神道014 -聖徳太子と実在説-
聖徳太子は実在しない。
こういうことをいう人がいる。
厩戸皇子はいたが、聖徳太子は捏造だ、とか。
この厩戸というのが、イエスキリストのことで実在しない証拠だ、とか。
蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿三代の功績に過ぎない、とか。
聖徳太子は鬼だ、怨霊だ。
こういうことをいう人もいる。
蘇我氏や中臣氏(藤原氏)の政争に巻き込まれた悲劇の皇子だ、とか。
祟ったため祀ったのが法隆寺だ、とか。
聖徳太子の息子である山背大兄王については、どうするのだろうか。
この人は蘇我氏に滅ぼされ、抵抗せずに自害したとされているのだが、祟るのだろうか。
残念ながらこの人は、実在が考古学的に確認されていたはずだ。
結構な趣味人であったことが、残されたもので確認できたのではなかったか。
ここまで時代が下るとさすがに、年代含めヒトの実在についてうんぬんするのは難しくなる。
周辺を固める家臣団というか豪族貴族の群れも多くなる。
いない人を多くの家臣がサポートしている描写は、状況的に難しい。
まあ、聖徳太子ぐらいが限界なんだろうと思う。
問題は、こういう言説をもてあそぶ人が実際は何を企んでいるのか、という点だ。
ここら辺の問題は、仁徳天皇陵を大仙古墳(仁徳天皇陵か?)と言い換えたがる人たちも同じだ。
要はこういうことである。
実在しているかわからん怪しげな人物を、お前ら日本人は今までありがたがっていたバカ者だ。
こういう民族の誇りを棄損したい勢力が悲しいことに世の中には多くいる。
聖徳太子は、冠位十二階を設定し、十七条憲法を作り、支那の隋国の煬帝に失礼な国書を送り付けた。
その国書は、倭国は隋国と対等に付き合うという宣言だった。遣隋使が始まる。
「国記」他史書を蘇我馬子とともに編纂し、これが記紀のベースとなっている。
そして、仏典の解説を行い、四天王寺や法隆寺を建立し、難波から飛鳥までの最古の官道を築く。
まあ、ざっと並べるだけでこの量である。
すべてが彼の業績ではないのかもしれないが、内政外交の天才であることは確かだ。
この時代は、支那に久しぶりの大国が生まれた時期だった。
内政を充実させ、仏教を振興しているのも、この備えであろう。
新羅が逆らったため朝鮮半島には出兵計画があったが、これはとん挫している。
この後、支那の唐国を味方にした新羅によって百済が滅んでしまう。
このころ優秀な人が百済にいたら状況は変わったかもしれない。
朝鮮半島のほうも大事な時期だったわけである。
そういうわけで、隣国にはおらず、我が国にはいた人物。
これが聖徳太子だった、ということである。
結果我が国は堂々と、倭国ではなく日本国だ、とこのあと宣言していくことになる。
ありがたいことだ、と祈らずにはいられない。
昔のお札の絵になるわけである。




