

それは、かすかに笑っているように見えた。



湊はそれを見て、肩の力が抜けたように笑みが出た。


『よかった…やっと、許せたんだ。感情を取り戻すことを』


湊は久しぶりに見た妹の笑みに、心から安堵した。



『これは…どっちだ?』


仕えることを許してくれたのか、許してくれていないのかあやふやになってしまった。


『まぁ、今はいいか…』


子猫にかすかに微笑む主人は、10歳の少女に見えた。



『おれが笑顔にさせたかったのにな』


翔平は、ちょっと拗ねていた。

出会った時から笑わない純の笑顔を、いつか見てみたいと思っていた。

自分が笑顔にさせたかった。


『猫に負けたなら、しょうがないか…』


湊や執事に負けたら悔しかっただろうけど、笑った瞬間を見られたから良いことにした。


純は子猫を撫でながら、優しい眼差しを向けていた。





「ご飯ですよ、クロ」


呼びかけると、にゃあと鳴きながら黒猫が現れる。

7年前は子猫だったが、シロが世話を焼いているため立派に育ち、毛並みの艶も良い。


7年前にこの猫にかすかに笑みを浮かべた少女は、あの後同じ瞳で自分を見てくれた。

そして、側にいることを許してくれた。


しかし白秋と呼ぶのは面倒だったのか、猫と自分を見比べたと思ったら、「シロでいいや」と結論付けた。

湊や弥生が面白がってそう呼ぶようになってしまったので、もう訂正もできなくなった。


しかしその呼び名は、新しい自分の居場所を示してくれているようで、すぐに大切なものになった。


自分には守りたい、全てを捧げたい主人ができた。

そして、自分を大切に思ってくれる人たちもできた。

血など繋がっていなくても、何よりも大切だと思える家族のような存在ができた。


あの時の自分に言っても、きっと信じてはもらえない。

あの頃の全てを諦めていた自分は、生きることに意味を見出していなかった。



「感傷に浸りながらクロにご飯をあげないでよ」


黒猫の後ろから、主人が現れる。


クロは主人の姿に気付くと、嬉しそうに駆け寄っている。


昔からご飯をあげているのはシロなのに、クロは純しか主人と認めない。

クロとは主人を取り合うライバル同士だった。



「ここに来た頃のことを思い出していました」

「シロが素を出してた時ね」

「お忘れください…」


10代だったとはいえ、年下の主人に対してかなり大人げないことをしていた。

口調も散々だった。

黒歴史なので忘れてほしいと言っているのに、誰も忘れてはくれない。



クロは純の肩に飛び乗ると、その黄色い瞳をシロに向ける。


「クロも忘れてないって」


純がわざわざ通訳してくれる。

それに苦笑いを浮かべた。


「クロのおかげもあってここにいますからね。頭が上がりません」


あの場にクロがいなければ、もしかしたら自分は今ここにいなかったかもしれないのだ。



「お嬢様は何故あの時、私が仕えることを許してくださったのですか?」


今までにも何度も尋ねた問いだが、いつも「クロが気に入ったから」という理由で片づけられていた。



純は、クロの毛並みをゆっくりと撫でている。


「…シロなら、いなくならないと思って」


純の薄茶色の瞳が、不安定に揺れる。


「いなくなる時も、一緒にいなくなってくれると思ったから」


シロは、命にかけても守ると言ってくれた。

どんな道を歩んでも、最後まで共に来てくれると。

それなら、純を置いていくことはないのではないかと思った。

共に歩んで、何かあれば、共に死んでくれると思った。


だから、側にいることを許した。



「…そうでしたか」


純は、7年前と比べるといろんなものを取り戻した。

それでも、歩む道は変わらない。

目的を果たすまで、純は歩み続ける。



「最後まで、お供しましょう」


シロの声に、純はシロを見る。

シロは、唯一の主に膝をつく。


「お嬢様の手となり、足となりましょう。剣となり、盾となりましょう。お嬢様がたとえどんな道を進んでも、最後までお供しましょう」


純は、こくりと頷く。


「最期まで、お嬢様をお守りします」


シロは、薄茶色の瞳に微笑みかける。


「私の命が尽きるまで。そして、お嬢様の命が尽きるまで」

「…うん」


純は、少し安心したように微笑む。



「命に代えても守る」とは、もう言えない。

シロが死ねば、純を置いていくことになる。

主を置いて、死ぬことなどできない。


『それでも…』


シロは、純に幸せになってほしい。

当たり前の幸せに笑って、泣いて、明るい未来を生きてほしい。


『だから…』


父のような最悪な未来は、描かない。




主と共に、幸せになる。


それが、純の執事として生きる「シロ」の描く未来だ。



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