神道007 -モノ仕事と被差別問題-
モノについて、考察していく。
古ヤマト言葉で、独特の存在感を放つ言葉である。
モノとは、者、物のことであり、同時に物々しく物騒であり、物ノ怪であり、武士であり、物部である。
上記言葉を端的に表現すれば、キツい危険で汚い、汚れ穢れの本体であり、一昔前に流行った三K仕事そのものである。
日本人にとって昔から忌避すべきものだったということである。
ちなみに、ブラク問題なぞも、このあたりの感覚が出発点であることは言うまでもない。
そういった意味でもモノ問題は一筋縄ではいかない。
西洋世界にもこの感性はある。
いきおい奴隷階級や移民階級のような方々は、たいていこういったモノ仕事と無縁でない。
それが差別問題、人種問題の本当の本質だったりする。
問題は、こういったモノ仕事は、社会生活を円滑に回していくためには必要なものだということだ。
特に都市生活においてはモノ仕事の範囲と煩雑さが、あらゆる部分で問題化する。
特に問題になるのが、ヒト相手に物騒なことをしなければならない軍事的な武士の世界であり、それを束ねる物部の世界である。
ちなみに物ノ怪討伐や退治も武士の世界にゆだねられていく。
しかし、鎌倉時代になっても武士というのは差別対象であった。
物部という氏族について、考察する必要がある。
なぜなら、上記の事情により、物騒な世界を束ねなければならない事情がいまいち見えてこないからである。
豪族貴族としては、文官のほうが武官より上というのは、当時も常識であり、文民統制的な発想は実はそれほど新しいものではない。
ニギハヤヒというのが、物部の祖であり、この人はオオドシという出雲系のトップである。
ナガスネヒコを擁して奈良ヤマトを取り合って、最後渡した当事者である。
裏には神話での出雲の国譲りが背景にあるのは、いうまでもない。
つまり、端的に出雲系ニギハヤヒは敗れてヤマトに加わった外様の立場である。
こうなると、ほかの豪族たちに対して、立場や上がれる身分に差があっても無理もないのではないか。
つまり被差別身分の総司令官だった可能性がある。
だからこそ、三K仕事である武士階級・武官の長にしかなれない。
物部という氏族名は、名乗りたくて名乗ったものではないのではないか。
豪族としては二流の身分だったからこそ、物部守屋は頑張ったのではないのか。
しかし、蘇我氏と争いになれば兵士数でも負けて戦争で負けている。
その後も本流筋と思われる物部氏は、守屋を忘れ残っていくのであるが。
こうしたことを書いていると、古ヤマト言葉においてモノでまとめられたアレコレは、結局同じモノを指していることに気づいて興味深い。
武士階級の扱いも、移民問題の扱いも、人種問題の扱いも、安全保障の扱いも本質的には全部同じであることを、このモノたちは顕している。