神道023 -記紀神話を信じますか-
古代史にまつわる問題として、記紀神話のなかで、あえて語ってこなかった問題がある。
それは、古事記も日本書紀も共通の問題である。
年代表記とそれにまつわる正確さの問題である。
この辺りをあげつらったあげく、だから記紀は歴史資料としては信頼に値しない、となる。
六世紀辺りまでは日本には歴史資料は存在しないとうそぶき、考古学資料と支那文献のみで説明しだす。
そうすると何が起こるのかというと、さっぱり古代史が面白く感じない。
邪馬台国の卑弥呼だの、倭の五王だのしか登場しない歴史には、人の営みと行為が足りない。
折角雄略名が入った鉄剣が出ても、単なる考古学の物証でしかなく物語が足りない。
ドグウだ、ハニワだ、コフンだという考古学資料では、ますます物語がない。
年代表記に関しては確かに多くの問題がある。
支那文献の邪馬台国だの女王国だのをごまかすために、記紀編纂者は隠ぺいと引き伸ばしを試みている。
まず、邪馬台国の卑弥呼を神功皇后に見せるために、その周辺に虚構の年数を仕込んでいる。
当然、崇神、垂仁、応神の各大王にも虚構の年数を仕込んでいる。
欠史八代といわれるぐらい、大王の事績を削った。
ここまでは前提である。
これから、春秋年により一年を二年として書かれているのを、通年に見せかける工作をする。
おかげで大王の年齢その他に異様な長寿が現れる。
数え年のような即位元年定義を利用し、大王が新たに即位するたびに一年ずつ加算されて後ろへずれていく。
特に、即位後すぐ殺されるというような事象があると、年数はますます狂ってしまう。
神武に関しては初代ということもあり、即位年そのほか干支において縁起のよい年になるよう調整している。
客観的に見て、記紀に関しては年代表記は目をつぶってカッコ書きにしておく必要がある。
もしくは、それらの課題に果敢に挑戦している意欲作をいくつか読むのがよい。
様々な矛盾に対応するべく、年代表記の数字と格闘されていて実に頭が下がる。
読んでいても、頭がおかしくなりそうな難解なパズルである。
ただそれらの作品はどれも、ある一定の到達点に達する。
神武は紀元前後の人だし、崇神や垂仁のちょっと前の欠史八代時代が邪馬台国の卑弥呼時代だ。
倭迹迹日百襲姫がやっぱり卑弥呼だ。
倭の五王も、謎のだれかでなく大体の大王があたってくる。
最後の武に関しては、雄略一択である。
そうなのだ。
皮肉なことに、支那文献や朝鮮文献、考古学資料を丹念に読み込んでいくと結局その結論になる。
記紀の年代表記にある程度目をつぶれば、我が国の古代史を追いかけることは可能なのだ。
記紀には信憑性のある歴史はない、などという暴論をこれ以上許してはいけない。
歴史認識は、自分のアイデンティティにかかわる問題である。
記紀神話は日本人の宗教観の根底なので、忘れることは日本人であることを忘れるのと同じだ。
聖書を西洋人が絶対手放さないのと、これは同じことなのだ。




