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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第四章 それぞれの目的
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115 失ったもの④


「あーー!くそっ!」



次の日の早朝である。


何としても主人が起きる前より早く起こしに行こうと、前回より1時間早く寝室に行ったのに、すでにその姿はなかった。


すぐにダイニングに行くも姿はなく、屋敷中を探し回ったあげく朝食の時間にダイニングに戻ると、何事もないようにパンを食べている少女がいた。


『この…ガキ…っ』


もう表情を取り繕うことさえできず、額に青筋がいくつも浮き上がる。


女主人がそれを楽しそうに見ていたことにも、気付かなかった。




「純の執事、性格変わってないか?」

「さぁ」


翔平は、また純の家に遊びに来ていた。

珍しく鬼ごっこをやろうと言われたのでやってみると、どうやら鬼はあの執事らしい。

凄い形相で追ってくるので、今は木の上に隠れている。


「この前純を守れなかったから辞めたのかと思ってたけど、辞めなかったんだな」

「みたい」

「純のばあちゃん、何考えてるんだ?」

「さぁ」


翔平は昔から純の近くにいるおかげで、純の祖母がどれだけ凄い人なのかは分かっているつもりだ。

しかし純と同じで、何を考えているのか分からず、底の見えない人だった。



「ん?どうした?」


純が急にしたに降りたので自分も降りてみると、こちらに手を振っている人がいた。


「湊さん」


2人で駆け寄ると、楽しそうにしている。


「あの人と鬼ごっこしてるんだってな。俺もまぜて」

「いいよ」


純は常に無表情だが、兄の前ではその雰囲気が柔らかくなる。


『おれには、たまにしかしてくれないのに』


翔平はちょっと拗ねながらも、湊のことは尊敬しているのでこの人には勝てないと諦めた。

3人はどうやったら捕まらないかを話し合いながら、顔の怖い執事から逃げていった。




『疲れた…』


主人を探しているはずが、見つかったのは湊と翔平だけだった。



主人が夕食をとっている姿を見ると、またパンを食べている。


『パンが好きなのか?…いや、それより…』


今問題なのは、このくそ生意気な主人に勝つことである。


起こしに行っても姿はなく、散々探し回ったあげくダイニングに戻るとパンを食べている。

用事がある時には姿を見せないくせに、用事がない時にはそこら辺で本を読んでいる。

学校がある日でも、朝から1日中姿を見せないこともある。

それらを忠言しようとすると、逃げる。

追いかけても捕まえることができず、疲れ果てているところにひょっこり姿を現す。


『こんな…子供に振り回されるとは…』


8歳年下の少女、しかも主人相手に本気で勝つということに、何のためらいもなかった。

勝たなければ、自分の心が収まらない気がした。


『でも…』


走り回ってクシャクシャになった自分の執事服を見る。


『何で俺は、こんなことをしてるんだろう…』



『執事は、いつも冷静でなければいけないよ』

『仕事に私情を挟むのは、執事としては失格だよ』


懐かしい声を拒絶するように、ぐっと固く目を瞑る。


『そんなこと、分かってる…』



『仕えるに値する主人かどうかは、自分で決めることだよ。唯一の主人に全てをかけて仕えることが、私たちの幸せなのだから』


『じゃあ、何であんたは…』


ぐっと握りしめた拳が、何かを掴むことはない。


答えの返ってこない問いは、むなしく消えていった。




いくら日数が経っても主人に勝つことができず、なりふり構わず行動することに周りの人間も慣れてきたようだった。

他の使用人は特に関わってくることもなく、屋敷の中で味方に近いのは湊だけだった。


湊はたまに現れてはお菓子を置いていき、話しかければ嬉しそうに妹をべた褒めする。



今日もそんな調子で妹の凄いところを100個くらい並べていた。


『そういえば…』


ここに残ることが決まった時、この家のことは調べていた。

湊と自分の主人は6年前に両親を亡くしており、母方の祖母であるここの女主人に引き取られている。

その過去と、あの年齢に似つかわしくない表情の無さを見れば分かることはある。


「あなたの妹は、ご両親を亡くしたからあれだけ感情がないのですか」


それまで明るく話していた湊の表情が、陰る。


「…そう。父さんと母さん死んだばかりの頃は、人形みたいだった。喋らないし感情がないような、生きてるのに死んでるみたいだった。今みたいに人と喋るようになったのも、最近だよ」


その頃を思い出しているのか、悲しさをこらえるように拳を握っている。


「今でも、表情はあんまり変わらない。それに…6年前から、笑ったことも泣いたこともないんだ」


自分と少ししか年齢の違わない少年は、悲しそうな顔から無理やり笑みをつくる。


「だから、俺は純の分も笑うんだ。そうやって一緒にいれば、いつかまた笑ってくれるかもしれないから。俺は、お兄ちゃんだから」


湊は顔を上げて、優しい笑みを向ける。


「純は、大切な家族だから」



そう言われ、自分は何も言えなかった。


気が付けば、いつの間にか湊はいなくなっていた。

泣きそうな目をしているのに、精一杯笑っていた少年の顔が頭に残る。


「………」


自分は何も言えなかった。

何かを言える資格などなかった。


親を亡くしてそこまで心に傷ができるなど、自分には理解できない感情だった。

人の死を悲しむなど、いなくなった人間をずっと大切に思うことなど、自分にはできない。


あの少年が、女主人が、ここに仕える使用人たちが、互いに何も変えられないほどの想いで大切にしあっているということが分からない。


家族など、物語のように美しいものばかりではない。

血が繋がっていることさえ、憎む人間だっている。


『俺、みたいに…』




唯一の家族である父は、名家の優秀な執事だった。

そんな父に憧れ、同じ職を目指した。

一生仕えたいと思える人に誠心誠意仕えたいと、心に決めていた。


その夢のために誰よりも努力し、誰よりも自分に厳しくした。

その結果、自分は誰よりも優秀だった。


執事養成学校では、常に成績トップだった。

執事としての振る舞いも、心がけも、誰にも負けないと自負していた。


いつか誰かに必要とされ、その心に応えたいと夢願った。



2年前、父は仕えていた主人を殺して自分も死んだ。


理由は分からない。

ただその瞬間から、自分は殺人犯の息子になった。


成績がいくら優秀でも、居場所はなくなった。

家に仕えないかという声もかからなくなった。

たまに自分の素性を知らずに雇おうとして、分かった瞬間に追い出されたこともあった。


それで、分かった。

自分が何をしようと、無意味なこともあるのだと。

父が人を殺したという事実は、一生変えられない。

それがついて回る限り、自分が努力をしようが夢を持とうが意味のないことなのだ。


だから、全てを諦めた。

やっても意味のないことならば、やらなくても何も変わらない。



ここの女主人は、自分の過去を知っているようだった。

それなのにいつまでたっても追い出さないばかりか、大切な孫の側を任せる。

妹が大切だと笑う兄は、友人になれればいいと自分に言う。


自分には分からない。


家族を大切に思う気持ちなど。

人の死を慈しむ気持ちなど。

夢を追い続ける気持ちなど。


昔は確かに持っていたはずなのに、いつの間にかどこかに消えてしまっていた。



『俺、は…』


自分が手のひらに握っていたものは、知らないうちに落としてしまっていた。

今の自分の手のひらには、何もない。

どうやって拾ったらいいのかさえ、分からない。



しばらく何もない手のひらを見つめながら、その場から動けなかった。




何を考えるでもなく、でもその場にいたくなくて、どこかに逃げるようにただ歩みを進めた。


いつの間にか庭を歩いていたが、ここの庭は心を落ち着かせた。

人の気配はなく、俗世から切り離されたように静かだった。


風が木の葉を揺らす音と、遠くで鳥がさえずる音がする。



足下でゴソゴソと音がすると思って見ると、茂みから子猫が現れた。

真っ黒な毛並みの、主人が抱いていた黒猫だった。


手を差し出すと、トコトコと歩いてきて頬を寄せる。

人に慣れているらしい。


「お前の主人は、どんな人なんだ?俺には理解できない。理解することができれば、何かが変わるんだろうか。…俺が何を考えているのか、分かるんだろうか」


子猫はただ、自分に身を任せて撫でられている。


「本人に聞けば」


頭の上から、どこか面倒くさそうな声が降ってくる。

前回もそうだが、今回も全く気配に気付いていなかった。


声の主は木の上にいるようだが、そちらは見ないようにした。



「あなたは…なぜ、俺から逃げるんですか」

「会いたくないんでしょ」


「なぜ、帰れと言うんですか」

「帰りたいんでしょ」


「なぜ、俺を信頼しないんですか」

「信頼してないでしょ」


「…なぜ、守らせてくれないんですか」

「守りたいと思ってないでしょ」


自分の問いは、そのまま自分に答えとして返ってくる。

主人に対して理解できないと思っていたことは、全て自分の気持ちだった。


「……なぜ、俺が諦めてると分かったんですか」

「反対だから」


反射的に視線を上げると、目の前に無表情な少女が降りてきた。


「…反、対…」

「わたしは諦めてない」


「…俺だって、諦めたくて諦めたわけじゃない」

「でも諦めた」


「俺の意思じゃない」

「でも諦めた」


「俺のせいじゃない」

「でも諦めた」


「諦めたくなかった!」


かっと熱くなって、目の前が見えなくなる。


「仕方がないだろう!そうするしかなかった!父親のせいで未来を奪われた。居場所を奪われた。自分の感情を奪われた。どうすることもできなかった!」

「諦めない道はあった。見ないふりをした」

「何が分かる!親が死んだだけで居場所も未来もある人間に、俺の気持ちは分からない!」


口が勝手に喋り出す。

頭がガンガンと痛くて、思考がついてこない。


「家族に恵まれ、大切にされて、大切なものがあるあんたなんかに分かるはずがない!」

「わたしの大切なものは、うばわれた」


その静かな声に、自分がどれだけ大きな声を出していたのか気付いた。

感情のない瞳の奥に、炎のような揺らめきが見えた気がした。


「諦めてる人間には、何も変えられない」

「…どう、するっていうんだ……もしかしたら、今よりもっと失ってしまうかもしれないのに…」


自分が何かをすれば、考えれば、これ以上手のひらから落としてしまうかもしれない。

失ってしまうかもしれない。

それが恐ろしいのだと、今やっと分かった。



「失わないための力を持つ。そのためだったら、何を捨ててもいい」


少女はそう言うと、どこかに消えてしまった。


いつの間にか、黒猫も消えていた。



「そのためだったら、何を捨ててもいい…」


10歳の少女の言葉ではない。


自分はこれ以上失うことが恐ろしくて全てを諦めたのに、あの少女はこれ以上失わないために全てを捨てでも、今持っているものを守るつもりなのだ。


「そのために…感情も捨てたっていうのか」


笑うことも、悲しむことも、幸せになることも捨てているような瞳だった。

全ては、大切なものを失わないために。

1人で、誰にも頼らずに。



「そんなのは……まち、がってる…」



自分とは全く似てないと思った。

でも実はよく似ていた。

だけど、正反対だった。



自分は臆病だった。

少女は戦っていた。


自分は足を止めていた。

少女は迷わず進んでいた。


自分は恐ろしかった。

少女は、それすら捨てていた。



「そんなのは…間違ってる…」



その声は、誰にも届かなかった。



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