第4話 星空の果て
『成功させたい』
川村はそう言った。
誰もが楽しみ、笑っているために。
あの、ふにゃふにゃした覇気のない顔で言った。
確かに、やる気があまり感じられない笑顔だったが、佐々木にはわかった。
誰よりも今度の文化祭を成功させたいと思っているのは川村だと。
「はじめてこの新生生徒会でやる文化祭だから凝ったものにしたいよね」
会長川村は奇抜なアイディアを出した。
文化祭で花火にキャンプファイヤー。門前に巨大なオブジェ。
あの有名人を呼ぼうだとか、無茶なことも多々あった。
しかし、それに反発したのは佐々木だった。
「前のやり方も参考にしたほうがいい。毎年やってることだってあるだろう。そういうのだって大事だ!だいたい、そんな大掛かりなことできるわけないだろう。わかって言ってるならお前は大馬鹿だ!」
「できるできはないは別にしてアイディアを出すことは大事だろう!」
「できないことを話しているならできることを計画して、着実に進めていったほうが効率的だろう!」
ぱんぱん、と手を叩く音がした。
「はいはい。何度目のケンカ? いい加減僕も飽きてきたよ。川村くん、文化祭まで日がない。佐々木くんが焦るのもわかるでしょう? 佐々木くんも焦りすぎだよ。余裕がないと失敗をする原因になるし」
そこにいたのは佐々木と同じ副会長だった。会長は一人だが、副会長は二人いる。
もう一人の副会長の名を宮城鎌平といった。学年は二年生で佐々木と川村と同じだ。
「今の全ての発言を記録すべきですか?」
書記の安田のり子は天然系なのか、ただぼんやりしているだけなのか、的外れな発言をした。
彼女は一年生だ。
「んで、一時間話合って何が決まったわけ?」
会計の阿部数馬がため息をついた。彼も一年生だった。
「何も決まってないね。ほとんどが川村くんと佐々木くんの言い合いだったからね」
決して人に感ずかせはしないが、副会長の宮城はポーカーフェイスだった。ほとんど表情を崩さない。自分の感情を表に出すことをしない。だが、愛想がないわけではない。逆に相手に不快感を与えることは一切しない。
「何も決まらないという事実よりも、一時間も言い合っているほうがすごいと思います。会長と佐々木副会長はよほど仲がいいのですね」
嫌味にもとれる内容を嫌味にならない言い方ができるのはこの子安田のり子のいいところ……なのかもしれない。
「つーか、すげぇ疲れたんですけど。今日はもう帰っていいですか~?」
「ふざけるな」
佐々木は最近、自分の本性をあまり隠さなくなった。だから、川村との言い争いもあったのだ。
生徒会では本性を出しているが、他の場面では佐々木は優等生の仮面を被ったままだが。
生徒会での佐々木の暴君ぶりは内密事項だ。
特にこの一年生阿部には容赦がない。頭に空手チョップを見舞う。
「暴力反対! それでも先輩かよ?!」
「教育には時に物理的制裁も必要だ」
つまりは、たるんだ阿部の頭をを引き締めるには、多少衝撃が必要だということだ。
「そんなチョップ受けたら余計馬鹿になる!」
「大丈夫ですよ。阿部くんはもう充分馬鹿ですから」
宮城が邪気のない笑顔で言った言葉は阿部に突き刺さる。
「そうですよ~。二階から落ちて無事なんて阿部くんじゃなかったら考えられませんよ」
全く関係のないことを安田が言う。
「カジュマって二階から落ちて無事だったの?」
川村は阿部のことを『カジュマ』と呼ぶ。名前が数馬で子供だからカジュマだ、という理屈らしい。つまりは精神年齢が低いということだ。
「そんな昔のこと忘れた」
「昔じゃないですよ。昨日の話ですから。のり子にとっては大衝撃でした。よく生きてましたね」
安田が自分のことを名前で呼ぶ時点で何かが終わっていそうだが、それはあまり深く追求しないでおこう。
「馬鹿は死んでも治らないっていうのは本当だったんだな」
「死んでないし!」
佐々木に無謀にも立ち向かうのは阿部ぐらいだろう。
「ほう、その性根叩きなおしてやろうか?」
チョップの準備をしている佐々木だった。
「えっ遠慮しておきます!」
手加減はしているとはいえ、佐々木は空手を習っている。そのチョップの威力は計り知れない。文句なしに痛い。
「今回の文化祭のテーマ『星空』にしないか?」
川村が突然そんなことを言い出した。
「アンケートをとって、それがテーマでいいかとか、他に希望のテーマがないか全生徒に聞くことからはじめよう」
それが決まると実行しするのは早かった。
さっきまでのまとまりのなさが嘘のように。
田村麻比呂こと通称麿は教室で机に座っていた。手には扇子が当たり前のように握られている。季節はもう秋も終わるというのにだ。基本的には風を送るという行為しかしない。夏しか用途がないだろう。しかし、扇子を持ち続けている理由……似合うからだそうだ。
放課後の教室は夕日色に染まっていた。
彼はたそがれているのだ。
まるで腑抜けのように。
麿はまだ悩みの中にいた。
学校などの人が数多くいる集団を楽しませるための企画を立てるのは彼の得意とするところだが、恋の悩みというのは行事などの企画ほど簡単にはいかない。
ましては相手は氷の女王と呼ばれるような冷徹で表情の変化があまりなく人の心を理解できないところがある少女のような純粋な心を持った子だ。
その少女のような心を持った子供にどうやって恋という感情を教えていいか……彼には想像ができなかった。
生徒会長という立場上、どんなに皆を納得させる話ができても、たった一人を納得させられなければ意味がない。
彼の手の中にあったのは生徒会の文化祭に対するアンケートだった。
そこには、会長、川村昇の挙げたテーマが記されていた。
「会長自ら挙げる『星空』というテーマに賛成しますか? 反対の方は『星空』に代わるテーマを下の欄に記入してください……か」
そして、下にはなぜ『星空』にするのか、その理由が書かれている。
大掛かりだが、楽しそうだ。
反対意見は少ないだろう。この意見を覆してまで反対する人間はよほどの案を挙げなければならないだろう。
「テーマは『星空』か……」
麿はそのテーマを利用する方法を思いついた。
前生徒会長という権限を使い、できることを思い描き、それを実行する力を麿は持っているのだ。
面白くなりそうだ。
麿は唇の端を持ち上げた。
文化祭当日。早朝。朝日がまぶしい。
「昇! おまえ、無茶苦茶だ!」
佐々木が川村に怒鳴っていた。
「本当ですね! ここまでやるとは思いませんでした」
宮城は体力がないのか、疲れきった表情をしていた。
ちなみに、佐々木は運動神経はゼロだが、体力はある。
「ふあ~。貫徹ですね。美容の敵です」
安田はもう立てないようだ。下が文化祭の入り口付近の汚い床だということも気にせずに座っていた。しかも、制服なのに、だ。
「夜を待てなかったのかよ~。何が星空だ~!!」
阿部も安田の隣に座った。
皆の視線の先には巨大オブジェが風船のアーチと共にある。
オブジェは月と星をかたどったものだった。
針金で型を作り、その上に色紙を貼った。
雨が降ればそれだけで終わりの簡易オブジェだ。
一日だけの夢の象徴。それがこのオブジェだ。
「一日だけの儚い夢か……一日だけなら要らないのにな」
佐々木はそのオブジェを見てそんな風につぶやいた。
「ずっと続くものなんてない。だから一日でこれ以上ないくらい楽しむんだ」
川村は佐々木の頭に手を乗せる。今までは楽々届いていた手は今、楽々とはいかなくなってしまっていた。
佐々木の背が急激に伸びだした証拠だ。
佐々木の心が成長しようとする証のように背も伸びる。
アーチの風船も紺色と黄色で星空をイメージしていた。
何よりも学校の中がすごかった。
全ての教室に暗幕がかかっている。
つまり、真っ暗なのだ。
「そこに、各自が持ち寄った光るものを飾るんだ!」
昔、夜店で買った光るペンダント。蛍光ライト。蛍光の置き物。
とにかく、あらゆる光るものを飾っていた。
それは、川村の案だった。
各クラスの出し物のイメージに合わせて、教室にはいろいろな光るものが置いてある。
まだ、電気で動くものは光ってはいないが。
それに、体育館がすごい。
暗幕が張ってあるのは、ステージで出し物をする文化祭ならではのことだが、いたるところに星座を映し出すための投影機があるのだ。
家庭用のものだが数がすいぶんあるので幻想的な雰囲気を出している。
「やっとはじまるね。この日のために皆遅くまで学校に残って頑張ったんだ! 成功させよう!」
川村の疲れを知らないような笑顔を見るだけで、生徒会メンバーはやる気が出る気がした。
一番忙しかったのは会長である川村のはずだ。
演劇部で劇の主役もやるし、生徒会長としての仕事もきちんとこなしていた。
それなのに、一つの愚痴も言わず、疲れた顔もせず、誰よりも動いていた。
「今日の文化祭が成功したら、見直してやる……」
一瞬、佐々木は川村のことを見直しそうになったようだ。だが、すぐに撤回したようだ。
自分と同じところにいたはずの川村が先に行ってしまったような気がしたからだ。
気持ち的に。
「なんかそれも癪だな」
「政宗、何ぶつぶつ言ってんの?」
「なんでもない!」
川村の腕を乱暴につかみ、ステージに佐々木は出た。
開幕宣言だ。
「今年のテーマは『星空』です。なぜ星空にしたかというと……」
「僕たちが星だからです」
「夜空に光る星を僕たちに例えています」
「星は希望に例えています」
「夜空に浮かぶ夜空の星のように、僕たちも光り輝いていたいという理由からです」
「太陽のように強い光でなくていい」
「星はひとつひとつが確実に輝ける」
「暗く不透明な世の中を照らす光でありますようにという願いを込めて」
「暗闇に負けずに僕らが星となり光で照らし、この文化祭を成功させましょう!」
川村と佐々木が交互に言った。
拍手と歓声に包まれた。
真っ暗闇の将来に光を。
希望を。
星空をメインにした喫茶店や展示は好評だった。
バスケ部有志の女装喫茶などは……ギャグ狙いであったはずなのに、一人だけ洒落にならない人間がいた。
本人曰く、
「なんで、野郎が声かけてくるんだ?」
とすっとぼけた答えをしていたが。
ナンパと呼ばれるものだろう。それが誰だかは匿名ということにしておこう。
空手部は家庭科部顔負けのケーキ店を出していた。峰岸が一役買ったことは言うまでもない。彼は見かけに反して家庭的だ。男に家庭的という言葉を使っていいかはわからないが、とにかく手芸、料理など細かい作業が得意なようだ。
演劇部も星空に関しての演技をした。
ピーターパンのコメディが星空に関係しているかというのは疑問だが。
それに、川村が永遠の少年ピーターパンということ自体が面白い。佐々木が大笑いしていた。
校内や設備が暗いために転ぶ人間が多いのではないかという問題も起こらず、無事に文化祭は終わりを迎える。
「ねえ、耀。星空に果てなんてあると思う?」
「果て? 終わりってこと?」
ひとつの教室を貸しきった中にいたのは前生徒会長の田村こと麿と氷の女王の異名を持つ耀だった。
二人っきりだ。人の気配は感じられない。全員が生徒だけのイベントのため、体育館に集合しているからだ。
はっきり言うと二人はそれをさぼってこの教室にいるのだ。
ちなみに、この教室は文化祭当日さえも鍵がかけてあり、麿が耀のためだけに作った特別な教室だ。佐々木と川村がこの文化祭に関係ない教室にどれだけ苦労させられたかは……。同情に値する。
「そうだね。簡単に言うんだったら」
「ないわ。果てはない。だって、それを決めることは誰にだってできる。ここが果てだと言い張ればいい。でも、だからこそ、誰も果てなんて知らない」
「僕の耀への気持ちにも果てはないんだよ。もう、ここで限界だ、諦めようと何回も思った。ここが果てだと思ったんだけど、違ったみたいだ。無表情な耀の怒っているのがわかった時、嬉しいのがわかった時、悲しいのがわかった時。誰も気づかないのに自分だけが気づいた時、気持ちが果てじゃなくなるんだ。また、はじまりになる」
「はじまる?」
「そうだよ。耀はこうやって僕に手を握られるのもいや?」
麿は耀の手を握った。
少し迷って耀は首を横に振った。つまりは、嫌じゃないということだ。
心なしか、耀の顔が赤く染まっている。
互いの手の熱さに驚く。
「好きか嫌いか。それが恋愛感情か。焦らなくてもいい。まずは、今の状況での気持ちがいいのかいやなのか、決めていこう」
ゆっくりでいい。
手を繋いで同じ歩幅で歩いていこう。
「無事に終わりましたね~」
執行部唯一女性の安田が声を安堵していた。片付いた体育館でのことだ。
「よくもまあ、あんな会長なのに、うまくいったよね」
阿部もいつもの憎まれ口を叩いた。佐々木がいたら、鉄拳ものだろう。
「みんながんばったからね」
宮城が笑った。
「あれ~? 会長と佐々木先輩は?」
「二人でどっか行ったよ。佐々木先輩が『こういう雰囲気が嫌いだ』って言って出て行ったのを会長が追いかけていった」
「まあ、確かに祭りが終わった後ていうのは物悲しいよね。こんな片付いた体育館を見ていると尚更ね」
「俺は、宮城先輩の方が生徒会長に向いていたと思うんですけど」
「は~い。阿部くんに賛同するわけじゃないけど、のり子もそう思います」
「いや、僕は川村くんのように人目を惹くものを持っていない。かといって、佐々木君のような正しくてまっすぐに信じられる強さもない。だから、これで良かったんだよ」
「宮城先輩みたいな大人な意見を言える人がいないと駄目だったような気するけど」
「は~い。阿部くんは気に入らないけど、またもやのり子もそう思います」
「僕を持ち上げてくれなくてもいいよ」
「ていうか安田。気に入らないってどういう意味だ」
「だって、気に入らないものは気に入らないだもん」
「やる気か?!」
「女の子相手に何する気?」
「はいはい、そこまでにしといてね。そろそろ帰ろう。もう、遅いからね」
やっぱり宮城がいないと駄目だ、と思う阿部と安田だった。
「なんでついてくるんだ」
「だって、政宗が心配だから」
体育館の片付けが済むと、佐々木はそこを足早に去っていった。
「心配なんてされなくても平気だ」
「じゃあ、なんで体育館を出て行くの? この雰囲気が嫌だって言って」
「あの静かな場所とさっきまで熱気と興奮に包まれていた場所が同じだなんて思いたくない。簡単に終わってしまうなんて思いたくない」
「でも、終わっちゃうんだよ。ボクは終わった後の方が安心する。それなのに政宗は終わった後、不安になるんだ」
「お前はあの寂しい雰囲気に安心するのか?」
「だって、いつもあんなんだったから。誰もいなくて、寂しくて。それが、家の中の雰囲気だったから。家は安心して住むものでしょう? だから安心するんだ」
「わからない。楽しいことが終わった後、こんな寂しい思いをするくらいなら、なくていいじゃないか、楽しいことなんて」
「楽しいことも寂しいこともないなんて、そんな人生に価値はないと思うよ」
川村は真剣だ。
「……悪かった。今日の文化祭は成功だったな。お前のこと見直した」
本当は佐々木にもわかっていた。
寂しいことも楽しいことも感じられなかったのは過去の川村だ。見えないように隠れて歪んで荒れていた頃のことだ。
「言ったよね、前に政宗。あの星の光で俺たちを照らしてくれる希望の光だって」
「そんなこともあったな」
小学生の頃だった。天体観測の時に佐々木が言った言葉だ。
「だから、今回、ボクは文化祭のテーマを『星空』にしたんだ」
希望がほしかったから。
希望があるって知ることができる思い出が欲しかったから。
川村は笑顔でそう言った。
その笑顔に佐々木は違和感を覚えたが、その時、彼は何も気づくことができなかった。
後でどれほど悔やむことになるか、この時の佐々木に知るよしもない。