神道010 -ヤマトタケルは何度でも蘇るさ-
古代史最大の英雄といえばヤマトタケルである。
前回吉備津彦の項でも言及した通りの流れが、ヤマトタケルの場合にも、踏襲されていると思われる。
大王というのは、どんな存在なのだろう。
大王になれる人、なれない人の差は何だろう。
このような国の黎明期に大王となった人々は、多くの地方豪族の娘を集めて婚姻を結び、多くの子供を残し続け、その子供たちが立派な戦える歳に育ったら、戦争の前線に送り出し続ける。
その中で、うまくやった子や奇跡的に生き残った子だけが歴史書等に英雄として名を遺し、次代の大王となる。
景行天皇はヤマトタケルことヲウスにだけ、冷たいのではないと思う。
息子が仲哀天皇として即位できているだけ、ましである。
むしろ成務天皇の実在を私は疑っているぐらいである。
この人は、ただでさえ武内宿禰と双子だとかそっくりだとか言われていて、いかにも怪しい。
状況に合わせて、ある時は大王に、ある時は大臣に、という具合に、演じ分けていたのではないか。
おそらくゲームでいうところの、ノーコンティニュー縛りの超効率ノーミスプレイが、今のヤマトタケルの業績である。
ただ、実際には人はミスもするし、ちょっとした怪我で死んだりもする。
死ねば後を引き継ぐ様々な問題を解決するための時間がいるし、そうそう電撃的に物事は片付かないのが現実である。
その辺の泥臭さを歴史書は隠す。
何人のヤマトタケルが、失敗と戦死を繰り返しながら、現在我々が知るヤマトタケルの事績にたどり着いたのであろうか。
それを思うとぞっとする。
よくある様々な女性に支えられながら、弱音を吐き悲しいヤマトタケル像というのも注意が必要である。
そんな弱い奴は、こういう過酷な遠征行に耐えられない。
むしろ、そんな過酷な遠征に女を常に連れ歩いているというのは、そうとう図太い性格である。
ヤマトタケルは政治家としても優秀な人であり、知性で現状をひっくり返せる剛毅な人である。
連れ歩いていなかった方の妃に、尾張国造・乎止与の娘、宮簀媛がいる。
もともと侍従の将であった建稲種の妹である。
この人は、熱田神宮を創建して、ヤマトタケルが死んだあと残していった草薙剣を奉納している。
この後熱田神宮については、大宮司は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていた。
しかし平安時代後期に、尾張氏の外孫で藤原南家の藤原季範に大宮司が譲られた。
この大宮司の娘が源頼朝の母、由良御前であり、彼の養女(実孫)は足利義康(足利氏の祖)に嫁いでいる。
このように、熱田神宮は、以後も武家の有力な守護者として存続していくのである。
さて、ヤマトタケル関連に関してはさすがに人気の人なので、多くの素晴らしい解説書等に恵まれている。
これ以上語れる要素はそんなに残っていないのである。




