104 大切なもの③
「誰か来たな」
翔平の一言に、その場に緊張感が走った。
しかしその足音と気配が近付いてきて、翔平はあることに気付く。
「湊さん…?」
「あれ?みんな、こんなところで何してるんだ?」
空き地に現れたのは、湊だった。
「…湊さんこそ、どうしてここに?」
「みんなを探してたんだよ。帰りに、甘いものでも食べて帰らないかと思って」
「お気持ちは嬉しいのですけれど…」
つぼみが狙われている今、湊がこの場にいるのは危険である。
しかし良い言い訳が思いつかないうちに、純のまとう空気にピリッと敵意が混じる。
「…来たか」
空き地の前をふさぐように、黒い車が数台止まる。
車から降りてきたのは、明らかに素人ではないような雰囲気を身にまとった男たちだった。
本当に来るか半信半疑だったものの、蓋を開けてみれば襲撃者は30人以上という大所帯である。
『多すぎないか…?』
翔平は多少の疑問を抱きつつも、純と共に臨戦態勢に入る。
多少は情報が欲しい翔平だったが、男たちはすぐに襲いかかってきた。
「優希たちは、後ろにいろ」
これでは、情報を得ることもできない。
すぐに翔平と純は、男たちに反撃していった。
翔平は男たちを投げ飛ばしたり蹴飛ばしたりしながら、急所を避けつつも起き上がって来れないように攻撃する。
人数が多いので、人数を減らすように攻撃する場所を狙っていく。
ちらりと純に視線を向けると、翔平よりも速いスピードで男たちを次々と倒していっている。
翔平とは違って急所を狙っているものの、手加減しているのか倒れた男たちはちゃんと息をしている。
しかしどことなく、いつもより無表情で何を考えているのか分からない瞳をしていた。
後ろから聞こえる「バシュッ」とか「シュー」という音を聞く限り、皐月と凪月も自作の防犯グッズで応戦しているらしい。
残りの敵が、10人ほどになった時だった。
純と翔平の守りをかいくぐった男が1人、雫石に向かって走っていった。
その手には、ナイフを持っている。
「「雫石!」」
皐月と凪月の焦った声が、空き地に響く。
しかしその男が雫石のもとへたどり着く前に、ふわっと体が浮くとダンッと地面に叩きつけられる。
「大丈夫?」
ナイフを持った男を倒したのは、湊だった。
「はい。大丈夫です」
「湊さん、強いんですね…」
「純と翔平には敵わないよ」
そう言って微笑みながら、男を地面に敷いて関節で固めている。
ほっと安心したところで、翔平の声が響いた。
「湊さん!」
純と翔平が戦っている男たちとは別の方向から、湊に向けて何かを振りかざしている人影があった。
湊はナイフを持った男を押さえており、身動きができない。
近くにいる雫石と晴は何も反応できないまま、ぶんっと何かが投げつけられる。
「「湊さん!」」
悲鳴に近い声が重なる。
土埃が舞い、風が動く。
投げつけられたものは、湊に当たらなかった。
湊を守るように立った、純の手に握られている。
『よかった…』
ほっと安心したのもつかの間、翔平は純の瞳を見て背筋に冷や汗が流れる。
純の瞳は薄茶色のはずなのに、真っ黒い闇に覆われていた。
顔から表情が欠落し、ただ真っすぐに湊を狙った人間を見ている。
『まずい』
あれは、怒りを覚えている時の純だ。
ああいう時の純は、いつもだったらしている手加減をしない。
純が手加減をしないということは、相手の命が危うい。
「純!」
翔平の制止も聞こえていないのか、純は湊を狙った相手に向かって猛スピードで走る。
それに気づいた男が逃げようと背中を向けて走ったが、純には関係なかった。
瞬く間に男に追いつき、その背中を勢いのままに蹴飛ばす。
地面に勢いよく転がった男は、唇を切ったのか口から血を流している。
その男の胸ぐらを掴むと、純は容赦なく男の顔を殴った。
純の頬に、赤い血が付く。
しかし純は、返り血が付いたことすら気付いていないようだった。
痛みに呻く男の胸に膝を乗せて動けないようにすると、じっと男を見つめる。
その手には、ナイフが握られていた。
その男が湊に投げたものだった。
「純!」
翔平は、何とか純のもとへ行こうと走る。
しかしそれを防ぐように、残党たちが翔平に襲いかかる。
「邪魔だ!」
それらを、力任せに蹴り飛ばす。
純を見れば、ゆっくりと右手を振り上げていた。
「純!やめろ!」
純に、そんなことをしてほしくない。
その先を、見たくはない。
『間に合わないっ…』
この距離では、純を止めることができない。
翔平が唇を噛んだ時、純はナイフを持った手を振り下ろした。
しかし、ナイフが男に届くことはなかった。
ナイフを持って振り上げた純の右手を、湊が掴んでいた。
「もういいよ。純」
湊が優しく声をかけると、純の頭がゆっくりと動き、薄茶色の瞳が湊を映す。
「俺は大丈夫。だから、もういいよ」
湊はこの状況に相応しくないほど、柔らかく微笑む。
「………」
少しすると、純は簡単にナイフを手放した。
『よかった…』
翔平は、深く息を吐いた。
あのままだと、純はナイフを持った手を振り下ろしていただろう。
その男がどうなるかなんて、想像するまでもない。
そうならずに済んで、心の底から安心した。
周りを確認すると、残った数人は護衛たちで倒したようで、周囲の安全確認も済んでいるという声が聞こえる。
純に駆け寄ると、純は真っ暗な闇のような瞳をしていた。
そこに感情はなく、底のない闇のような恐怖を感じる。
ここではないどこかを見ているようで、ここにいるのにいないような、どこか存在感が薄い。
それでいて、肌にピリピリと刺すような冷たい殺気をまとっている。
「…純」
翔平の声が聞こえて、純はこの場に翔平がいたことを思い出した。
つぼみ全員で、囮になっていたのだった。
ようやくそこで、つぼみのメンバーもいたことを思い出す。
他の4人がいる方に視線を向けると、雫石以外の3人は同じ目をしていた。
今起こったことが信じられないような、理解できない化け物を見たかのような、恐怖の感情を浮かべている。
『またこの目か』
純にとって、それは慣れたものだった。
純のこういった人並み外れた一面を見ると、大体の人間はこの目で純を見て、恐怖を抱いて離れていく。
信じられない、理解できないという目を純に向ける。
今まで離れなかったのは、翔平と雫石だけだ。
しかし純にとって、それらはどうでもいいことだった。
自分を恐れて離れようが、化け物扱いされようが、純にとって興味はない。
純はただ、自分の譲れないもののために行動しているだけだ。
それらを人に理解してほしいとは、露ほども思わない。
「お兄ちゃん」
「うん。どうした?」
この場で、湊だけがいつも通りだった。
さっきまで危ない目にあっていたとは思えないほどに優しい微笑みには余裕があり、妹を見る瞳は柔らかい。
「わたし、先に帰る」
「分かった。俺も晩ご飯までには帰るよ」
「うん」
純の表情が、ほんの少しだけ和らぐ。
「あ、ちょっと待って」
純が歩き出そうとした時、湊が思い出したかのように純を止める。
湊はハンカチを取り出すと、純の頬に付いた返り血を拭いた。
「これで大丈夫」
湊の満足げな笑みを見て、純は少しだけ微笑みを返す。
「シロ」
純がそう呼ぶと、どこからともなく黒髪の若い執事が現れた。
「帰る」
「かしこまりました」
その執事は湊に一礼すると、純と共にその場から去っていった。
最後まで、純はつぼみのメンバーに目を向けることはなかった。
純がいなくなると、その場が硬い空気で包まれる。
誰も何も言葉を発せない中で最初に口を開いたのは、湊だった。
「この人たちは、理事長が回収するだろうから大丈夫だよ。指示した人間も、理事長が抑えているだろうから」
湊の言葉で、自分たちはつぼみを狙う人物をあぶり出すための餌としてこの場にいたことを思い出した。
さっきまで、まるで夢を見ているようだった。
現実とはかけ離れた、どこか信じたくない、夢だったらいいと思うような光景だった。
しかし周りに倒れている男たちを見ると、改めて現実だったと思い知らされる。
呆然としている皐月たちに、湊はにっこりと微笑む。
「恐かった?」
「え……?」
湊の問いの意味が分からず、晴は戸惑う。
この状況について聞いている当たり前の問いのようなのに、違う意味も含んでいる気がする。
その戸惑いに気付いたのか、湊は変わらず微笑みながらもう一度問う。
「純のこと、恐かった?」
「それは……」
晴と皐月、凪月は互いの顔を見合う。
本当の気持ちを言っていいのか、ためらわれる。
今まで、純に対して恐怖を覚えたことがなかったわけではない。
理解できない行動、底の見えない才能、容赦のない言葉。
それらに、恐怖を覚えなかったわけではない。
それでも、いたずらっぽく笑ったり、つぼみの仕事を面倒くさそうにしている純を見て、自分たちと同じだと思いたかった。
優しいところもあって、厳しいことを言っていても決して一線は超えない。
そんな希望は、呆気なく壊れた。
純が迷うことなく、ナイフを振り下ろした瞬間に。
湊は固まって動かなくなってしまった3人に視線を向けてから、その後ろにいる雫石を安心させるように頭をポンポンと撫でた。
「純は、目の前で人が傷付くのが嫌なんだ。翔平と雫石は知ってるよね」
2人は、何も言わずに頷く。
「それはね、両親を目の前で亡くしたからなんだ。それ以来、自分の目の届く場所で誰かを傷付けようとする人間には容赦しない」
もう、目の前で誰かをなくすのは嫌だから。
なくすくらいなら、相手の命を奪ってもいいと思うほどの怒りを抱いている。
湊は。大切な妹の、真っ暗な闇に包まれた瞳を思い返す。
「兄として、これだけは言っておくよ。純は、結果的にみんなを守った。目の前で誰かが傷付くのを見たくなくて、自分から危険に向かっていった」
湊は、優しい笑みに少しだけ影を落とす。
「それだけは、分かってあげてほしいかな」




