神道005 -大倭日高見国-
日高見国というのをご存じだろうか。
日高、日鷹、飛鷹、穂高。
飛騨、日田、肥田、樋田。
変則的なところでは、北上川、常陸。
これらの地名を見て不思議に思われるのではなかろうか。
語感も雰囲気も似た、余りにも同じものを指していそうな言葉が、漢字を微妙に変えつつ全国的に使われている。
漢字は後で入ってきて、しかも風土記編纂の時に、令により幸字二字に各地で好きなように換えられているため、古ヤマト言葉としては区別する意味がない。
注目すべきは語感である。
この理由として、最近よく言われるようになった説が、日高見国、倭国並存説とでもいうものである。
そもそも、縄文時代に優勢だったのは東日本であり、ここを本拠としていたのが日高見国である。
中心地は富士山麓であったとか、徐福の伝説があるとかなんとか、三内丸山遺跡が重要だとかなんとか、ユダヤ同祖論、シュメール文明同祖論だとかなんとか、刺激的な推論が山ほどあるのはご存じだろう。
そして、もともとはまとまりのなかった西日本が東日本の貴種を旗印に小国を連合させて成立したのが倭国、ヤマト国である。
だからこそ、天孫族は西日本に降臨するし、日高見国というのは彼らにとって高天原である、という説である。
この場合の東西日本を分けているのは、日本一の河川である利根川と信濃川で領域を分けて、間を日本アルプス山脈の稜線および諏訪湖でつないだものであり、縄文古道と呼ばれる境界線である。
時代が進み弥生時代に入ると西にずれ、最後には関が原付近になるようだが、ここで文化が完全に分かれるのは、考古学が証明している。
しかしのちの時代には、西日本は結局東日本を併合していく過程で、支那思想である華夷思想でもって説明するようになる。
夷狄という言葉で貶めるようになったというわけである。
こういう流れで、後世の征夷大将軍へとつながっていくわけである。
これは歴史観的にも非常に自己矛盾を抱えるわけである。
これに対する答えが、前回お話しした、高天原を天上世界に垂直移動させ、みだりに往来できなくする、である。
この過程で、日高見国時代は高天原で展開される神話にされて、歴史からは締め出された。
そして、記紀でもしれっと日高見国について言及されている箇所がある。
それがヤマトタケルの箇所である。
この辺の感覚は、記紀編纂者のバランス感覚であろう。
そもそも神話のような記述が続くヤマトタケルの英雄譚なら、高天原を日高見国として語っても、違和感がない。
自然に溶け込め、言及していることによって、自分の故郷をわけも分からず征伐している、という後世の批判を避けられる。
このように、日高見国、倭国並存説というのは、いわれてみれば違和感のない、非常によくできた説である。
もちろん、大倭日高見国はそれで一つだと考えるのも一つの説である。
そうすると、天孫降臨には別の意味が付与されることになるだろう。
最後に大事なことをもう一つ。
稗田阿礼という人がいる。
この人は、古事記が好きな人なら誰でも知る人物だが、おそらく、偽名もしくはペンネームである。
問題は、ここにもヒダがいて、アレというのは、神話歴史を口伝として継承して、神に仕える姫巫女の名なのだ。
卑弥呼といってもいい。
だから古事記が書けるのだが。