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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第四章 それぞれの目的
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109 何のために③


「さすがに、無理がたたったみたいだの」


老人は、木にもたれかかってぐったりとしている翔平の脈や呼吸を確かめる。

体の疲労が極限に達したようで、ぐったりと泥のように眠っている。


「ここまで諦めずに挑んでくる人間はなかなかいない」


毎回絶対に敵わない相手に体も心も打ちのめされているのに、心を折られることなく諦めない。

それは、想いの強さを表しているようでもある。



老人がふっと微笑むと、背後で不機嫌な空気が増した気がした。


「儂が友人を痛めつけているのが不満かい?」

「あなたが翔平を気に入っているのが気に食わないんです」


純は、老人を睨みつける。


「ギリギリまで追い込んでいじめるのは、気に入っている証拠でしょう」

「いじめておらんわい」

「どこがですか。毎回楽しそうにどう痛めつけようか考えてるくせに」

「うーむ。儂に挑んでくる人間は久しぶりだからな。確かに少し楽しんでしまった」


眠っている翔平を睨みつけるようにして見下ろしている純に、老人はため息をつく。


「お前がこの少年の、強くなりたいという想いを否定することはできんよ。お前にその権利はない」

「別に。どうでもいいです」

『やれやれ』


純の表情は、言葉と矛盾しているように見える。

無表情ながらもその中に明らかないらつきと、複雑な感情が混ざり合っている。


老人は純との付き合いがそれなりに長いので、少ない表情の変化からある程度の感情を読み取ることができる。


『これでも、だいぶ分かりやすくなったがの』


出会った頃と比べれば、だいぶ楽である。



老人は、意識のない翔平の上半身を持つように腕を首に回す。

そして、いまだに不機嫌そうにしている純に眉を寄せた。


「こら、手伝わんかい」

「そのくらいの重さ、1人で持てるでしょう」

「持てるが、儂の体格じゃ引きずる。可哀想だろう」


純は顔をしかめたまま翔平を見ると、ため息をついた。


翔平の足を持つと、老人と息を合わせて持ち上げる。

180センチメートル超えの長身は、老人と少女によって軽々と持ち上げられる。



2人で翔平を抱えて道場の中に入ると、畳の上に布団を敷いて寝かせる。

運んでいる最中も起きることはなく、横に寝かせると落ち着いた呼吸が聞こえてくる。


道場の表は廃れていて人が住んでいるとは思えないような外観だが、奥の方は台所や和室もあり、それなりに生活感がある。



純と老人は縁側に座り、裏庭を眺めた。

色とりどりの花はないものの、緑生い茂る手入れされた庭である。


老人は、この少年がここに初めて来た時の言葉を思い出す。


『守りたい人がいるからです』


老人には、それが誰であるか察しがついていた。

龍谷翔平という名前は、何度か聞いたことがある名前である。


「少年が言っていた守りたい人というのは、お前のことだね」

「………」


この沈黙は、肯定だろう。


『純を守りたい、か』


老人は、純がどれだけ強いかよく知っている。

純は、誰にも負けないくらい強い。

ただ筋力が強いというだけではなく、相手の力を相殺することやいなすことに長けている。


そして純の戦い方は、基本的に急所を狙った一撃必殺である。

最小限の力で最大限のダメージを与えることで反撃を許さず、体格で劣る男にも負けないのである。


『まぁ、簡単に言えば天才だからという一言に尽きるがな』


普通の女子が同じことをやっても、ここまで強くはならない。

純だから得られた強さなのだ。



その天才少女は、隣でまだ不機嫌そうに煎餅をバリバリと食べている。


「お前が初めてここに来たのは、いくつの時だったかね」


純は煎餅を食べるのをやめると、色の無い瞳でどこかを見つめた。


「6歳です」

「…そうか。あれから、もう11年も経ったのか」


老人は、11年前のあの日に思いをはせた。




『おや、久々の来客だね』


白髪にまだ少しの黒髪が残った老人は、嬉しそうに笑みを浮かべた。


老人がいるこの道場は、人々に忘れられた場所である。

弟子をとることもなく、老人はただ1人でこの道場に居る。

そして時々、自分がわざと流した噂を信じてやってくる剛の者を相手にすることを数少ない楽しみにしているのだ。


しかしそんな数少ない来訪者も、老人にこてんぱんにされるとその後二度とここに来ることはない。

老人との歴然の差を知って、諦めるのだ。



今日の来訪者はどうかとあまり期待をせずに表に向かうと、その人物の気配が読みづらいことに気付いた。

老人は人の気配からある程度の情報を読み取れるのだが、今回の来訪者は年齢、性別、体格、正確な場所すらつかめない。


それは、老人にとって初めてのことだった。

そしてその事実は、老人の心を昂らせるには十分だった。



いつも通り木々に身を隠しながら来訪者に近付き、相手の姿を確認することなく背後から攻撃を仕掛ける。


『なっ!?』


しかしすぐに、自分が蹴ろうとしている相手が年端もいかない幼い子供であることに気付いた。


蹴りを止めるのは間に合わず、幼い子供に怪我をさせることに自分を激しく責めた時だった。

子供は身軽に振り返ると、腕でガードしながら衝撃を吸収するために自ら後ろに跳んだ。


その一瞬の後に老人の脚は子供の腕に当たり、幼い体躯は後ろに吹っ飛ぶ。

しかし、衝撃を上手く吸収したらしく体勢を崩すことはなかった。


『な……』


老人は、今起きたことをすぐには受け入れられなかった。

幼い子供がここにいる現状も、その子供が自分の襲撃に気付いたことも、死角からの蹴りを防がれたことも、信じがたい事実だった。



老人が呆けている間にも子供はこちらに向かって走り出し、お返しのような飛び蹴りは老人の頭を狙っている。

反射的にそれを腕で防ぐも、子供は攻撃の手を休めることなく、急所を的確に狙ってくる。


老人はやっと今起きている事実を受け止めると、みぞおちを狙ってきた小さな拳をそのまま掴んで離さなかった。

どれだけ強くても、所詮は子供である。

老人が敵わない相手ではない。



ようやく落ち着いて目の前の子供を見て、初めて少女であることに気付いた。

背中ほどまである長髪に、小学1年生くらいの体格の普通の少女である。

ただ表情だけは、心が抜けたような、ゾッとするくらい無表情だった。

まるで作りもののような、よくできた人形がそこに立っているような不気味さを背中に感じる。


少女が拳を引き抜こうとしても、老人はそれを離さなかった。


「何の用かね」


老人の静かな問いに、少女はそのまま動かずに老人をじっと見つめ返した。

少女は何も言わず、2人の間には長い沈黙が続く。

その間ずっと、何の感情も感じられない薄茶色の瞳から、老人は目を離さなかった。


やがて少女は、ゆっくりと小さな口を開く。


「おしえて」


『……儂に武術を教えてほしいということか?』


少女がここを訪れたという事実からは、そうとしか考えられない。


「何のために」


老人は、ここを訪れた者に必ず聞く問いを少女にも投げた。


『!』


少女の瞳が、闇に包まれる。


背中に鳥肌が立つほどの、子供らしからぬどろどろとした闇だった。

闇の奥には、初めて感情らしきものが渦巻いているのが見える。


老人は、すぐにそれが問いの答えになっていることが分かった。

今までにここを訪れた者たちの中にも、何人かこんな瞳をする者がいたのだ。



「――――」


小さな口から発せられた言葉には、強い意志が感じられた。

少女の闇に包まれた瞳は、目の前の老人ではないところを見ていた。

自分に向けられているわけではないのに、恐怖を覚えるほどの闇だった。


『…こんな子供が、そのために力を求めるか』


感情を全て落としてしまったような無表情に、闇に包まれた瞳。

この幼い少女に何があったのかは分からないが、容易に想像できてしまうことが悲しい。



「…帰りなさい。子供に教えることはない」


老人が少女の拳を離すと、少女はそのまま腕を下ろす。

しかし、少しも帰る様子を見せない。


老人が道場の中に戻る時も、その後ろ姿をじっと見つめるだけだった。

老人はその視線を背中に受けながらも、それを無視した。


これで、ここにはもう来ないだろうと思った。



しかし老人の予想は、見事に外れたのだった。



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