神道012 -後継者問題と無茶をする人々-
ホンダワケという大王がいる。
タケシウチノスクネという大臣がいる。
オオハツセワカタケルという大王がいる。
ここで注目してほしいのは、ワケ、タケ、ワカである。
ちなみに、応神天皇、武内宿禰、雄略天皇である。
漢字を当てると、別、武、若である。
武内宿禰は、応神天皇の父親として疑われている。
神功皇后との三韓征伐はあまりにも有名である。
雄略天皇は、所謂倭の五王の最後、武のことである。
後継者を征伐もしくは排除されたあと勝ち取った大王たちである。
ここでは、語感を見てほしい。
漢字はあくまで後世にあてはめたものだ。
そして、名が体を表しているということを念頭に置くべきだ。
何度も同じようなテーマで話しているので今更だが、大王がどう成立するのかというテーマである。
困難を打ち破り、何らかの軍事的地位を確立した。
もしくは相続争いに勝ち残り大王になった。
こういう人に共通していわれるものが、この三音である。
他の皇子とは違うから別、物々しい軍人だから武、他に正統な後継者がおらず奪ったから若。
これらは違う意味を持つ音でありながら、政治権力者になる血なまぐささという点では、同じような人間がつけられる。
そういう意味では、断じて違う意味の言葉ではない。
あと、これが大事だが、これは尊称である。
普段使いの通称のようなものとは違う。
応神天皇は、八幡大菩薩でもあり、武門の守護神である。
なぜかといえば三韓征伐後の後始末として、高句麗国の広開土王と対峙した大王だからだ。
広開土王の戦勝碑文によれば、最後は大敗北を喫してしまったようだが。
これが、かわいがっていた末っ子の自死の原因である可能性は高い。
平和裏のうちに穏当に跡を継いだ大王も多くいるが、こういう方はあまりこういう尊称はない。
そもそも跡継ぎ候補でさえない人は、こういう名は名乗れない。
さて、ここで特に語りたいのは継体天皇のことである。
男大迹というのが彼の名で、越前の人である。
上記、応神天皇が、彼の即位根拠である。
五世孫ということなので、今の感覚ではほぼ他人である。
かつ、仲哀天皇の五世孫である倭彦王が逃げたため、即位できた、というおまけつきである。
ここのところで非常にこの継体天皇に対して勇ましい説が多い。
征服王朝だの、関が原を挟んで物部系統の軍事的支援を受けただの。
ただ、実態は非常にゆっくりと時間をかけて、やっとの思いで都にたどり着いている。
ご本人も非常に高齢であり、ここで新たな妃を迎えるのが精一杯だったようだ。
大事なのはむしろ、この新たな妃の血筋の部分である。
そして、彼は断じて、上記三音の尊称を名乗れていない。
そもそも、応神天皇の血筋なのだから、名乗れてもおかしくはない。
つまり、猛々しさとは無縁のおとなしさであったと思われる。
むしろ相当周囲に気を遣いながら、終生まさに継ぐことに努められた立派な方だったと思われる。
正直に言うと、こういう田舎の人のほうが都会の中央に対して逆らえない感覚は強い。
むしろものすごく謙虚で遠慮深い初めての大王だったのではないかと思う。
前代の武烈天皇は、その点言動が相当ひどいので、そのギャップがすごかったと思われる。
だから、反逆者呼ばわりされていることを知った彼は、今頃草葉の影で泣いているのではなかろうか。




