神道013 -万葉集と仁徳天皇-
万葉集について今回は語ってみたい。
なぜなら、記紀神話と風土記、これらと明らかに連動しているからだ。
特に政治上の立場は古事記が一番近いようだ。
古事記は特に皇族方のゴシップ記事の集合体のような趣があるため、万葉集の政治上の立場と対応しやすい。
人には様々な顔がある。
人は立場に応じて顔を変えねばならないし、人の見方、見られ方も立場によってそれぞれ変わる。
情の深い素晴らしい方という見方もされれば、女たらしのいい加減な方という見方もされる。
嫉妬深い嫁に振り回された不幸な方という見方もあるだろう。
嫁の気持ちも考えないひどい方という見方もされるのである。
ここで述べたいのは聖帝と呼ばれる仁徳天皇である。
この人は即位の時の事情から普通ではない。
まず、いわゆる中っ子である。
長男である兄がおり、末っ子である弟・菟道稚郎子がいる。
父親である応神天皇はかわいい末っ子に天皇位を継がせたかった。
そこで、そんな父の意向を忖度して、弟が天皇にふさわしい、といったのである。
この段階で長男は天皇位争奪レースから脱落する。
その後、その弟との間でまた忖度合戦を行う。
弟はどうも三年後に自死を選び、結果として天皇位を譲られるのである。
この段階で、中っ子特有の空気を読む忖度力とでもいうものが素晴らしい。
その後、貧しい民のため税金を三年間取らないようにする有名な仁政をやる。
その間、非常な貧乏暮らしをなさったそうである。
大御宝である民あっての帝王だ、というわけである。
単純に我が国の黎明期ともいうべき時期は父の応神天皇で終わっている。
三韓征伐も終え、我が国は安定期に入りつつあった。
ここまでは、聖帝の名にふさわしいいい話である。
さて、跡継ぎになる可能性が限りなく低かった彼は、評判を気にする必要がない。
結果として女性関係がだらしなかった。
嫁を怒らせるような浮気や不倫のような関係が好きだったようである。
そもそも大王は、様々な豪族の娘を集めて息子娘を残さねばならない。
嫁が妃としての仕事で留守中に彼女の生活空間にそういう娘を連れ込んだりしている。
いや、正確にはそうではない。
異母妹の八田皇女を連れ込んで妃にしたのである。
とんだシスコン野郎である。
結果として、嫁の葛城磐之媛は実家(山背の筒城岡)から戻ってこなくなる。
この時代に別居離婚という状況になってしまうのである。
この嫁の名前には何とも言えない感じを受ける。
ニニギに断られて実家に帰されたイワナガヒメのモデルはこの人ではないか、と思う。
ちなみに、葛城氏というのはあの武内宿禰の一族である。
ただ、彼女は後世の女性からは愛されていたようである。
万葉集にも彼女の作とされる歌が多数収録されている。
正確には、そうではないものを彼女の作としているものもあるそうだが。
つまり後世の女性にとって、かわいそうな女性、悲恋の女性といえばこの人、という扱いを受けていた。
この時代の人で万葉集に採用されているのは、この人だけである。
あとは、前回取り上げた雄略天皇と聖徳太子のみである。
意外と万葉集というのは、古い時代の歌はその程度しか採用されていない。




