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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第四章 それぞれの目的
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106 大切なもの⑤


ガシャンッ!


大きな音をたてて、床に落ちた鉢植えは割れる。

音に驚いた生徒たちから、悲鳴が上がる。


鉢植えが落ちた傍に、何故か純を含めた4人が倒れ込んでいた。



「…急に突っ込んでこないで」


純は起き上がると、不機嫌そうにその3人を見る。

晴と皐月、凪月の3人は、純の視線にバツが悪そうにしている。


「わたしなら大丈夫」

「それは分かってたんだけど…」


3人は顔を見合わせると、心を決めたように頷く。


「純。この前は、何も言えなくてごめんね。おれ…正直に言うと、純のことが恐かった。あの時の純が恐くて、何も言えなかった」

「僕も。せっかく助けてくれたのに、ありがとうも言えなかった」

「それにあれ以来、純とどうやって接したらいいのか分かんなくて…」


3人は、互いの目を見合う。


「僕ら、どうすればいいのか分かんなかった」


ナイフを振り下ろした純を見て、恐ろしかった。

怒りで誰かを傷付けようとする純の心が、理解できなかった。



「でも、確かなことは1個あったんだ」


皐月は、純に笑いかける。


「あの時、僕らを、みんなを助けてくれてありがとう」

「純のおかげで、僕らは誰も怪我することなかった。本当に、ありがとう」

「おれたちを守ってくれて、ありがとう」


3人からの感謝の言葉に、純は眉をしかめる。


「わたしは別に、そんなつもりじゃない」


純はただ、大切な家族である湊を守っていただけだ。



「うん。もしかしたらそうかなーって気付いてたよ」


純が、家族を大切にしていること。

純が大切にしているものの中に、自分たちは含まれていないこと。


皐月たちは、うっすらと気付いていた。

でも、あまり気にしなかった。


大切なものが違うのは、人それぞれだ。

皐月たちにとって「大切」という気持ちは、別に一方通行でもいい。



「純がおれたちを守るつもりじゃなくても、おれたちが守られたのは事実だから」

「だから、つい体が動いちゃって」


凪月は、少し気まずそうに苦笑いを浮かべる。


「純なら大丈夫って分かってたんだけど、体が勝手に動いちゃったんだよね」

「ずっと、何かお礼ができないかと思ってたんだけど、失敗しちゃった」

「純がおれたちを引っ張ってくれなかったら、3人で鉢植えの下敷きになってたよ。助けてくれて、ありがとう」


そう言って微笑む3人に、純はどこか理解できない目を向けている。

それを察したのか、皐月は言葉を添える。


「僕ら、純のこと大切だよ。友達として、仲間として」

「もっと、仲良くなれたらいいなって思うよ」


「…わたしは、家族しか大切じゃない」

「うん。それでいいよ」


純の心が家族にしか向いていないのは、湊や弥生に向ける表情を見れば分かる。

それでも、皐月たちの気持ちは変わらない。


「純が僕らのこと大切じゃなくても、僕らは純のこと大切だから」

「僕らのこと、大切にしなくてもいいよ。勝手に大切に思ってるから」


皐月と凪月は、へにゃりと笑う。


「「僕ら、わがままなんだ」」

「うん。そうだね」


晴も、同意したように微笑む。



「………」


純はそのまま何も言わずに立っていたが、ふいっと背中を向けるとそのまま立ち去ってしまった。


「怒らせちゃったかな…」


「大丈夫だ」


不安そうにしている晴を安心させるように、その肩を叩く。

翔平は少し呆れながら、純が去っていった方を見た。


「あいつは、周りの人間は自分を恐れるのが当たり前だと思ってるからな。昔から、純から離れていく人間の方が圧倒的に多かった。そのせいか、自分に近付いてくる人間のことが理解できないらしい」

「私がお友達になってと言った時も、不思議そうにしていたもの」

「それに、今回3人が自分を助けようとしたことに驚いたんだろ。あれは逃げただけだ」


純にしては珍しい行動だった。

それほど、今回のことに戸惑ったのだろう。


「怒ったんじゃないなら、良かった」

「僕ら、余計なことしちゃったからねー」

「怒らせたんじゃないかと思ったよー」


3人は、純がいなくなった理由を聞いて安心している。

翔平は、そんな3人の姿にほっと安心する。



「俺が言うのもおかしいとは思うんだが…」


翔平は、一応前置きをしておく。


「純のことを理解しようとしてくれて、ありがとう。大切だと言ってくれて、ありがとう」


純にそういう言葉を向けるのは、純の家族以外だと今まで翔平と雫石だけだった。


「あいつは、人に理解されにくい。理解されようとも思っていない。家族以外への興味関心も薄い」


それでも、翔平は知っている。

ずっと、11年前から、隣で見てきたから。


「…それでも、悪いやつじゃ、ないんだ」


翔平の声は、静かで、どこか哀しい声だった。



雫石も、微笑みながら頷く。


「純は、私の大切な友人だから。みんなが純のことを思ってくれて、嬉しいわ」


ずっと、純にはもっと友人ができてほしいと思っていた。

家族しか大切に思わない純に、家族以外にも大切なものをつくってほしかった。

そうしなければ、純がいつか独りになってしまう気がして。

その憂いは、今日少しだけ晴れた。



「純は、僕らのこと友達って思ってくれるかな」


少し不安そうに、凪月が尋ねる。


「僕と皐月は、今までずっと2人でいたから。友達って、あんまりいなくて。よく分かんないんだ」

「僕らは、お互いがいればそれで良かったから」

「おれも、友達ってあんまりいなかった」


自分たちしか信じることができなかった皐月と凪月、容姿と才能のせいで孤独だった晴にとっても、純に思いを伝えるのは勇気のいることだったのだろう。


翔平と雫石は互いの目を見合って、くすりと笑いあう。


「私たちから見ていて、みんなは友人そのものだったわ」

「純も、楽しそうにしてたからな」

「「…そっかぁ」」

「良かった」


3人はほっと安心すると、互いを見て笑いあった。



「そういえば、鉢植えを落とした犯人は?」


床にバラバラに砕け散った鉢植えを見て、皐月が思い出す。


「俺が捕まえておいた。大丈夫だ」


どうやら鉢植えが落とされた瞬間に、柱をつたって2階席に登り、犯人を取り押さえたらしい。


「詳しい話は、つぼみの部屋に帰ってからするか」

「それじゃあ、お菓子はまた今度にしましょう」


雫石の提案に、晴も頷く。


「純がいる時に、また来ようね」

「そうしよう~」

「みんなで食べた方が、おいしいもんね~」


当たり前にそう言ってくれる言葉が、とてもあたたかった。




暗くなった寝室で、ベッドに横たわっている人物は眠っている。

深く眠っているわけではなく、うつらうつらと浅い眠りの中を微睡んでいる。

それでも、これだけ近くに人がいるのに眠っていることは珍しい。


このまま側にいてやりたいが、そうするといつまで経ってもちゃんと眠ることができないだろう。


服の裾を掴んでいる手をゆっくりと離すと、ぴくりと眉が動く。

しかし目を開けることなく、規則的に少し浅い吐息が続く。


暗い部屋でも分かるほど顔色は悪く、目の下にはクマができている。

呼吸も浅く、辛そうに顔をしかめている。


最近、ずっと眠れていないことは知っている。

少し眠っては、雨の夢を見て起きるらしい。


湊の妹は、体の不調を隠すのがかなり上手い。

どれだけ高熱でも、寝不足でも、それを全く表に出さない。

だから、友人たちは気付いていないだろう。

兄の前だから、こうやって体の不調が表に出てきているのだ。


湊はできるだけ気配を消してベッドから離れると、音をたてることなく部屋から出た。



廊下をしばらく歩き、リビングに着くとやっと肩の力を抜く。


「純の様子は、どう?」


リビングにいた弥生は、湊に紅茶を勧める。

湊は少し疲れたように、ソファーに座った。


「少しは眠れると思う」


純は、近くに人の気配があると眠れない。

しかし昔は、湊だけ例外だった。

湊が側にいる時だけ、純は安心して眠っていたのだ。


しかしそれも、年々厳しくなっていった。

純の警戒心が強まるにつれ、湊が側にいても眠れないようになった。


今日のように、眠りに落ちるギリギリまで側にいたのは久しぶりだった。

それだけ、純の心が危ういことを示していた。



「雨にあたって、記憶がないことは聞いたよ」


眠りに落ちるまでの間、純は最近起きたことをぽつりぽつりと話してくれた。


「…命日だったの。純は毎年、1人で行きたがるから」


あの雨の日、純は両親の墓参りに行っていたのだ。

湊がフランスに行ってから、純は毎年1人で命日に墓参りに行っている。

誰にも行き先を教えず、1日中姿を消す。

そして夕方に墓参りをして帰ってくるのが、ここ数年決まったことだった。


「俺が、命日に帰って来られればいいんだけど…」


弥生は、優しく首を横に振る。


「あまり、あの人たちに行動を知られるのはよくないわ」


湊がいることを知れば、あの男は迷わず湊を狙ってくる。

今回のように。


「…まだ、純のことを狙ってるんだね」


執拗に。執着深く。見境なく。

周りがどうなろうと構わないと、暴力的に。


「諦めが悪いにもほどがあるわ」


ティーカップを持つ手に、力が入る。


「今回のあぶり出しは、うまくいって良かったよ」

「VERTの近くに久遠と通じている人間は、いらないわ」


あの観客の男は、久遠がつぼみを狙っていると思って情報を渡した。

しかし、久遠が狙っているのは純1人。



「つぼみの子には、悪いことをしたかな」


湊があの空き地に現れたのは、久遠の狙いを紛らわせるためだった。


久遠は、明らかに純だけを狙うだろう。

しかし近くに湊がいると、純の行動を制限するために湊も狙う。

狙いを分散させた方が、こちらとしては都合が良い。


「つぼみの子たちは、いつ気付くかな」


湊は少し微笑んで、紅茶を一口飲む。


「理事長に、私情で動かされていることに」


弥生は、穏やかに微笑む。


「気付いても気付かなくても、何も変わらないでしょう。今はまだ」


最後の一言に、祖母が今代のつぼみに目をかけているのが分かる。



VERTのショーにつぼみを呼んだのは、純を狙う久遠の手先をあぶり出すため。

純が狙われている事実を隠すために、つぼみが狙われている事実にすり替えた。


全ては、大切な孫のため。


弥生にとっては、会社よりも、学園よりも、家族が大切なのだ。



湊はふと、眠る前に純が言っていたことを思い出す。


「つぼみの子たちに、大切だって、言われたらしいよ」


弥生は少し驚いたように眉を上げると、静かにティーカップを置く。


「純は、何か言っていた?」

「わたしの大切なものは、家族だけって」

「…そう」


どこまでも変わらない純の意思に、涙がこぼれ落ちそうになる。



両親を失ってから、純の大切なものは家族だけだ。


相手を理解しようとせず、一線を引き続ける。

近付けば、拒絶する。

離れれば、追いかけない。

嫌われても、心は傷付かない。

失っても、心は痛まない。



湊は、頬に返り血を付けたままどこかを睨みつけていた妹の横顔を思い返す。


「純はきっと、止まらない」


目的を成し遂げるまで。

きっと、全てを置いていく。

それが、純にとっての生きる意味となってしまったから。



「明日、フランスに帰るよ」


日本に帰ってきた目的は、すでに達成した。

日本に長居すると、あまりよくない。

湊は、妹の足かせになるつもりはない。

それに、湊にはフランスでやらなければならないことがある。


「…あなたが、そこまでしなくてもいいのよ」


弥生は少し、控えめに言葉をかける。

湊がやっていることについて言っているのだろう。


湊を思っての言葉に、湊は首を横に振る。


「俺が、好きでやってるから」


それに、と湊は続ける。


「俺は、純のお兄ちゃんだから」


弥生は、少し哀しげに目を伏せる。


「そうね」


結局、3人とも似た者同士なのだ。



家族が一番大切で、目的のためなら手段を選ばない。


それがたとえ、どんな手段でも。



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