神道006 -記紀神話と現実の間-
武内宿禰というのは古代史最大の大臣である。
三〇〇年の時を生きたといわれており、そのおかげで浦島子の伝承や塩筒老翁の伝承でもって年齢の異様さをごまかしている。
答えは簡単である。
年齢は、多くの武内宿禰が分業しているせいである。
これは、実際今世の武内宿禰を名乗られている方がみずから認めておられる。
もっというと、この今世の武内宿禰を名乗られている方から、数々の古事記の暗号を語られており、その中には非常に示唆に富んだ説が飛び出てきている。
その中の一つに、オシホミミの話がある。
忍骨というのが、彼の本名というか諡号というか、なのだそうだ。
そして、これには相当問題のある説が隠されている。
これはあの有名なアマテラスとスサノヲの誓約が深く絡む。
誓約により、アマテラスが五男神を、スサノヲが三女神を得る。
しかし、史実は違うのだそうだ。
実際は、この五男神筆頭のオシホミミとアマテラスが夫婦であり、残りの四男神はその息子兄弟。
この状態でスサノヲと開戦し、オシホミミは残念ながら敗死。
上記の諡号は、そのために与えられた暗号なのだそうだ。
やたらとこの人につく勝の字は、負けたからこそ、だそうである。
アマテラスは敗軍の妻として、スサノヲと婚姻した。
その婚姻で生まれたのが三女神だった、というのである。
スサノヲの狼藉描写は何のことはない、単なる戦争中の狂乱だった。
その後、出雲の国譲りが起こった、というのだ。
その理由も、スサノヲを継いだオオクニヌシが末の娘婿であり、正統性を主張しづらいゆえに、アマテラス勢力が復権を果たした、という論調であった。
ちなみにその後天孫降臨が起こる。
ニニギから山幸彦、ウガヤフキアエズに連なる流れにも、異論が挟まれる。
この三人は親子ではなく兄弟である。
それどころか、この三人こそが、ここまでの混乱期を生き残った上記、四男神の成れの果てだ、というのである。
天津彦根がニニギ。
活津彦根が山幸彦。
熊野忍蹈がウガヤフキアエズ。
天津彦根火瓊瓊杵がニニギの本名であり、ここは特にわかりやすい。
山幸彦は、神武天皇同名の彦火火出見となっており、実在しないことを暗示している。
ウガヤフキアエズは、クマノオシホミという名にオシホミミがあり、これも実在しないことを暗示している。
もしくは、オシホミミの本当の後継者という意味かもしれない。
山幸海幸説話は、兄弟間の争いではなく、本当の海戦だった。
海幸彦というのは、本当の敵で兄弟では断じてない。
ウガヤフキアエズの名の由来は、スサノヲとの戦乱中に生まれたため、ろくに両親に世話もされずに育った証であろう。
つまりここまでの流れを読んでいくだけで、結構な人が実在しない。
そして、時間間隔は今伝わるものよりずっと短い。
ウガヤフキアエズから神武天皇の流れだけが正しいことになる。
これを暴論ととらえるのは簡単である。
ただ、誓約の描写に不自然さやなんだか説明が足りない感じを受けるのは確かだ。
上記をよく読んでいくと、生の戦争の取り返しのつかなさが伝わってくる。
結構な神様が問答無用で死んでいく描写が出てくる。
さて、ここで思うことがある。
記紀神話をそのまま信じるのと、上記暴論を信じるのと、どちらが我々のためになるのか。
記紀神話がそのままあまり否定されずに今日まで大事にされてきた理由を、なんとなく感じることができる。
つまり、殺伐とした戦記物をなんとか神話の体に持っていき、アマテラスやオシホミミの不名誉を神話的な儀式の体にする。
下手すると、スサノヲ出雲勢力の正統性を表しかねない歴史を今伝えられる流れにする。
古代史を追いかけている身としては非常に魅力的ではある。
本当かどうかはおいておいて。
このあたりは、見なかったことにする、というのが先人の知恵だろう。
もしくは、アマテラスと名乗る女性、スサノヲを名乗る男性は人間だ。
戦争もするし、死にもするし、子供も産むだろう。
アマテラス、スサノヲという神格はまた別の次元に存在する。
我々は神話を通じて神とつながるから問題ない、という発想もある。