神道018 -イズモとイズミ-
イズミ市、イズミ町、大字小字にイズミ。
和泉、出水、泉、出海、伊住、井住、和。
各地にこういった地名がある。
一方、出雲族という国津神を信奉している古い一族がいる。
もちろん、出雲市に、出雲大社があるのはいうまでもない。
しかし、出雲という地名はここだけである。
イズモというのは、縄文時代以前からいる古い一族ではないか。
というよりも、古すぎてもはや細かいことがはっきりしない。
これを、古ヤマト語で出雲というのではないか。
つまり、今の表現でいえば、霞がかかったような、という状況を表すものが、雲が出るという表現だったのではないか。
つまり、イズモ族という特定の一族がいた、というよりは、古ヤマト人とでもいうべき縄文由来の人々が、自分たちをわかりやすく表現するものだったのではないか。
しかし、アマテラス天孫族とでもいうべき人たちによって、事態は一変する。
イズモ族はアマテラス天孫族に従う存在となってしまった。
誇りをもってイズモと名乗っていた人たちは、この名乗りが具合が悪くなった。
そこで、ある時点で、イズモを捨ててイズミを名乗った。
だから、各地にイズモではなくイズミという地名ができていった。
のちに、泉という漢字があてられ、深い水たまりを差す言葉になった。
まあ、水の底が見えない感じが、出雲のはっきりしない感じに通じる。
だから、イズミの名をつけられた地名には、日本の古層が眠っている気がする。
古い神社もイズミが多い気がするのである。
これは確認するのが大変難しいのだが、そんな気がする。
そしてそんな神社はたいてい創建年代不明である。
私の知るイズミ町には、白山神社と名乗っている神社がある。
しかし、中の立派な稲荷社の横に、明らかに古い小さな社殿がこっそり設置してある。
そこに日神子(日御子)神社、創建年代不明と書かれていたりする。
大事なものはこうやって隠して、知っている人だけこっそりお参りしているわけである。
こんなものを見つけると、歴史のロマンを感じざるを得ない。
さて、ここまで語ってきたのはこの話のためである。
現在、泉佐野市は、国を相手にふるさと返戻金をめぐって争っている。
ここで気にしてほしいのは、イズミとサノである。
特にサノというのは、神武天皇の本名であり、補佐する人という意味だ。
つまり、上記の話を総合するとこういうことになる。
イズモを補佐する勢力が、アマテラス由来の中央政府に対して反旗を翻している。
不正仕様を疑われたふるさと返戻金をめぐって。
時代は流れても住んでいる人は同じなので、遺伝子がなにかを命じるのかもしれない。
かくて歴史は繰り返され、古代史のロマンを感じるのである。
今回は非常に小粒な話だが、意外とこんなところに本当の話が隠れている。
そういう気がする。




